347. 未知の分野へ

善は急げ。
というわけで、エカテリーナは早速アレクセイに時間を取ってもらった。我ながらヘアピンカーブな路線転換、とか思いつつ。
「お兄様、お時間をいただいて申し訳のう存じます」
アレクセイの執務室で二人で向かい合い、エカテリーナは頭を下げる。アレクセイが微笑んで手を差し伸べ、優しく頬に触れた。
「私のすべてはお前のものだよ、私の女王。時間ごときで詫びる必要などあるものか」
「お兄様ったら」
エカテリーナはつい笑ってしまう。
「お兄様は当主でいらっしゃいます。わたくしはお兄様の臣下ですわ」
「いい子だ。だがそれでも、私はお前のしもべなんだ。私のエカテリーナ、悩みがあるなら話してくれ。お前の心に憂いがあると思うと、己が許せない心地がする」
さすがシスコンお兄様。
それにしてもお兄様、私がうだうだ考え事をしていたことに気付いていたのかしら。心配をかけていたのなら申し訳ないなあ。
お兄様、いつも愛してくれてありがとうございます。暴発が怖いとかなんとか思って、ちょっとだけ引いてしまっていてごめんなさい。
エカテリーナは自分の頬に触れるアレクセイの手を取って、両手できゅっと握った。
「お兄様。わたくし、お兄様の妹に生まれて幸せですわ」
アレクセイのネオンブルーの瞳が、優しく和む。エカテリーナの手を、そっと握り返した。
「ありがとう。お前という妹を持って、私も幸せだ」
ブラコンシスコンの通常運転な会話に、エカテリーナは少し気持ちを楽にする。この会話で気持ちを楽にしていいのか、よくわからないような気もしたが。
ともあれ、エカテリーナは話し始めた。
舞踏会のラストダンスでの一幕で、うまく対処できなかったことがずっと気にかかっている。
これからもユールノヴァ公爵令嬢としてマグナと対立してゆくのに、自分が家の弱点となり迷惑をかけてしまうのではと、心配でならない。
ついては政治的な対処をサポートしてくれるような、そういうことに明るい人材を探したい。
……ユールマグナ派の魔法学園の生徒会選挙に向けての動きを気掛かりに感じていることは、言わなかった。そこはやはり、愛する兄の世界一のシスコンがどう反応するかわからないので。
エカテリーナの話をアレクセイは最後まで聞き、ひとつ嘆息した。
「これは私の失態だ。お前にそんな誤解をさせてしまっていたとは」
「誤解……とおっしゃいまして?」
「そうだ。お前はラストダンスでの出来事に対処できなかったと言ったが、あの状況においてはお前の対応は最善手だった。迷惑をかけるなどと気に病む必要は、少しもないんだ」
アレクセイの言葉に、エカテリーナはただキョトンとなる。
ええー……。
だって私、何もできなかったですよ?
お兄様シスコンだから、私を美化してそう思っているだけなのでは。
「お前の身を流れる誇り高き血を疑う、極めて愚かな暴言があった時には」
一瞬、アレクセイの瞳が底光りした。が、思い出し激怒を抑えて言葉を続ける。
「お前自身は相手にせず、他の者に任せる形になった。それがあの場合の最善だ。お前自身が反論しても、ああいう類の者は聞き入れずお前を愚弄し、周囲の者にもある程度は疑念を抱かせることに成功したに違いない……」
自分の言葉で思い出し激怒が抑えきれなくなり、室温を下げるアレクセイ。
「やはり叩き斬っておくべきだった」
「おやめくださいまし。お兄様の剣を汚す価値など、あの者にはございませんもの」
思わず、あのアホの子男子より兄の愛剣を庇うエカテリーナである。
それで思い出した。ユールノヴァ領の祝宴で、抵抗勢力ノヴァダイン家の者の生命より兄の愛剣を庇ったことがあった気がする。
「思い出しましたわ。領地の祝宴で偽りの婚約を持ち出そうとしたノヴァダインへの対応を、お兄様は法律顧問のダニール様にお任せになりました」
「そうだ。それが効果的だから、そうした」
お兄様自身もそう対処していたのだから、確かに最善手だったのか……お兄様と違って私の場合は結果的にそうなっただけだけど。
エカテリーナは納得し、思い出し激怒から持ち直したアレクセイは話を続けた。
「ノヴァダインの動きは予測できていたが、舞踏会の暴言は予想外だった。にもかかわらず、クローエルとセレズノア嬢が見事な正論で対応してくれた。クローエル侯爵家はユールノヴァに近い立場ではなく、セレズノア侯爵家に至っては敵対していた間柄だ。それゆえに彼らの言葉は周囲を納得させる説得力を持っていたが、そんな彼らを味方にしたのは、今までのお前の行いだった。それも含めて、お前は最善の手を打っていたと言える」
あ、ラストダンスの時だけに限定しない話なのか。
それは、リーディヤちゃんはまあ……生徒会長とも、パートナー詐欺師対策でいい関係を築けたとは思いますけど……。
「そして、ウラジーミルにラストダンスを申し込まれた時、お前はその危険性にすぐに気付いた。お前ほど聡明でなければ、うかつにダンスに応じて婚約したと見なされるか、強くはねつけてあちらに敵対行動に出る口実を与えるか、どちらかに陥っていただろう」
いえ、あの危険性は気付いて当然では!
