349. 最初の贈り物

皇国は、今は冬。
しかし皇都のユールノヴァ公爵邸は、領地の本邸と同じく床暖房の設備を備えている。地下の数カ所にある炉で焚かれる火で生み出される温風が広大な公爵邸を巡り、足元を温めるのだ。
そのため冬でも、邸内は外よりずっと暖かい。さらに、石造りの壁にタペストリーを掛け巡らせ、暖炉に火を入れた部屋であれば、冬を忘れるほど快適な室温となる。
公爵令嬢エカテリーナの自室はもちろん、快適な温度に保たれていた。
しかし多くのメイドが出入りし、あれやこれやと美容関係の物資が搬入されたこの日。
エカテリーナの部屋には、室温とは異なる意味での、異様な熱気が立ち込めているように思われた。
部屋のドアがノックされた。
「お嬢様、お支度はお済みですか」
従僕のイヴァンの声が聞こえてくる。
「お支度はお済みです。どうぞ」
ミナが答えて、さっとドアを開けた。
ドアの向こうにはアレクセイ。イヴァンは脇へ下がっているようだ。
エカテリーナは兄に微笑みかけた。
「お兄様、お迎えありがとう存じます」
妹の姿を見た、アレクセイのネオンブルーの瞳が讃嘆に輝く。ミナが脇へ控えるとすぐ、アレクセイはエカテリーナに歩み寄った。
「我が妹エカテリーナ、十六歳の誕生日おめでとう」
エカテリーナはにっこり笑う。
お兄様に祝ってもらう、初めての誕生日。嬉しい!
「祝ってくださってありがとう存じます。そして、素敵な贈り物へもお礼を申し上げますわ」
両腕を広げて、エカテリーナはくるりと回って見せる。長い袖が翻り、絢爛豪華なアクセサリーと銀糸の刺繍がきらめいた。
「ああ、私のエカテリーナ。お前は今宵も、この上なく美しいよ」
アレクセイの言葉は、ため息のようだ。
「私は女性の装いに詳しくないが、その衣装が他に類を見ないものであることは解る。新奇で、それでいてどこか古風な奥ゆかしさがあるね。
……お前はまるで、昔お祖父様にいただいた万華鏡のようだ。見るたびさまざまに姿を変え、あらゆる瞬間がきらきらと輝かしい。夢中になって見つめずにはいられない」
「お兄様のお気に召したなら、嬉しゅうございます」
日本の着物テイストを取り入れた珍しいデザインを、選んでくれたカミラさんに感謝!
お兄様がこのドレスを古風と感じるのは、この世界でもかつて、女性の衣装の袖が大きく目立つものだった時代があるからだろう。前世のヨーロッパでも、中世の初期とかそうだったはず。ガウンドレス、とかいう名前で。正統派ファンタジー映画のエルフの王族の衣装とかに、そのテイストのものも多かったような。振袖の袂のようなこの袖とは、形状は違うのだけど。
ドレスの色は冴え冴えとしたアイスブルー。『天上の青』の新色だ。
そのアイスブルーに、きらめく銀糸で大小さまざまな雪の結晶が織り出されていた。刺繍ではなく、生地そのものに織り込まれているのだ。
着物のように右前で合わせる形のドレスの、その左肩から胸元にかけてと袂のような長い袖とに、数輪の藍色の薔薇が、こちらは刺繍で大きく描き出されている。織り込まれた模様より刺繍のほうが、より立体感を持って浮かび上がって見える。
薔薇は初夏の花だ。しかしここでは、氷の花のような雪の結晶たちにかしずかれ、時を止めて咲き続けている。青薔薇は薔薇を愛する者たちの夢、枯れることなく咲き続ける薔薇も夢。夢の夢なる光景が、精緻に描き出されている。
そしてこの図案は、氷属性の魔力を持つ兄アレクセイに守られるエカテリーナを表しているに違いない。
ブラコンとして嬉しいです。私のブラコンをとっくにがっつり理解してくれているカミラさんに感謝!
