その朝。
メイドのミナがいつも通りにカーテンを開き、朝日が部屋に差し込んだ。
『お嬢様、お目覚めですか』
『おはよう、ミナ』
ミナに声をかけられて、エカテリーナは身を起こす。それが、いつもの朝の流れだ。
しかし今日は、ミナはカーテンを開けた後、無言で部屋の入り口へとって返してしまった。
「ミナ……?」
目覚めたエカテリーナが、不審に思って目を向ける。
ミナは、両手にカブを掴んでいた。
なぜ室内で農産物を収穫⁉︎
いや解った!
ヤツらだ!
ミナに首根っこ、ではなく葉っぱの根元部分を掴まれて、イケメン甜菜とその相方がじたばたしている。
「お嬢様、お目覚めですか」
「おはよう、ミナ」
ミナにいつも通り声をかけられて、反射的にいつも通り返してしまったエカテリーナである。
「ちょっとこれ捨ててきます」
「す……!いえミナ、捨てなくてもよくってよ!」
「お嬢様の部屋に入ろうとしていたんで、不審植物です。捨てたほうがいいです」
不審植物。
ミナ、いつも通りの無表情で、まさかのキレのいい造語。
ただ単に、正確な言葉遣いなのかもしれない。というか正しいけど。
いや、私の部屋に入ろうとしなくてもコイツらは不審植物だと思う!そこだけ惜しい。
「料理長が味を知りたいって言ってました。厨房へ持っていって食材にしてもいいですか」
ぴー!
甜菜たちが泣く。ではなくて鳴く。
「待ってそれはダメよ!」
瑕疵を惜しんでいたらとんでもないことを言われて、エカテリーナは大慌てで身を起こした。
料理長、いつの間にそんな発言を!でも行幸の時に皇帝陛下にお出しする献立をいつもいつも考えている料理長だから、珍しい食材がウロウロしてたらそりゃ言うね!
でもスープに入ってたら泣くからね⁉︎
「ミナ、その……甜菜たちに、悪意はないわ。毎朝わたくしとお散歩していて、一度もわたくしに害を成そうとしたことはないのですもの。きっと今日は、何かわたくしに、用事があったのではないかしら」
根菜の用事ってなに。
自分の言葉に自分でつっこんだエカテリーナだったが、根菜たちが『そう!』と言わんばかりにビッ!と葉っぱをあげたので、内心コケた。
その、人語を理解しているとしか思えないリアクションが植物として不審だっちゅーねん!どう見てもカブのくせに、どの部位で言葉を聞いてどの部位で理解してるんだー。
エカテリーナの深淵な疑問をよそに、ミナに首根っこを掴まれたまま、甜菜たちはもぞもぞ動き始めた。
もぞもぞというか、やけに揃った動きで、全ての葉っぱをピンと伸ばして振ったり、足というか二股に分かれた根を上げたりしている。
……ダンス?
最後に、二匹は葉っぱを大きく広げてびしっと静止する。そんなにびしっとはしていないが、そういうつもりと思われた。
決めポーズ……?
そして。
ポン!
と音をたてて、二匹の頭上に花が咲く。
ええー!
いつの間に蕾がついていたんだ!
なんで?君たち成れずじまいとか言われる、成体になりそこなった個体だよね?なのに花は咲くの?頑張れば咲くの?
そしてやけに綺麗な花だな!前世の甜菜の花はごく地味だと聞いた気がするのに、たった今咲いた花は黄金色と呼びたい鮮やかな黄色の花びらが幾重にも重なって、福寿草かダリアのように綺麗。
確か甜菜の成体の花は、大王蜂が女王を育てるための特別な蜜の元になると聞いた気が……。
と、ともあれ。
「ミナ。甜菜たちはきっと、わたくしにお花を見せに来てくれたのだわ。もしかしたら、お祝いのつもりではないかしら。だって今日は、わたくしの誕生日なのですもの」
だから食材にしないであげて。
……誕生日の概念まで理解していたら、それはそれでなんかどうしようって感じだけど。どうもできないから安心しろ自分。無理です自分。
「……お嬢様がそうおっしゃるなら、そういうことにします」
ミナが同意してくれたので、エカテリーナはほっとする。
「こいつらは庭に放してきます」
「ええ、お願い」
「お邸には入らないように躾けておきます」
え、できるの?どうやって?
