「それでは大叔父様、アイザック博士はずっとそのガラス工房にお通いですの?」
「ええ、職人たちともすっかり仲良くなられて……一般的な歓待とはずいぶん違うとお思いでしょうけれど、ご本人が楽しんでくださるなら何よりと思っておりますの」
教室でマリーナ・クルイモフに尋ねられて、エカテリーナは苦笑しつつうなずいた。
「学識深い方の楽しみとは、独特なものですのね。正直に申し上げればわたくしなどには、何が楽しいのかさっぱり解りませんわ」
体育会系令嬢のマリーナは、あっけらかんと言って肩をすくめる。
二人の会話を聞いていたフローラが、ふと思いついたようにマリーナに尋ねた。
「マリーナ様なら、皇都に来た時にどんな風に歓待されると嬉しいですか?」
「歓待?そうですわね、やはり皇都にしかない洒落たドレスやアクセサリーを見たり、選んだりできれば嬉しいですわ」
いかにもキラキラ令嬢らしい答えを返して、マリーナはふっと笑う。猫も三枚くらいは装着だ。
エカテリーナは微笑んだ。
「クルイモフ伯爵家のご領地であれば、さぞ栄えておられましょう。皇都より素敵なものがありそうですわ」
「とんでもない!我が領地は、なんでも実用一辺倒ですのよ。馬具も飾りひとつないものばかりで、悲しくなりますわ。その点、皇都は手綱や鎧まで彫刻や宝飾がついた素敵なものが!見ていて心躍りますわ!まあそういうものは耐久性に欠けるのは、実感しておりますけれど。でも楽しいのですもの」
ドレスやアクセサリーの話よりはるかに早口で語るマリーナである。この瞬間に離脱した猫は一枚くらいかな、ドレスより馬具に夢中だなんてマリーナちゃんは馬が大好きなんだなあ、お洒落な馬具に心躍っちゃうなんて可愛いね、等と思いながらエカテリーナはにこにこと聞いている。
と、マリーナがため息をついた。
「思い切って、とってもお洒落な鞍を注文しましたの。でも、もうすぐ領地から父が来るのですわ。すぐ壊れそうな飾りのついた鞍を注文したと知られたら、きっと盛大に馬鹿にしてくるに違いないと思うと、今から憂鬱ですの」
「クルイモフ伯が、皇都にお出でになりますの?」
エカテリーナは目を見張った。
つい驚いてしまったのは、クルイモフ伯爵は皇都での政争とは距離を置いて、領地で自ら魔獣馬の育成に努めている印象が強かったからだ。
しかし、エカテリーナはすぐに思い直した。
「皇帝陛下の御馬係でいらっしゃるのですもの、きっと、その御用なのですわね」
「そうと聞いてはいないのですけれど、そうかもしれませんわ。魔獣馬を皇都に連れてくるそうですので。ヴェントゥスという若駒きっての駿馬や、滅多に領地の外には出さない牝馬まで来るそうですのに、詳しいことはちっとも教えてもらえませんのよ。父はこのところわたくしの手紙にはろくに返事もくれないで、兄とばかりやりとりして。ずっと頼んでいることも、知らぬ顔ですの」
マリーナはちょっと拗ねている感じだ。
ヴェントゥス……古代アストラ語で風のことだったっけ。さぞかし速く駆ける馬なんだろうな。
まあ、魔獣馬は最高の軍馬であって、その動向は皇国の機密事項ということなんだろう。それなのに拗ねちゃうマリーナちゃん、強火のブラコンでお兄さんのニコライさんルートにおける悪役令嬢の可能性が高いんだけど、ファザコンも入ってるのかしら。
とエカテリーナが思った時、フローラも何か思うことがあったのかマリーナにこう尋ねた。
「お父様とニコライ様は、似ておられますか?」
「兄が老けたら父になると思いますわ。そっくりですの」
そっかーマリーナちゃんブラコン兼ファザコンかー。マリーナちゃんとニコライさんのお父さんだもの、うちのアレな親父と違って立派な人なんだろうな。娘にちょっとウザがられているのも、むしろ健全な父娘関係かも。
クルイモフ伯爵なら、本人の愛馬も魔獣馬なんだろう。ニコライさんそっくりなイケオジが、角と牙を持つ魔獣馬を颯爽と駆っている姿、さぞかっこいいだろうな。
でも、お兄様が魔獣馬を駆る姿は、さらにかっこいいに違いないですけどね!
世界一かっこいいに違いないですけどね!
イケオジ伯爵!どうかお兄様に、魔獣馬を贈ってください!
