の夜は、ほぼ身内だけでのささやかな、アイザック歓迎の晩餐となった。
ほぼというのは、アーロンも加わっているためだ。まあ、彼も身内のようなものではあるが。アイザックの旅程を完璧にコントロールしたことへの慰労でもあり、よく知る仲のアーロンがいてくれればアイザックもより楽しめるだろうという、エカテリーナの気遣いでもある。
そしてエカテリーナはアーロンをがっつりと、アイザックを喜ばせるための晩餐の趣向立案に巻き込んだ。
こういう時に頼りになる執事グラハムは、今は別の業務で忙しい。声をかければ進んで知恵を貸してくれるに違いないが、元社畜で今は雇用者側に立つ身として、優秀な人材に業務が集中して疲弊させる事態は避けねばならないと思うのだ。
アーロンも鉱山長という立場で忙しいのではあるが、そんな中で彼はアイザックの旅程管理に時間を割きまくっていたわけで。彼にとってはこれは業務ではなく趣味、楽しい推し活、生きる糧。むしろ関わったほうが、QOL(クオリティオブライフ)の向上が見込めるに違いない。
私だって、お兄様これ喜んでくれるかしら〜って考えるのは、女主人の仕事とは別腹!お楽しみですから!
そしてもちろん、エカテリーナの依頼に、アーロンは即座に飛びついてきたのであった。
ささやかなという表現には不釣り合いなユールノヴァ家の壮麗なダイニングで、高位貴族の食卓イメージそのままの長テーブルにたくさんの明かりを並べて、色とりどりの光の中で三人はあらためてアイザックの到着を言祝いだ。
「アイザック大叔父上、皇都へようこそ」
そう言って、アレクセイがグラスを掲げる。
エカテリーナも兄に従って、笑顔でグラスを上げた。
「あらためて、お迎えできて嬉しゅうございますわ」
「博士、おめでとうございます。この場にご同席できて光栄に存じます」
アーロンは、嬉しそうなアイザックを見て嬉しそうだ。
「皆、歓迎ありがとう」
アイザックもグラスを掲げて、しみじみと言う。
「僕は長いこと、この場所で食事をすることはなかったから、こんな風にしてもらえてとても嬉しいよ」
アイザックは無邪気に言ったのだが、料理のサーブを始めるようグラハムに合図を送っていたエカテリーナは、はっとした。
思えば、アイザックは庶子なのだった。祖父セルゲイとは、腹違いの兄弟。認知されて、公爵家の子息として育ったはずだが、公爵夫人との関係性はどうだったのだろう。実の母親はどうなったのだろう。
ユールノヴァ領の旧鉱山でアイザックと初めて会った時、兄とのほのぼのエピソードは色々聞かせてもらったが、そういえば他の家族とのことは聞いた記憶がない。
とはいえ庶子という存在は、皇国では珍しくはない。アイザックは魔法学園にも通い、大学でも学んだはずで、待遇が悪かったわけではないと思われるが……。
そうすると、やっぱり、アレかな。
祖母アレクサンドラ。
庶子であり貴族的な言動が苦手なアイザック大叔父様のこと、あの祖母はおそらく嫌っていただろう。食事に同席するのを許さなかったのじゃないか。
というか、お祖父様が亡くなってからはこの皇都邸には祖母が住んでいたから、大叔父様はここに立ち寄らなかったということかも。
「アレクセイは、もうすっかり立派な当主だね。兄様がいた場所に君が座っているのを見ると、感慨深いよ」
そんなエカテリーナの思考を露ほども知らず、アイザックはにこにこと話している。
アイザックを歓迎する晩餐とはいえ、公爵家の当主としてアレクセイの席は長テーブルの上座だ。アイザックは今宵の主賓として年長の親族として公爵に側近い席に、エカテリーナは女主人としてやはり公爵の側近く、アイザックと向かい合う席にいる。アーロンはアイザックの隣だ。
「まだまだ、お祖父様には及びもつきません」
アレクセイは苦笑した。
「ですが、お祖父様の夢であった大叔父上の研究の実用化は、私が必ず進めましょう。ユールノヴァの家名を歴史に刻む、壮大な事業になることでしょう」
アレクセイが言うのは、虹石魔法陣のこと。アイザックが立てた理論に基づき、魔力が凝縮したものとされる虹石を魔法陣に組み込んで、その魔力の継続使用を可能にするものだ。
エカテリーナがその存在を知って即座に連想したのが、前世の産業革命だった。特に産業革命の象徴とも言える、蒸気機関の発明。
虹石魔法陣は、この世界を大きく変えるだろう。
「うん、あれはすごく大掛かりになるし、大量の虹石が必要になってしまうものだからね。そう言ってくれると助かるよ」
アイザックは言う。彼は、自分の発明が人類の歴史を変えるとは思っていない。アーロンなどはその意義をせっせと伝えようとしたようだが、大袈裟だなあで片付けられてしまったそうだ。天才アイザックにとっては、面白い思い付きのひとつでしかないのだろう。
「僕はずっと、兄様に甘えて研究をさせてもらうばかりだったんだ。でも今夜こんなに嬉しい歓迎をしてもらえて、これからここにいる皆と力を合わせてやっていけると思ったら、先が楽しみになった。どの虹石も素晴らしい発光だね」
よっしゃあ!
