公爵邸で過ごす週末でのエカテリーナの日課に、朝の散歩が加わった。
「おはよう、レジナ」
以前より早めに起きて、犬舎にいるレジナたち猟犬に会いに行って、一緒に散歩をする。
歩く範囲は公爵邸の庭園内だけだが、なにしろ広いので立派に運動になるのだ。エカテリーナにとっては。
しかし、超大型犬であるユールノヴァの猟犬たちが必要とする運動量は、尋常なものではない。お嬢様とのそぞろ歩き程度で満足させられるはずもなく、ただエカテリーナが大きくてかっこ良くて賢いモフモフの犬たちと触れ合って楽しく過ごすだけの時間である。
それでエカテリーナもアレクセイも魔法学園の寮に帰って不在となる平日に、レジナたちは騎士団の騎士たちと共に郊外で駆け回ったり、鍛錬に加わってガチンコ勝負をしたりして、しっかり運動させてもらっている。ユールノヴァ領では、魔獣掃討で騎士たちと猟犬が連携することはよくあるそうだ。お互い慣れているのだった。
そうやってエカテリーナが犬たちと散歩をしていると、いつの間にやらイケメン甜菜とその相方が横をてくてく歩いている。
エカテリーナが視線を向けると、おはよう!とばかりにぴっと葉っぱを上げてくる。
「……おはよう」
根菜と挨拶し、根菜と散歩する悪役令嬢、エカテリーナ・ユールノヴァ。
いやおかしいだろ。
ほんとにさあ、なんなの、君たち。
などと思いながらも、食事でスープにカブが入っていたりすると、うっかり収穫されてしまったイケメン甜菜たちだったらどうしよう、としばし凝視してしまうエカテリーナであったりする。
「お嬢様、こちらは通常のカブでございます。ご安心を」
執事のグラハムにそう耳打ちされるに至って、公爵邸の使用人たちに『お嬢様はたいそう甜菜をかわいがっておられる』と認識されてしまっているのに気付くのであった。
いや違うんですけど。イケメン甜菜たちに感じているのは、なんというかくされ縁みたいなものであって、決して愛情を持っているわけでは。なんで根菜を愛玩してることになっているの私。
解せぬ、以外に言い表せない気分になるエカテリーナである。
そして他にも、エカテリーナの日々に加わった行動があった。
図書室通いだ。
エカテリーナの誕生祝いが終わるまでは、公爵家の女主人としての仕事をグラハムに任せることになっているので、時間が余る。
それで、ユールノヴァ家代々の膨大な蔵書が並ぶ図書室にせっせと通い、歴史書を読みふけっているのだった。
前世から歴女だったエカテリーナだから、好きで読んでいるのではある。そして、エカテリーナの誕生祝いの準備中である公爵邸で、皆がまだエカテリーナが知らないでいてほしいと思っているものを見聞きしてしまわないための避難でもある。
けれどそれだけではなく、歴史に学ぶことで、高位貴族の一員として政争をいかに闘うかの、ヒントを得られないかと思っていた。
だってねえ。私、全然役に立てないんだもの。
舞踏会で、ラストダンス前に婚約破棄男子に攻撃された時は、ほぼ何も言えずに突っ立っていただけ。お兄様とリーディヤちゃんや生徒会長が反論してくれるのを、聞いていただけ。
ウラジーミル君とラストダンスを踊る瀬戸際になった時には、自分ではどうにもできずに皇子に助けてもらって。
あー……私ってマジ無能。
舞踏会のラストダンスを思い出すたび、エカテリーナは絶賛へこむ。
高位貴族の争いに慣れなきゃ、公爵令嬢としてそこに参戦できるようにならなきゃ、って思い始めてから早数ヶ月になるのに、その方面では一ミリも成長できた気がしない。
そして舞踏会では狙い撃ちされ、今はユールマグナの息のかかった男子が次期生徒会選挙に向けて着々と足固めをしているのに、いかに対処すべきか判断がつかないまま。
本当にあれ、どうするのが正解なんだろう。
ユールノヴァとユールマグナの対立って、主戦場は決して魔法学園ではない。ここで彼らが何をしようと、両家を巡る情勢は、ほとんど変わらない。
ユールノヴァとして自分の側の候補者を立てるとか、そんなことをする必要性があるとは思えないんだよね。
まあ、ユールマグナ寄りの生徒会になると、一年間の学園生活がちょっとめんどくさいというか、息苦しい感じになってしまうとは想像できるけど……普段の学園生活に、生徒会はそれほど影響してはこないもの。
それに自分の側の候補者を立てると言っても、あちらは二年生でこちらは一年生。生徒会への立候補は二年生が中心で当然。
二年生はユールマグナ派が多数で、こちら寄りの候補者といっても……そりゃ二年生全員がユールマグナ派というわけではないけれど、選挙で当選できそうな人望とか考え合わせると、難しいのではなかろうか。
ユールノヴァ公爵家が本気を出せば可能な気がするけど、それだけの手間暇をかける意義が見出せない。私の学園生活がちょっと息苦しくなるからって公爵家に本気出して生徒会選挙に手出ししてもらうって……アホかっちゅー話ですよ。
……とはいえ、あの候補に、色気美人のザミラが絡んでいるのが不気味ではあるんですけどね……。
何が狙いなのかわからないのがね……。
やっぱり私って無能……。
リーディヤちゃんと対立したときには、前世の社会人の知識や経験を、それなりに活かすことができたんだけどなあ。あの時と違って、ザミラやウラジーミル君の動きはユールノヴァvsユールマグナという大きな対立の一端だし。選挙対策なんて社会人経験では歯が立たないし。民主主義の日本で選挙に投票したことはあれど、立候補者を立てて当選のお膳立てをしたことなんて、一度たりともございませんよ。
民主主義の国で育った庶民の感覚からすると、公爵家の権力で当選者を操作するなんてすごくダメだと思っちゃうな……。
ちゃんと、人柄とか政策とか実績とかを見定めて、未来を託せる相手に投票するのでないとね。たかが一票、されど一票。
うん、この場合、前世の記憶は高位貴族の政争には役立たず。むしろ足を引っ張る方向に働いてしまうわ。
図書室通いも、実はそれほど期待していない。戦争の戦術なら書かれている本はあるけれど、政争でどう対処すべきかが具体的に書かれているものは、無きに等しい。ええ、わかっちゃいました。でも建国四兄弟のエピソードを読むのが楽しいです。
うーん、こうなったら。
相談してみようかしら。