「ユールノヴァ公爵閣下、お席にご案内いたします」
音もなく歩み寄って来た長身の男性が、そう言って兄妹に一礼した。
三十代だろうか、端正な顔立ちに柔和な笑みを浮かべているが、見るからに切れ者らしい雰囲気だ。皇城で働く者には違いないが、身に着けている礼服は華麗で、周囲を行きかう並の使用人たちとは格が違うとわかる。
何より、肩の紫色の房飾り(タッセル)。紫は皇帝の色だ。
アレクセイが応じた。
「近侍長……わざわざご苦労」
近侍長……!
正式には、皇帝近侍長。皇帝陛下の側仕えのトップな方なんですね。
先日エカテリーナが皇城を訪れた際にも皇帝に仕える大物と挨拶を交わしたが、あちらは執事長。皇城だけでなく皇室直轄領も含めて皇室に仕える人々全体を統括する立場なので、皇帝近侍長はその配下にあたる。しかし彼は皇帝の側近くで身の回りの世話をする、皇帝に最も近い者だ。
マニアックに理解すると、江戸時代の側用人かな。将軍綱吉に仕えた柳沢吉保とかが有名で、吉保の場合は身の回りの世話をするにとどまらず、綱吉の政務の右腕であったし、のちに幕府の要職に就き大名にもなった。皇帝近侍長も、政治に影響を及ぼすことものちに要職につくことも多いらしい。
お兄様の近侍長への返答が丁重なところからして、この方も将来はそういうコースをたどる可能性が高い立ち位置なのかも。
なお執事長は、江戸時代にそれに相当する役職があったか、私には思い当たりません。
しかしあらためて、皇帝陛下の最側近に案内されるユールノヴァ公爵家って凄いな。
私は先日、畏れ多くも皇后陛下じきじきに皇城を案内していただいてしまったけど、あれだってユールノヴァ家の娘であればこそなんだし。そもそも、今日はあの時とは状況が違う。一年で最も多く皇城に集っている貴族たちが、視線を向けてくる。彼らは、三大公爵家の格の違いを見せつけられる思いに違いない。
……ユールマグナ公爵家は、誰に案内されたんだろう。
こういうところに、三大公爵家の勢力の差が現れるんだろうか。それとも、争う公爵家を御す皇帝陛下の、バランス感覚を見て取るべきなんだろうか。
きっと、お兄様はそのあたりを全てくみ取れているんだろうな……近侍長にかけた『わざわざご苦労』という言葉にそれが滲んでいる気がする。
私には解らないけど。うう……頑張ろう。
近侍長に先導されて、エカテリーナとアレクセイは共に新年祝賀会の会場へ向かう。
エカテリーナが皇城へ来るのはまだ二回目、最初に来た時と違って華やかな飾り付けがされた祝いの日。ついきょろきょろ見回したくなるが……ぐっと我慢だ。
お兄様に恥をかかせるわけにはいかない。公爵令嬢はきょろきょろしない!
嘘でも、めっちゃ皇城に慣れてます感を出していこう。めっちゃ嘘だけど。
などと内心では考えているのだが、ありがたいことに端から見れば、ユールノヴァ公爵兄妹は共に十代とは思えない落ち着きぶりの美男美女だ。周囲の貴族たちも着飾って来ているのだが、公爵家伝統の金羊毛を用いた衣装の見事さ、絢爛さはまばゆいばかり。皇帝近侍長に案内されていることもあり、貴族たちは高貴な美しき兄妹に、畏怖を込めた視線を送るばかりなのだった。
もちろんエカテリーナに見惚れる男性もいれば、アレクセイを見て頬を染める女性もいる。
そしてもちろん兄妹は、そうした視線には一切全く気付かない。
ほどなくして、エカテリーナたちは新年祝賀会の会場に到着した。
マグダレーナ皇后に皇城を案内してもらった時、見下ろしたことだけはある会場は、間近で見ると実に巨大だ。皇城も大きいし高さがある分迫力があるが、占める面積でいえば、今生で見た建物の中で最もスケールが大きい。たぶん。
あれ、いや、待てよ?もしかして、ユールノヴァ領の公爵領本邸?(わたしんち)、そこそこ張り合えるかも……?
それはともかく、見下ろした時にサッカースタジアムに似ていると思ったが、収容人数も約三万人と、スタジアム級の規模なのだそうだ。中位以上の皇国貴族と貴族ではないが外せない皇都の有力者などを合わせると、確かに三万人に達する。それを収容するために、これだけの規模は必要なのだろう。
ちなみに古代ローマの闘技場(コロッセオ)は、現代の大型サッカースタジアムと同等の五万人規模のキャパシティを誇ったそうな。
そんなものが皇城の付属設備として存在しているとは、と皇城の敷地面積の広大さに驚くが、かつて江戸城だった前世の皇居だって、確か東京ドーム二十五個分の広さとか聞いたような気がする。
ヴェルサイユ宮殿はさらに広大だったはずで、権力の中枢とはそういうものなのだろう。
会場への入り口は複数あり、どこも人が並んでいる。ちらりと見た印象からすると、入口の左右に立つ衛兵が入場者の身分証明をチェックしているようだ。セキュリティはもちろんだが、会場内の席は家ごとに代々決まっていて、混乱を避けるため使える入り口はその席に近いところと決まっているらしい。
そうした光景をスルーして、皇帝近侍長の先導により衛兵たちからは最敬礼を受けつつ、エカテリーナとアレクセイは貴賓席への入り口に着く。
さすがに警備は厳重で、武装した皇国騎士団がそこを取り巻いているほどだが、兄妹は警備される側。騎士団員は全員アレクセイを見知っているようで、ここでも最敬礼で通された。
会場へ入り、暗い通路を辿って、階段を上る。明るい出口へと。
上りきれば一気に視界が開けて、新年の晴れ渡る空の下に広がる会場の様子が一望できた。観客席は、かなり埋まりつつあるようだ。
貴族と有力者が集まる会場といえど、一般観客席は簡素な造りになっている。しかしここ貴賓席はさすがに違って、座り心地の良さそうな立派な椅子が並べられていた。
何より中央に鎮座する、大きく豪華なふたつの席。間違いなく、皇帝皇后両陛下が座るためのものだ。
その傍らには、皇子ミハイルのための席もあった。
三大公爵家の席は、皇室御一家の左右に並ぶ形で用意されている。三つの公爵家のうち、二つの家は皇室の隣の席につき、ひとつの家だけが皇室から少し離れて左右どちらかの公爵家の隣の席につくことになる。
そこにはすでに、ふたつの公爵家の姿があった。
それぞれの家族が一団になっていて、その中心に当主、公爵の姿がある。
ユールセイン公爵ドミトリーが、こちらに微笑みかけていた。
ユールマグナ公爵ゲオルギーが、じろりとこちらへ視線を向ける。
ユールノヴァ公爵家の到着により、三大公爵家は一堂に会したのだ。
「お席はこちらでございます」
皇帝近侍長が言い、兄妹の席を示した。