345. 相談

「お嬢様。ミハイル殿下が、急ぎの用でしばらく領地へ行くそうです。お昼に会えなくなるけど心配しないでほしい、って伝言をルカが持ってきました」

寮で朝食を摂っている時にメイドのミナからそう言われて、エカテリーナは目を丸くした。

ミハイルの領地は、『青蝶の領』と呼ばれる皇室の直轄地のひとつ。皇国に第一皇子が誕生すると、この領地が与えられると決まっているそうだ。皇子が幼いうちは代官が領主の役目を担うが、十二歳くらいになると、皇子自身が領主として統治するべく学び始めるという。

十六歳の現在、ミハイルはすでに領主として『青蝶の領』を治めているが、まだ代官も補佐についているはず。それなのにミハイル自身が、急ぎ領地へ向かったとは。

何が起こったのだろう。

「まあ……急にそのような。ご領地で何か、災害でも起きたのでなければいいのだけど。ミハイル様の御身に危険が及ぶようなことがあれば、大変」

「すぐ戻るそうです。だから、お嬢様は心配しなくて大丈夫だと思います」

いつものぶっきらぼうな言い方だが、エカテリーナを心配させまいとする、ミナの気遣いが感じられる。

だから、エカテリーナは微笑んだ。

「そうなのね。そうね、ミハイル様を危険にさらすようなことを、皇帝皇后両陛下がお許しになるはずがないのですもの。きっと、すぐにお戻りになるわね」

うん。皇子のことだから、本当にすぐ帰ってくるに違いない。我ながら最近、皇子への信頼が妙に厚いなあ。妙にも何も、庇ってもらったりしているからだけど。

それはそうと、伝言を『ルカが持ってきた』とミナは言っていたけど、女子寮の周辺は男子の出入りは厳重に禁止されているはずよね?

男子生徒だけでなく教師さえ、男性は女子寮に立ち入らない。

前にもルカが、皇子からの伝言をミナに伝えてくれたことがあったような。従僕は女子寮に立ち入ってもいいのだろうか。

エカテリーナがそんな疑問を抱いたのは、寮の部屋を出てフローラと共に登校している時だった。

だから、ミナに尋ねて疑問を解消することはできず、その後はとりまぎれて疑問を忘れてしまった。

もしミナに尋ねていたなら、幻術が得意なルカが遠隔操作できる影を送って言葉を伝えてきたことを、あっさり教えてくれただろう。

そしてエカテリーナの厨二心が、激しくうずいたことだろう。

幸か不幸か、そうはならなかった。

「ミハイル様が」

エカテリーナがミハイルの不在を伝えると、フローラは目を見開いた。

「こんなに急にいらっしゃらなくなるのは、珍しいですね」

実は今までにも、ミハイルが授業を休んで皇城へ帰ることはあった。重要な国家行事に参加するためだ。

逆に言えばミハイルは、それ以外の理由で授業を休んだことはない。

「よほどのことが起きたのではと、案じられますわ」

「そうですね……」

同じく心配そうに相槌を打ったフローラだが、ふと何かに思い当たったような表情をした。

「もしかして、エカテリーナ様への……」

「えっ?」

フローラの呟きに、エカテリーナは驚く。

まさかフローラちゃん、皇子が急に領地へ行った理由に心当たりがあるの?

「あ、いえ」

エカテリーナの反応に、フローラは慌てた様子で首を横に振った。

「ただその、エカテリーナ様のお誕生祝いが……つまり、ミハイル様のお戻りが間に合わないのではないかと、それが気になっただけなんです」

「そうでしたの」

エカテリーナはあっさりと納得する。いつも清く正しいフローラへの信頼は、絶大なのだ。

そのフローラが、こんなことを訊いてきた。

「エカテリーナ様は、お誕生日にミハイル様がいらっしゃらなかったら、寂しいですか?」

エカテリーナは目をしばたたく。

「それは……ええ、もちろんですわ。よき友人なのですもの」

この答えをミハイルが聞いたら、さぞ複雑な心境になるに違いない。

「近頃はわたくし、ミハイル様にたいそうお世話になってしまっていると感じておりますの。困りごとの相談に乗っていただいたり、舞踏会では助けていただいたりしておりますでしょう」