ドレスは下にスカートを着用して、カミラがガウンと呼ぶ着物っぽいパーツを羽織り、着物の帯のように幅広なベルトで留める構造になっている。着物っぽいパーツには宵闇色の半衿のようなものが付属していて、アイスブルーの下にもう一枚、宵闇色の着物を着ているように見えるが、実際に着ているのは普通の下着シュミーズだ。下半身は着物っぽい印象はなく、ガウンは腰の後ろへからげて前を開き、宵闇色のスカートを見せる。今の時代のドレスとして一般的な形状だ。
宵闇色のスカートの裳裾には、金糸で薔薇と小鳥が刺繍されている。完全に季節違いだが、宵闇色はエカテリーナの藍色の髪色を表すものなので、エカテリーナの周囲には常に春の希望が満ちあふれている、とかいう感じのアレクセイのシスコンの表れだろうとエカテリーナは想像する。
でも仕方ないよねお兄様シスコンだから!お兄様は無罪!
着物の帯に似た幅広のベルトは、純白に金糸で模様が織り出された絹織物で作られている。エカテリーナが初めて身に纏う、『神々の山嶺』の向こうから来た渡来品だ。模様は細かな草花文様、遠い国のものだけに、ほんのりエキゾチックな印象がある。前世にあった更紗文様という、インドや中東の影響を受けた模様に似ているような。
そのベルトの背後には、同じ絹織物を翼のような形に飾り結びにしたものを取り付けるようになっていた。
……私のラフスケッチでは、帯は後ろで飾りになるよう結ぶ、とかなんとか雑に書いていたような記憶があるんですが、それを現実に落とし込んでこれだけ着物っぽい見た目にしてくれたカミラさんはすごいです。
しかし、この帯。
金糸の文様のところどころに、アクセントとして黄金色の真珠が縫い付けられておりまして、上品な華やかさなんですが……。
おそらくですがこの真珠、文様のアクセントなんて使い方しちゃダメなやつ!
だって真珠の養殖技術なんて存在していないこの世界だもの、天然真珠ですよ。そして黄金色も塗ったわけではなく、天然の色ですよ。前世でも天然のゴールドパールなるものは存在していたので、間違いないと思う。
そしてベルトの留め金部分は、ダイヤモンドが散りばめられていてキラッキラなんですよ……。
前世でも、着物より帯のほうが高価であることは珍しくなかった気がしますが、これほんとおいくらなんでしょうか!
まあ、帯にびびっている場合じゃないんですけどね。ドレスとは別に、宝飾品もありましてね。
イヤリングと簪をいただきました。
これらも雪の結晶を模したデザインなんですが、びっしりダイヤモンドでそれはもうキラッキラです!
それだけでも博物館収蔵クラスだと思うんですが、どれも中心に、一センチくらいの大きさの青い宝石が輝いておりましてね。最初はサファイヤかと思ったんですが、輝きが違うような気がしてよく見たら。
……ダイヤモンド特有の、虹色の輝きがあるんですよ。
ブルーダイヤモンドだったらどうしよう!ダイヤモンドは実は宝石としてはそれほど稀少性が高いわけではなく、それでも貴重なイメージがあるのはダイヤモンドの流通を握る某社が仕掛けたイメージ戦略のおかげ、という前世の知識があるんですが。
ブルーダイヤモンドの稀少性は、戦略抜きのガチなはず!
周囲のダイヤも含めた総カラット数とかも考えてしまうと、前世だったらこれらにどんだけのお値段がついてしまうのか、想像もつきません!
