337. 準備

舞踏会が終わって、しばしの時を経て、平穏な学園生活が戻ってきた。

……という気がいまいちしないエカテリーナである。

具体的に平穏でない何かが起きるわけではなく、むしろ周囲が以前より優しくなった。舞踏会の後に初めて登校した日には、クラスメイトをはじめ関わりのある人たちが駆け寄ってきては心配したり同情したりしてくれたほどだ。

それが一通り落ち着いた後も、なんとなく以前より丁重に扱われている気がする。

私、公爵令嬢なので以前から丁重に扱われていたんですが、なんかもうちょっと上がりましたよ。一部の人たちなんか、皇室の一員だと思ってるかなっていうレベルの丁重さ。いいのかこれ?

それなのに平穏な学園生活という気がしないのは、それが目に見える範囲のことにすぎなくて、薄氷一枚の向こうで何かが渦巻いている。という感覚が拭えないからだ。

根拠はないに等しい。ふとした時に感じる視線がやけに痛かったり、遠くの知らない誰ががすうっとエカテリーナから目を逸らしたような気がしたり。そんな程度のこと。

気にしすぎだとは思うんだよね。舞踏会でのこと、気にしすぎているんだろうね。なにしろ、いろいろあったし……。

ほぼ、ラストダンスで……。

思い返して、とほほとなるエカテリーナである。

私を偽物だと言った男子の言葉、あんなにその場で否定してもらったのに、私が一番気にしちゃってるのかな。

なお、あの男子はしっかりがっつり正式に、女子のほうから婚約を破棄された。婚約破棄を叫んだ側が婚約を破棄されたわけだ。

そりゃそうだという話でしかないのに、男子は『なんで⁉︎』と叫んだらしい。ちょっと勘違いをしただけのことで、なぜ婚約を破棄されなければならないのかと。

仕組まれた可能性があるとはいえ、明らかなデマを信じ込んで、婚約破棄とかその他もろもろを叫んだお前が悪いんだっつーの。

それに、彼女の家はユールノヴァ公爵家の分家。すなわち、ユールノヴァ家の家臣。主家に対するあれほどの暴言を、許せるわけがない。許せば忠誠心を疑われる。

そういうあれやこれやが全く理解できないなんて、やっぱりあれは真正アホの子。

ユールノヴァ公爵家の分家が絡む話だからエカテリーナの耳にも入ってくるのだが、この婚約も貴族の婚約にはよくある、いろいろお金や権利のやりとりが絡んでいるものだそうだ。で、今回は完全に男子側の有責となり、権利関係は女子の実家が総取り、加えて多額の賠償金が発生すると。

男子の実家は、当然ながら大激怒しているとのこと。お前など勘当だ、二度と帰ってくるな、とまで言われているらしい。

……ラストダンスでの件ではお兄様の側近の皆さんも激怒していらっしゃいましたので、焼け野原にする勢いでむしり取っているような気がします。公爵家を敵に回すと怖いですね。

こうなるとついつい男子に同情してしまいそうになるエカテリーナだが、ぐっとこらえている。あの男子は、自分のやらかしたことにきちんと向き合っていろいろ理解できるようにならないと、未来がだいぶやばいと思うので。

そして、おそらく兄と側近一同は、男子の周辺を洗ってユールマグナとのつながりを見付けようとしている。あの暴言はユールマグナが仕込んで言わせたものだと証明できれば、ひとつの手札になるだろうから。そのために男子とその実家を苛烈に追い込んでいるのなら、自分が口出しできることはない。

平穏な日々が戻ってきた気がしないのは、このせいでもあるかもしれない。

おまけに舞踏会が終わった魔法学園の、次の大きなイベントは年が明けてからの生徒会選挙。

それが終わって役員が決まったら、寂しいことに今の生徒会は引退して、学園は二年生が中心となる。舞踏会で目の当たりにした通り、二年生はユールマグナ支持者が多い学年だから、ユールノヴァはちょっと居心地が悪くなるのではなかろうか。

それを心配する声はあり、エカテリーナに立候補を勧める者さえいる。

いや無茶だから!一年生が生徒会に立候補って!