尋ねたかったが、口に出す前にミナは部屋を出て行った。両手に甜菜をぶら下げて。
ひとり部屋に残ったエカテリーナは、大きくため息をつく。
甜菜たち、前もってダンスの練習とかしてたのかしら。想像すると、ファンシーな光景と言わざるを得ない。
しかし誕生日の朝一番に始まったのが、まさかの甜菜コメディ劇場……。
これって、今日という日が楽しい日になる予兆なのか、とんでもない日になる予兆なのか、どっちなんだろう。
ミナはすぐに戻ってきた。
「お待たせしてすみません」
「いいえ。いつもわたくしの安全を守ってくれてありがとう、ミナ」
不審植物の廃棄を制止してしまったけど、ミナが侵入者を排除するのは、護衛である戦闘メイドの職務上正しい対応だもの。ありがたいことだし、雇用者側としてしっかり評価すべき。
ミナの口角がわずかに上がったようだった。
「今日の朝食は、お部屋で摂っていただいていいですか」
「あら……」
エカテリーナは公爵邸では、朝食はいつも食堂で兄と摂っている。だから少し驚いたが、すぐに気付いた。
準備があるのだろう。
「ええ、よくってよ。わたくし、今朝はあまり……邸の中を出歩かないほうが良いのね」
「それもありますけど」
言いかけて、ミナは部屋の入り口にとって返してドアを開ける。ちょうどノックしようとしていたらしいメイドが、勝手に開いたドアにフリーズした。
「入って」
「はいっ」
ミナの一言でフリーズが解けたメイドの他にも、数名のメイドたちがそれぞれワゴンを押して入ってくる。最初のワゴンは、エカテリーナの朝食を載せたもの。しかし続く二台目、三台目に載せられているものは、食事ではない。
「ミナ、これは……」
「今日の衣装と宝飾品です。お誕生日の最初の贈り物だそうです」
朝食をとった後、エカテリーナは衣装に添えられていた手紙を読んだ。
ドレスデザイナーのカミラ・クローチェからだった。
『お嬢様、十六歳のお誕生日をお迎えになり、これからますますお美しく咲き誇っていかれることと存じます!』
その後、とてもテンションの高い祝いの言葉が続いた。
祝ってくれてありがとうございます。カミラさんのお仕事が増えるきっかけになれたのは良かったですが、過労死しないようお仕事はしっかり調整してください。
『そんなお嬢様のお誕生日にお召しいただくドレスをデザインするにあたって、わたくしは悩みに悩み抜きました。そして、天啓を得たのです。お嬢様ご自身のデザインが最もふさわしいと!』
えっ?
天啓て。
いやそれより、私自身のデザインとは?
『以前ドレスデザインの方向をご相談する会で、お嬢様がデザイン画をお描きになったことがございました』
あ……あったかも。
ドレスはいつも、エカテリーナが口頭でドレスデザイナーのカミラ・クローチェに要望を伝えて、カミラが描くデザイン画を見ながらデザインを詰めていく。しかし要望が口頭で伝わり辛い時には、エカテリーナが簡単な絵を描いて説明することもあった。
『その時には、他に類を見ないものであるため別のデザインでお作りしましたが、お嬢様が主役のこの日であれば、他人の目を気にする必要はございません』
なるほど。
そのドレスは今は、メイドたちが運び込んだトルソーに着せた状態で部屋にある。
あらためてそれに目をやって、確かに皇国では他に例がないだろうな、とエカテリーナは納得した。
なにしろ、日本の和服テイストを取り入れたデザインなのだから。
これのラフスケッチ段階のものを、ドレスの案としてカミラさんに出した覚えはある。でもドレス作成の最初期、案出しの時に半ば遊びで考えただけで、本当に作ってもらえるなんて思っていなかった。
カミラさん、あんな落書きレベルの絵から現物製作にこぎつけるって、すごいなあ。平面を立体に起こす大変さ、前世のコスプレ好きの友達の苦労話を聞いていたんで、ちょっと解ります。
『今回のドレスは、お嬢様を喜ばせるものを、との公爵閣下からのご注文によりお作りいたしました。このドレスに添えて、どうすればお嬢様がお喜びになるかを考え抜いたわたくしからの、お祝いをお伝えいたします。お代のうちわたくしのデザイン料に当たるものを、針仕事で家族を養う貧しいお針子たちへの報酬に上乗せすることにいたしました。お嬢様ならそれを一番喜んでくださると、確信しているからでございます。
わたくしは、お嬢様とのご縁に本当に感謝しております。お誕生日を心よりお祝い申し上げます』
カミラさん……。
ええ、とっても嬉しいです。フローラちゃんのお母さんも、旦那さんに先立たれたシングルマザーで、お針子で生計を立てていたもの。同じような境遇の人たちがボーナスをもらって喜ぶと思うと、すごく温かい気持ちでこのドレスを着られます。
いつも素敵なドレスを作ってくれて、こちらこそ感謝しています。本当にありがとう!