そんなものが自分の耳にぶら下がったり頭に挿さったりしていると思うと、気が遠くなりそうですよ。
ユールノヴァ公爵令嬢という身分は、小国の王族に匹敵というか時として勝るとは知っていますが、誕プレにこんな凄すぎるものをもらってしまっていいものでしょうか。
とはいえ。
ユールノヴァ領は宝石の産地で、このダイヤモンドもおそらくうちで採取されたもの。
以前、皇室御一家の行幸をお迎えした時に、今は豪華な宝石があまり求められないと鉱物マニアのアーロンさんが嘆いていた。だから、私が無料広告塔として宝石を身につけて、皇国のファッション界に流行らせて欲しいと。
これから皇都の社交界に出る話もあったし、そこでこれを身に着ければ、やっぱりダイヤ素敵!って思ってもらえて公爵家の役に立てるかもしれない……。
が、頑張ろう。
ちなみにこの世界では、エカテリーナが最初に雪の結晶と思った図案は雪ではなく、『氷花蜂』と呼ばれるものの姿を模している。
『氷花蜂』は北方の厳冬期にのみ現れる、不思議な生命体だ。形状は雪の結晶そのもの、しかし大きさは指先ほどはあり、肉眼でその形が見て取れる。蜂と名がついているのは、女王らしき個体が群れを率いているとされているためで、その女王は手のひらサイズの巨大結晶なのだそうだ。
翅などないのに空中を浮遊し、夜明けの雪原で女王と無数の配下がきらきらと輝いて飛び交う様子はえも言われぬ美しさらしい。捕らえるとたちまち溶けて消えてしまうそうで、詳しい生態は謎に包まれているが、美しくも不思議な形状が氷の花と呼ばれて、意匠として人気があるのだった。
その姿が雪の結晶そっくりであることは、皇国ではまだ知られていない。顕微鏡が発達していないこの世界では、雪の結晶の形はまだ人々に知られていないのだ。
……前世では江戸時代に雪の結晶が雪華紋様と呼ばれて人気を博したことがあったそうですが、それは江戸時代のどこかの藩主が顕微鏡で雪の結晶を見ては形を描き留めるのをライフワークにしていて、それをまとめたものを出版したことから広まったはず。
前世より顕微鏡の発達が遅れている皇国で、なぜ雪の結晶が図案として知られているのか不思議だったんですが。理由を知って納得しつつも、『氷花蜂』が不思議生物すぎてびっくりでしたよ。
まあ甜菜だってたいがい不思議生物ではありますけどね。
雪の結晶にはいろんなバリエーションがありますが、『氷花蜂』も個体ごとに姿が少しづつ違うそうで、ますます不思議。
ともあれ、ユールノヴァ領にも『氷花蜂』は生息しているし、めったに見られない稀少性から縁起がいいとされているそうなので、この氷花文様は私の冬の装いにはぴったりの意匠なんですね。
アクセサリーの金額が怖くて、うんちくに逃避するエカテリーナであった。
「わたくしが輝いて見えるのでしたら、それはこの素敵な簪や耳飾りのおかげですわ。素晴らしい贈り物を、本当にありがとう存じます。わたくしの身には過ぎているのではと、案じられるほどですわ」
ついエカテリーナが最後に不安を漏らしてしまうと、アレクセイは目を見開いた。
そして笑って、妹の手を取る。
「身に過ぎるなどと、そんなことがあるものか。お前は天で月よりも輝く明星だ。だから地上で儚く輝くものたちが慕い寄る、それだけのことだ。石ころに過ぎぬものがお前の輝きを引き立てる栄誉を得られて、さぞ光栄に思っていることだろう。哀れに思って、侍らせてやりなさい」
「お兄様ったら」
お兄様の貴族男子の教養からくる美辞麗句はいつもすごいけど、皇帝に次ぐ財力を誇る王侯貴族ならではの贈り物の豪華さ、さらに超稀少なブルーダイヤモンドをサラッと哀れな石ころ呼ばわりする壊れた金銭感覚じゃなくて鷹揚さの破壊力よ……。
でもお兄様がそう言ってくれるなら、私もお値段を忘れてただ喜ぶことにします。だってそのほうがお兄様が嬉しいはずだから。ブラコンとして、お兄様の喜びが最優先だぞ自分!
でもって、無料広告塔の役目も頑張ろう。
「さあ、おいで。お前の誕生日を祝うために、お前を慕う人々が集まっている。その美しい姿を見せて、客人たちを喜ばせてあげよう。たくさんの贈り物も、お前を待っているよ」
「はい、お兄様。わたくし、楽しみでなりませんわ」

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