やっぱり皇国の社会構造として、女性が前へ出ようとすると打たれる感じはあるんですよ。前世の自由の国だって、人種の壁を突破した人はいても性別の壁というかガラスの天井というやつを突破した人はいなかったくらいで。

私は公爵令嬢で身分によるブーストがあるけど、一年生女子がそれ頼みで立候補するって、悪役令嬢っぽくないでしょうか。あっ立候補者の演説会場で高笑いしている自分が見える。でもゲームの悪役令嬢エカテリーナは、生徒会選挙に立候補してはいなかったけど。

そういえば以前、ザミラは立候補すれば生徒会長に選ばれることも可能ではないか、って生徒会長が言っていたなあ……女子で身分ブーストのない子爵令嬢なのにそこまでって、彼女との関係性から手放しに賞賛はできないけど、大したものなんだわ。

ともあれ、当選できるかどうかをさておいても、私が生徒会役員をやるのは現実的に難しいんですわ。公爵家の女主人の役割があるし、ガラス工房経営の仕事もありますので。

おそらくお兄様のお許しが出ないです。最近、お前は近頃忙しすぎる、とよく言われてしまうもんなー。

お兄様のほうが忙しいんですからね!そこは間違いないですから!

そんなことを言いつつしばらくの間、家のことは執事のグラハムさんに、かなりお任せしちゃうことになるんですけどね。

舞踏会の終わりにミハイルに尋ねられた自分の誕生日のことを、エカテリーナは公爵邸に帰った時にグラハムに訊いてみた。

するとグラハムは、いかにも執事然とした端正な顔をほころばせて答えた。

「お嬢様のお誕生日祝いについては、大勢の方々が盛大にお祝いしようと準備を進めております。あまり内容を知ってしまっては当日の楽しみが薄れてしまうかと、お伝えしないままに進めておりました。お許しください」

「まあ!」

全く気付いていなかったエカテリーナは、目を丸くしてしまったものだ。しかし思い返してみれば、使用人たちとのやり取りなどで思い当たる節はあったりする。

今まで舞踏会のことでいっぱいいっぱいだった上、幽閉されていた間は誕生日を祝ってもらうことなどなかったので、自分の誕生祝いの企画が進んでいるという発想がなかった。

「なんといっても、ご兄妹が共に暮らすようになられて初めて迎えるお嬢様のお誕生日です。閣下が、それは心を砕いて準備なさっておられます」

「お兄様が……!」

そうですよねお兄様シスコンだから!

私のために、っていろいろ考えてくれてるのかあ〜嬉しいなあ。

ブラコンが爆発するエカテリーナである。

「閣下のためにもお嬢様にお願いしたいのですが、お誕生日を迎えられるまでは、女主人として統括しておられる商人からの物の購入や使用人たちへの仕事の指示などを、わたくしにお任せ願えませんでしょうか。ご確認いただいておりますと、お祝いの内容がお解りになりましょうから」

「もちろん、良くてよ。きっと少し前から、お兄様のお許しをいただいて、その関係のものはわたくしには見せないようにしてくれていたのでしょう」

「は……ご慧眼、恐れ入ります」

即答したエカテリーナに、グラハムは頭を下げた。

「もうひとつ、お嬢様にお願いがございます。実は、大叔父様のアイザック様が、近々皇都に到着される予定なのです。アイザック様の歓待を、お嬢様にお願いできれば幸いです」

「アイザック大叔父様が!」

私が手持ち無沙汰にならないよう役目を振ってくれるグラハムさん、さすがの気配りです。

わあ嬉しい!どうやって歓待しよう!

ていうか大叔父様ラブなアーロンさんが踊って喜んでそう!相談しよう!

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