大叔父アイザックは、週末に皇都のユールノヴァ公爵邸へ到着した。
週末はいつも学園の寮から公爵邸へ帰宅しているエカテリーナは、すでに邸に着いていた。なので、執事グラハムから大叔父到着の報せを聞いて、いそいそと出迎える。
そして、思いがけない相手とも再会を果たすことになった。
「アイザック大叔父様、お久しゅうございます。お元気そうで何よりですわ」
「やあ、エカテリーナ。会えて嬉しいよ、相変わらずきれいだね」
玄関ホールで再会したアイザックは、旅の疲れも見せず柔和な笑顔で言う。そして勿忘草のような優しい水色の瞳でエカテリーナをじっと見て、手を伸ばすとよしよしと頭を撫でた。
「少し、疲れているかい?」
公爵令嬢であり、年齢に似合わぬ大人っぽい美人であるエカテリーナの頭を撫でる人間など、アレクセイの他には誰もいなかった。アイザックに子供扱いをされて、くすぐったいような気持ちがする。思えば幽閉されて育ったエカテリーナは、十五歳なのに子供扱いに慣れていないのだった。
まあ、中身にアラサー社畜が入っているのが大きいのだが。
「いいえ、ご心配なく。それに、もし疲れがあったとしても、大叔父様方のお顔を見た喜びで吹き飛んでしまいましてよ」
そう、アイザックは一人ではなかった。
アイザックに従ってきたもう一人に、エカテリーナは笑顔を向ける。その人は、ユールノヴァ騎士団の騎士服を身に着けている。
「お久しゅうございますわ、マルドゥ先生。その節はお世話になりました」
「ご無沙汰しております、お嬢様」
かつてのエカテリーナの家庭教師であり、その縁で今はユールノヴァ騎士団の一員となったアナトリー・マルドゥは、眼鏡をかけた温和そうな丸顔をほころばせて、丁重に一礼した。
「大叔父の護りを務めてくださいましたのね。親族揃ってお世話になりますわ」
マルドゥはユールノヴァ領から皇都までの道程を、アイザックの護衛として付き従ってきた。
顔立ちは温和そうだが大柄でたくましく、騎士団に取り立てられるほど武芸に秀でている上、本来は魔力の研究者だったというアカデミックな経歴ゆえに学術的な話題をアイザックと語り合うこともできるから、この役目にはうってつけだ。
子供のように純真な面があるアイザックは、旅に出るといつも目の前のことに興味を引かれて目的地以外の場所にふらふらと行ってしまう。以前ユールノヴァ領でアレクセイの公爵位継承を祝う宴が催された時には、アイザックも参加するはずが、なぜか領内の旧鉱山に行ってしまっていて周囲をーーというか鉱山長アーロンをーー大慌てさせたものだった。
しかし今回アーロンは、アイザックの現在の研究テーマである虹石が含有する魔力について、マルドゥとの議論に熱中するよう仕向けて、アイザックをほとんど寄り道させずに皇都に辿り着かせることに成功したようだ。
鉱山長の権限では動かせないはずの騎士団からお付きとしてマルドゥを借りてきたり、他にも手を尽くしているあたり、アーロンは今回のアイザックの旅程に万全を期したようだ。ユールノヴァ領の祝宴でのリベンジだろうか、とエカテリーナは思う。
アーロンはアイザックに関する手配などを全て引き受けていて、アイザックの面倒を見たいがために鉱山長の役目を引き受けた可能性すら感じる。アイザック大叔父が皇都に来ると聞いて、アーロンが踊って喜んでいるに違いないと思ったエカテリーナだったが、それどころかアーロンはアイザックの旅の手配を全て取り仕切っており、果ては旅路の進み具合を逐一把握していたと知って戦慄したものだ。
携帯電話もメールもGPSもないこの世界で、どーやって旅の進捗を把握していたんですかアーロンさん。沼が深い!深すぎる!