……あれ、でも、もしかしてそうでもない?もし私に前世の記憶がなかったら、慣習が持つ力の怖さをわからずに、ラストダンスはただの慣習だと言われて納得して踊っちゃったかも?
思えば、学園で接する同級生たちって、貴族といえどもまだ子供だなあって感じることが多いんだった。公爵令嬢としてあるべき育ち方をしたとしても、十五歳は十五歳でしかなかったかもしれないなあ。あとちょっとで十六歳だけど。
ところでダンスの申し込みについては最終的に皇子に助けられたんですが、お兄様は生徒会長とリーディヤちゃんが助けてくれたことは言っていたのに、皇子には触れないんだなあ。なんといっても将来の主君だから、諌めるべき時は諌められるよう、あまり褒めないようにしているとか?
いやどうだろう。
などと考え込んでいるエカテリーナを見て、アレクセイはふっと笑う。
「だが、お前が望む政治的な面での相談役は、手配しよう。十分な吟味が必要だから時間がかかるだろうが、そこは許してほしい」
「お兄様、ありがとう存じます!」
確かに、身元調査とか完璧にする必要がありますよね。その役目にマグナの息がかかった者が入り込んだら……最悪の最悪ですわ。
「それまでは、領地のアデリーナ様に手紙でご相談しようと思いますの。ノヴァク様の奥様ですもの、最も信頼できる方ですわ。お許しいただけまして?」
「勿論だ、この上ない人選だな。いっそ夫人を皇都へ呼ぶか」
思案顔のアレクセイに、よっしゃ言質いただきました!と思いながらエカテリーナは首を横に振る。
「いえ、アデリーナ様は領地の重要な存在と存じます。皇都の社交界は、あまりご存じないと思いますし」
「そうだな」
アデリーナが領地での情報戦で重要な役割を果たしていることは、勿論アレクセイも認識しているので、エカテリーナの言葉にうなずいた。
「それから、ノヴァクやハリルが進言していたが、お前はそろそろ皇都での社交に顔を出してもいい頃合いだそうだ。それがお前の、公爵令嬢としての体面を築くことになると」
「社交……」
反射的に引きそうになるエカテリーナ。
しかし、ぐっとこらえた。
そうですね、あのアホの子男子が私をディスった時、つくづく思ったもの。私が偽物だなんて与太話をあのアホの子が信じてしまったのは、私が公爵令嬢として普通ではないから。公爵令嬢なら当たり前の社交を幼少時からこなしていたら、あのアホの子でもさすがにそんな与太話は信じなかったはず。
あらためて、公爵令嬢エカテリーナ・ユールノヴァという存在を、皇都の社交界に築かなければならないんですね。
前世の社会人経験が通用しない未知の分野だけどー!わーん!
「頃合いと言ったが……本来ならば、お前の社交についてはとうに進めておくべきだった。しかし、私自身が社交を苦手としているために、お前にふさわしい交流をさせてやれなかった。それが舞踏会でのことの遠因とも言えるだろう。すまない」
皇国の貴族の社交は、男女が揃って行うのが基本だ。未婚の令嬢なら最初は身内がエスコートするもの、アレクセイがいなければエカテリーナはパーティーなどに出入りすることはできない。
「そのような……!学業やお家のお仕事を優先されるのは当然ですわ、お兄様はお悪くございません!」
エカテリーナは断言する。
だって本当に悪いのは親父とあの極悪祖母ですから!お兄様は被害者です!
するとアレクセイは、困ったような照れたような顔で言った。
「お前は少し、私に甘すぎるのではないかな」
きゃー!お兄様、なんか可愛い!
いや落ち着け自分。
「お兄様が、ご自分に厳しすぎるのですわ。わたくしはそれを正すため、お兄様をうんと甘やかさなくてはならないと存じます。それが、天の定め給うたわたくしの使命なのですわ」
「そうか」
澄まし顔で言う妹に、アレクセイは笑いをこらえる表情だ。
「新年には、恒例の祝賀の宴が皇城で催される。私と一緒に登城しよう。主な貴族たちが顔を揃えるから、皇都でのお前のお披露目に丁度いいだろう。
だがまずは、お前の誕生祝いだ。ささやかな内輪の会になるが、お前を愛する者たちがお前が生まれた日を祝う。楽しんでもらえることを願っているよ」
「ありがとう存じます、お兄様。わたくし、楽しみでなりませんわ」
私、前世ならクリスマスにあたるような時期に生まれているので、新年まであと少しですもんね。皇国にはクリスマスはないけど、代わりに自分の誕生日でお祝いしてもらえるっていい。
お兄様に祝ってもらう誕生日。
テンション上がってきました。とっても楽しみです。

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