国家行事の式典には、音楽が付き物。
国家の威信がかかった場であるから、皇国最高峰の音楽の殿堂、音楽神殿の演奏者が担当する。音楽神の庭に招かれたほどの歌い手や音楽家がいる場合、その歌声や演奏が必ず披露され、式典に花を添えることになっているそうだ。
皇太后クレメンティーナ陛下も、そうした国家行事に参加したことで先帝陛下に見初められたんだった。
神に認められるほどの才能の持ち主の出現は喜ばしい縁起のいいことだから、国の権威を高めるためにぜひ加えたい存在なんだろうね。
あと音楽神殿も、信仰を集めるために積極的に協力していそう。神様が実在するこの世界でも、世俗の事情というのはあるもんね。
しかし緊張知らずのレナート君はともかく、内気なオリガちゃんがこんな大観衆の中で歌うって、ハードル高すぎなのでは!
この会場は大きすぎるし、歌や演劇の劇場と違って音響が良くないどころか、マイクなしでは全員に声が届くことすら不可能なんだから。
お姉さんは心配せずにいられないよ!
という思いでエカテリーナが見つめるアリーナには、ステージが設えられている。
しかも五か所に。
この会場は東西に長い楕円形。アリーナも楕円形で、その中央にひときわ大きなステージがあり、東西南北の端近くにやや小さいステージが四つ設置されていた。
それらのステージすべてに、音楽神を表す五枚の翼の紋章が掲げられている。ただ奇妙なことに、音楽神の五彩の光を表して、五色に塗り分けられているはずの翼が、五枚すべて青であったり赤であったりと同じ色になっており、代わりのように五つのステージそれぞれ色が異なっていた。
中央は白。
東は青。
西は黄。
南は赤。
北は黒。
中国の五行思想と微妙に違う。
と、無駄な豆知識を想起するエカテリーナである。
貴賓席は会場の南側中央にあり、赤い翼の紋章を掲げた南のステージが目の前にありつつ、中央の白のステージも近い。中央での演奏や歌声は、貴賓席には届きそうだ。
五つのステージにはすでに、楽器を手にした演奏者たちがスタンバイしている。
そして、紋章と同じくステージごとに異なる色の神官服を着た音楽神殿の神官たちが、厳粛な表情で並んでいた。
オリガちゃんとレナート君が登場するのは、中央の大きなステージだよね。
他の四つのステージは、何のためにあるんだろう。そりゃ中央のステージだけで演奏したのでは、会場全体に音が届かないだろうけど、四か所での演奏はオリガちゃんやレナート君の歌声や演奏をかき消してしまうことにならないだろうか。
という疑問で、エカテリーナは考え込まずにいられない。
そこへ、わあっと歓声が上がった。
中央の白のステージに、レナートが登場している。
白い髪に菫色の瞳の美少年は、神殿が仕切るこの場にふさわしい清らかさだ。彼も白い神官服を身に着けているが、周囲の神官たちより手の込んだデザインで、彼本人の色彩を取り入れた菫色の縁取りや刺繍で飾られている。音楽神の招きを受けた者が音楽神殿でどれほど敬われるか、これを見ただけで想像できた。
歓声の一部が、きゃーきゃーと黄色い。学園祭で、美少年レナートのファンになった女生徒やご婦人たちかもしれない。
しかしレナートは、まず丁重に礼をした。貴賓席に向けて、正確には皇帝陛下に向けて。当然の礼儀だ。
そしてその後、にこっと笑顔になった。
きゃーっと歓声が盛り上がる。エカテリーナは、ちょっと笑ってしまった。レナートは、こちらに向けて笑いかけたようだったから。
こんな大観衆の中で友達に挨拶、普通できる?なんという胆力、さすが緊張知らず。
エカテリーナがこっそり手を振ると、レナートの笑顔はさらに大きくなった。
そんなレナートのもとへ、一人の神官が歩み寄る。他の神官より位が高そうなその人物は、五彩に彩色された箱を恭しく捧げ持っていた。
差し出された箱を、レナートが開く。入っていたのは、細長い……笛のようだ。
レナートが笛を手にする。
しん、と沈黙が満ちた。各ステージで、緊張が高まっているのがわかる。