本当にね、以前は破滅フラグの化身とか思っていたくせに、勝手なもんですよ。

実は生徒会選挙の気掛かりも、皇子に相談できたらいいんだろうなと思ってしまう。私と違って昔から貴族間の争いというものに、知見があるはずだから。

いやでも、しないけどね。皇子は、ユールノヴァとユールマグナの政争については、どちらかに肩入れするわけにはいかない立場なんだから。

なので、皇子ではない誰かに相談すべきなんですが……その誰かを誰にするかが、実は大問題なんですよ。

相談は、報連相のひとつ。

すなわち、社会人の基本にして、永遠のテーマ。

相談というのも、これでなかなか奥が深いと思う。誰に相談するかで、疑問解消の早さや深さが変わり、問題解決へのショートカットが可能になったりするので。

自分が抱えている問題への解像度の高い人、知見が豊かな人を見極めて相談するのは、とても大事。

そしてもうひとつ、自分とその問題への温度感を共有してくれる相手であることも、とても大事なんだよね……。

私がまず相談すべきは、お兄様なんですけどね。私の学園生活がユールマグナのせいでちょっと息苦しくなる懸念をお兄様に相談すると、思わぬ暴走を引き起こす予感しかなくて相談できません!温度感を共有できそうもない。

だってお兄様は、世界一のシスコンだから!

私だってお兄様が不快な思いをするのは許せないもん。お兄様は自分のことには無頓着だから、私がそのぶんも怒らないと。私だってブラコンですから!目指せ宇宙一!

考えがだんだんずれてきたエカテリーナだったが、フローラに言われて我に返った。

「エカテリーナ様は、悩み事をミハイル様に相談したいと思っていらしたんでしょうか。生徒会選挙に絡むこととか……」

はっ、見抜かれたか。

まあ当然かも。学園にいる間はほとんどの時間を、フローラちゃんと過ごしているもんね。

「ええ。ですけれど、最初からミハイル様にご相談できることではありませんでしたの。さりとて、どなたか他の方に、と思ってもなかなか難しいのですわ」

ただもやもやと気がかりというだけなんですが、前世のSE時代にこういう感覚があると、だいたいシステム障害の種が潜んでいましてね……。

とはいえ、前世のシステムと違って、専門ではない分野のこと。知識や経験が伴わないので、我ながら信頼度は低い。

私としては、ユールマグナよりの生徒会が誕生するのを断固阻止したいというわけではないのよ。ただ、それがユールノヴァにとって真に憂慮すべき事態に繋がる可能性があるかどうか、それをジャッジしたい。

それができそうな人を、私なりにいろいろ考えたんですよ。

魔法学園生徒会を経験している、アーロンさんがおそらく最適解ではないかと。でも、お兄様ではなくアーロンさんに相談したことがバレたら、なんかすごい迷惑になりそうで。ていうか執務室の幹部の皆さん全員、シスコンウィルスに感染している疑惑があって、お兄様同様に暴走が怖い。温度感が共有できなさそう。

ならば別のカテゴリーで、現生徒会長とか、貴族の争いに慣れていそうなリーディヤちゃんとか考えてみましたが……。

二人とも優秀とはいえ、アラサー社畜目線で見ると、まだ若い。ユールノヴァにとって真に憂慮すべき事態に繋がる可能性があるか、を判定できるかというとどうかなあ。

こんなにウダウダ考えてないで相談くらいサクッとしてしまえば?とも思うのだけど、万一話が漏れて、私が生徒会選挙を気にかけていると噂になったりするのもアレだし。

などと考えているエカテリーナに、フローラが言った。

「エカテリーナ様、実は」

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