内心で、両手を口に当てて全力で叫ぶエカテリーナである。
あ、思い出した。
「そういえば、わたくしの鞍もそろそろ出来上がってくるはずですわ。少しずつ、乗馬もたしなんでいきたいと思っておりますの」
エカテリーナが乗馬を始めたいとアレクセイに頼んだのはけっこう前だったのだが、皇国では女性の乗馬というと、横乗りといってまたがるのではなく足を揃えて横向きに乗るのが当然で、それ用の鞍が要る。エカテリーナの体に合わせたものを、新たに作らせていたのだ。
「あらなんて丁度いい!」
マリーナが目を輝かせる。
「丁度いい、とおっしゃいまして?」
「あら、いえ、その、つまり……エカテリーナ様の鞍ならさぞ素敵なものでしょうから、わたくしのくらい大したことはない、と父に言い訳できるかと」
「ああ、そういうことですのね」
こういう可愛いちゃっかり感はとてもマリーナらしくて、エカテリーナは笑ってうなずいた。
「せっかくですから、エカテリーナ様も。皇都でどんな歓待を受ければ嬉しいですか?」
この流れでフローラに訊かれて、あらお鉢が回ってきた、としかエカテリーナは思わなかった。
「わたくし……?そうですわね」
皇都に来て、してもらったことで嬉しかったこと。そう考えれば、答えが出るのは早かった。
「皇都に来て間もない頃、兄におねだりして皇都を案内してもらったことがありましたの。二人で珍しいものを見てお食事して、とても楽しゅうございました」
お兄様との初めてのデートでしたよ。もうずいぶん昔のような気がするけど。
ん?初めての、って、あの後お兄様とデートしたことあったかなあ。
「そういえば、その時のことを話してくださいましたね。本当に嬉しそうにしていらしたこと、覚えています」
「やはりエカテリーナ様にとって閣下が一番なのですわね」
フローラが微笑み、マリーナがうんうんと頷く。
エカテリーナは言葉を続けた。
「あの日を特別に感じますのは、兄があの日はほとんど一日中、お仕事を離れていたためだと思いますわ」
お兄様と長い時間を一緒に過ごしたというだけなら、夏休みのユールノヴァ領への移動とかもそうだったけど。そういう時も、お兄様には当主の仕事がついて回っていた。
その点あの皇都見物の日は、幹部の皆さんも側にいなくて、かなりしっかりオフ日にできたもの。今振り返っても特別感があるのは、そこですね。
「兄はすでにユールノヴァ公爵。その立場と責任は、常について回ります。ですけれど、兄も一人の人間なのですもの。立場を忘れてくつろぎや喜びを味わうひとときが、もっとあってほしいと思いますの。
おかしく聞こえてしまうかもしれませんけれど、わたくしが一番嬉しく思う歓待は、兄を喜ばせたり楽しませたりしてくれることなのですわ。わたくしは、それが何より嬉しいのです」
だって私は、ブラコンですから!
例によって、内心で握りこぶしのエカテリーナである。
思えば私も最近は公爵家の業務に馴染んでしまって、お兄様の過労死対策がおろそかになっているのではないだろうか。いけない、もっと頑張らなければ!
……でも今はユールマグナとの政争が激しさを増している最中なので、お兄様の業務時間削減を頑張るべき時なのかが……。
わあん。前々から高位貴族同士の争いなんてどう対処したらいいのかわからなくて悩んでいたけど、今でも全然わからないままですよ。舞踏会では標的にされるザマで、何の役にも立ててない!無能!
という思いで表情を曇らせているエカテリーナをどう思ったのか、マリーナがうーんと唸り声を上げた。
「閣下の喜びがエカテリーナ様の喜びであること、よく解りましたわ。ならばわたくしは別の何かにすべきなのかしら」
えっ何の話?
エカテリーナがキョトンとなった、その時。
鋭い視線を感じた。
教室の外を、一団の生徒たちが通ってゆく。見慣れない顔が多いが、二年生であることはわかった。ただ通ってゆく、それだけではあるのだけれど。
「エカテリーナ様」
庇うように、フローラがエカテリーナに身を寄せる。
マリーナが眉をひそめた。
「あれは、サトルキヤ侯爵家のご次男のご一行ですわ。確か、タラース様。生徒会選挙に立候補すると前々から公言されていたそうですけれど、今から支持集めの活動をしていらっしゃるともっぱらの噂ですわ。あちこちでお見かけしますわね」
エカテリーナは、ただうなずいた。
一行の中に、ザミラの姿があった。