レナートが、笛を奏で始めた。
笛の音が、大きく響き渡る。荘重な、しかし強く張りのある、どこか神秘的な音色だ。何か聞き覚えがあるような、と思ってエカテリーナは気付いた。前世で聞いた、雅楽の篳篥(ひちりき)の音色に似ている。
笛の音に導かれるように、五つのステージで演奏が始まった。笛、竪琴、太鼓など古代から用いられてきた楽器による、おごそかな、けれど華やかな音色がアリーナを満たしてゆく。
そして神官たちが、歌い始めた。
歌詞の意味はわからない。古代アストラ語に似ているようだがどこか違う、さらに太古の文明の言語のような気がする。そして、ほぼ同じ言葉の繰り返しのような。
そう思って、ふとエカテリーナは気付いた。
繰り返されているのは、音楽神を表す言葉ではないだろうか。神官たちは、音楽神に呼びかけているのだ。
篳篥に似た笛の音が、冬の空へと伸び上がってゆく。神官たちの呼びかけを、導くように。
空は冬の淡い青、冷たく澄んだ陽の光が天から降り注いでいる――。
その時。
中央のステージから、白い光が放たれた。
レナートの笛の音が光に変じたように、中央のステージから白い光が伸び上がる。力を得たように神官たちの歌声もいっそう大きくなり、ステージ全体が白い光に包まれた。
続いて周囲の四つのステージも、光に包まれる。青、黄、赤、黒。白と共に、五色の光。
何かが、応えた。それが、感じ取れた。
光が一気に広がり、アリーナを、会場全体を包む。
五色の光が交じり合う。
きらきらと、五彩それぞれが光ときらめいて、空間を神聖に変える。
それは明らかな、音楽神の恩寵の光となった。
ちょっと待って奇跡起きてますけどーっ!
内心でエカテリーナは絶叫だ。
あの笛や五つのステージ、神官たちの歌は、この現象を起こすためのものか!えええまさか音楽神様、国家行事に降臨されてしまいますか⁉
いやでも、以前の降臨の時とは違うような。降臨の時には音楽神様は、五色の雲間から舞い降りてこられたけど、この光は会場を満たすのみのような。
と、アレクセイが囁いた。
「聞いてごらん、あの歓声を」
言われて、エカテリーナも気付く。観客席が、歓声に包まれていた。
奇跡を目の当たりにした驚きより、ただ喜びの声のようで、それがエカテリーナには不思議だったが。
「先帝陛下が退位なされるまで、皇太后陛下がこの音楽神の恩寵を招いておられた。音楽神の招きを受けた音楽家が現れたことで、再びこの祝いの日に恩寵を目の当たりにすることになった……喜ばしいことだ」
なるほど!
皇后であられた頃の皇太后陛下は、自らあのステージに立って音楽神様に呼びかけていらしたのか。音楽神様はそれに応えてくださり、新年祝賀会では毎回この恩寵の光が満ちていた。当時を知る人はまだ多いから、それで驚きよりも喜びの反応になっているわけですね。
「この恩寵の光の中では、神の招きを受けた者の歌声が光の中にいるすべての者に届く」
「まあ……!」
マイクいらずのコンサート空間ですね!
前世より便利かも!さすが神様パワー!
若干失礼かもしれない解釈をするエカテリーナである。
「新年祝賀会にこの誉れをもたらしたのは、お前の功績だ。お前が見出した才能が、皇国に再び恩寵をもたらした。皇国の栄光であり、皇国の支えとしてのユールノヴァの栄光だ」
アレクセイの声には、妹への愛情と三大公爵家の誇りがにじんでいる。
いえお兄様、レナート君はもともと音楽の神童と言われていましたので、私が見出したというのは語弊があります。
でも――そういうことにしたほうがいいんだろうな。
いつも通りに内心でつっこんだエカテリーナだが、そのつっこみを撤回する。今回ばかりは。
遠からぬ場所にいる政敵。
エカテリーナがこの新年祝賀会に神の恩寵をもたらしたとする考え方は、ユールマグナとの政治的な鍔つばぜり合いにおいて、ユールノヴァを利するものだから。
周囲の歓声がいっそう大きくなって、エカテリーナは気付いた。
中央のステージに、歌姫オリガが登場していた。