アイザックの言葉に、エカテリーナは内心でぐっと拳を握る。アーロンはじーんと言葉を噛み締めている様子だ。
そう、長テーブルに置かれたたくさんの明かりは、虹石なのだった。
『博士がお喜びになるのは、なんといっても鉱物です!』
エカテリーナが話を持ちかけるや叫んだアーロンは、あっという間にたくさんの虹石を集めてきた。どれも強い光を放つ、魔力の含有率が高い逸品ぞろいらしい。含有する魔力によって放つ光の色が違うそうで、アーロンはその観点からバリエーションも揃えたらしく、色合いもさまざまだ。
それをエカテリーナが、良い飾り台を用意して、実用的な灯りとしても飾りとしてもいい塩梅に配置したのである。
虹石の光は、石の中でゆったりと渦を巻いているように見える。その美しいゆらめきが、見る目に楽しい。美しいものとして飾りにすることで、アイザックの研究テーマへの関心と賞賛を表してもいるのだった。
それらの虹石のうち、一番大きいひとつはエカテリーナが用意したものだ。
「大叔父様に喜んでいただけて、嬉しゅうございますわ。ひとつは大叔父様がくださったものですのよ、見覚えていらっしゃいまして?」
「もちろんだよ。旧鉱山で引き上げたものだね」
ユールノヴァ領の旧鉱山でアイザックと初めて会った日に、アイザックが自分の魔力で、奥深い地中から引き寄せてくれた虹石だった。ひと抱えほど大きいそれを、エカテリーナは大事に皇都へ持ち帰ってきて、台座をつけて飾れるようにしてもらっていた。
その虹石は、食卓の中央で強い光を放っている。枝珊瑚のように根元から枝分かれして上へ伸びるかのような形が、輝く花木のようにも見えた。放つ光は薄紅色で、その色はアーロンが用意した虹石の中には見当たらない。光の色のバリエーションからも、今宵の趣向にはぴったりなのだった。
「どれも良質なものばかりだ。他はアーロンが集めたのかい?」
「はい、博士。研究に役立ちそうなものを以前から集めていたのですが、お嬢様から博士が楽しめる晩餐の趣向をご相談いただいて、特に喜んでいただけそうなものを選りすぐりました」
アーロンは、いつもより早口だ。趣向がアイザックの意に適ったのが、嬉しくてたまらないのだろう。
「これは、アーロンが考えてくれたのか。ありがとう」
「いえ!決して僕一人の考えではなく、万事お嬢様と相談して進めたものです。お嬢様は人の気持ちに寄り添うことが、とてもお上手ですから。今回、二人で一緒に何かをすることができて、楽しく光栄で」
ここで、アーロンの早口がいきなり途切れたので、エカテリーナは不思議な気持ちで彼を見やった。アーロンはなぜか上座から目を逸らして、だらだら汗をかいている感じだ。
それで上座を見てみると、アレクセイのネオンブルーの瞳が底光りしているような。
ああっお兄様が怒っている!
しまった私がミスったー!
「お兄様、お忙しいアーロン様にお時間をいただいたこと、お詫びいたしますわ。お仕事とは別の時間と軽く考えてしまい、お兄様のお許しをいただいておりませんでした」
アーロンさんが業務中に私用に走ったと思われてしまったよね……業務時間外ではあったんですが。私としたことが、報連相をもらしてしまった!ショック!
くっ、どうした自分!魂に刻まれた社畜はどこへ行った!
社畜は魂に刻んでおいていいものではないのだが。
ともあれ、妹に謝罪されたアレクセイは、あわてて首を横に振った。
「いや、お前が詫びる必要などあるものか。大叔父上の歓待に女主人として力を尽くしたのだ、賞賛されるべきだよ。ただ、年端もいかないお前と二人で何かなどと、表現が適切でないと感じただけで」
アーロンはアレクセイの側近中の側近の一人だが、エカテリーナの伴侶候補に名の上がる一人でもある。そこが絡むと、アレクセイの反応は過敏になるのであった。
しかしエカテリーナがそのあたりの事情を理解することは、決してないだろう。
「そうでしたのね、思い違いをしてしまいましたわ」
アイザックが困った顔をしているのに気付いて、エカテリーナはあわてて話を変える。
「大叔父様、そのグラスはお気に召しまして?わたくしのガラス工房の製品ですの。旧鉱山でお渡しした、顕微鏡を作らせた工房ですのよ」
「そうなんだね、とても綺麗だ。そうだ、あの顕微鏡を作ってくれた職人と、話してみたいと思っていたんだよ」
あらためてグラスを見てアイザックが笑顔になったので、エカテリーナはほっとした。
「お疲れでなければ、工房には明日にもお連れいたしますわ。顕微鏡についてご要望でもあれば、職人にお伝えくださいまし。そうそう、今宵のお料理の食器ですが、陶器ではなく天然の石を加工したものを使っておりますのよ。お料理とともに、器も楽しんでいただければ嬉しゅうございますわ」
アイザックの歓待は始まったばかり。エカテリーナはあらためて、女主人としてしっかりおもてなししなければ、と気を引き締めた。