なんか悔しい!私のブラコンをこの域に到達させるには、どうしたらいいんだー!
謎のライバル認定をされたとは知る由もないアーロンは、こちらもアイザック到着の知らせにアレクセイの執務室からすっ飛んできていて、さっそくアイザックから何か頼み事をされて嬉しそうにしている。沼が深いのは確かな事実であった。
エカテリーナはあらためてマルドゥに向き直る。
「先生は、当分は皇都でお過ごしになりますの?」
「はい、そのように指示を受けています」
「騎士団長ローゼン様からの伝言をお伝えいたしますわ。護衛の任務完了後は、本日は非番とするとのことです。ご家族が待ち侘びておられましょう。今日はもう、ご自宅へお帰りくださいまし」
エカテリーナが目配せすると、メイドがマルドゥにバスケットを差し出した。バスケットからは焼き菓子の甘い香りがする。家族への手土産にと、エカテリーナの心尽しであった。
「どうぞご家族とごゆっくりなさってくださいましね」
マルドゥは皇都で生まれ育ったそうだが、少し前からユールノヴァ領で暮らしていたらしい。騎士団には普通の騎士ではなく、魔獣対策参謀として取り立てられたので、現場を知るべく派遣されていたわけだ。
愛妻とまだ幼い娘がいる身での、単身赴任だ。一刻も早く家族の顔が見たいに違いない。
それだけでなく、エカテリーナは少し気を回している。
マルドゥは、ユールマグナの分家の生まれだそうだ。
ユールノヴァとユールマグナの対立が先鋭化していく中、騎士団での居心地が悪くなったりはしていないだろうか。アーロンが、ひいては兄アレクセイがアイザックの護衛を任せるほどだから、マルドゥは古巣のユールマグナに靡く可能性はない、信頼できる人物に違いない。それならエカテリーナも騎士団の貴婦人として、マルドゥへの気遣いを見せれば周囲へのアピールになるのでないか。
「ありがとうございます。こうして取り立てていただき、家族の暮らしを楽にできただけでもありがたく思っておりますのに、お気遣いまでいただけて」
バスケットを受け取って、マルドゥがしみじみと言う。
エカテリーナは微笑んだ。
「先生のすぐれた学識あればこそですわ」
玄関ホールの外で、さらなる再会が待っていた。
「レジナ!会えて嬉しくてよ!」
サーベルタイガーのような巨大な牙をもつ巨大犬、ユールノヴァの猟犬のリーダーであるレジナが、仲間の猟犬二頭と共にきちんとお座りしてばふばふと尻尾を振っている。マルドゥと一緒に、アイザックの護衛として二人に付き従ってきたのだった。
猟犬が一緒なら、アイザックが少々ふらふらしても、すぐさま見つけることができる。アーロンの対策は鉄壁であった。
ユールノヴァの猟犬は暑さに弱いので皇都の気候は不向きなのだが、もう冬になる今の季節なら問題ない。レジナたちも当分は皇都で過ごす予定になっていて、エカテリーナは巨大なもふもふと一緒に過ごせるのを喜んでいた。
その時。
「や、忘れるところでした」
自宅へ向かいかけたマルドゥが足を止め、背負った荷物を下ろす。そして荷物の口を開けた。
ころん、と何かが転がり出す。白い根っこと緑の葉っぱ、根菜らしきものが。
ん?
もう一つ、荷物の中から根菜が現れた。
現れたという表現でいいのだろうか。自ら動いているので現れたとしか言いようがないが、器用に荷物の口を跨ぎ越え、ぴょんと下へ降り立つ。根菜が。
そして、先に転がり出てまだ転がっているほうの根菜に葉っぱを差し伸べて、助け起こした……。
待って。
待った。
なんでやねん。
完全にアレだろ、あの二人、いや人じゃない、でも他にどう言えと。
なぜここに現れるんだ、イケメン甜菜とその相棒ー!