336. 挿入話〜秘すべき花〜

「ウラジーミル様、お待ちください……ウラジーミル様!」

舞踏会場からの帰り道。

常になく切迫した声をあげて、ザミラはウラジーミルを追っていた。

ウラジーミルは、足早に歩いてゆく。灯火に照らされた石畳の小径を外れ、黒々とした夜の闇へと。

空には今も満天の星。夜空全体が、漆黒ではなく銀色を帯びて見えるほど。

灯火の小径を離れてしばらくすれば闇にも目が慣れ、幽かな星明かりだけでも歩みを進めることができた。

「ウラジーミル様」

「ザミラ」

ようやく足を止めて、ウラジーミルはザミラを振り返る。

明けの明星(ルシフェル)と呼ばれた天使をエカテリーナに思い出させた美貌が、星明かりにほの白く、浮かび上がって見えた。

「ウラジーミル様、なぜ……なぜ、あのようなことをなさったのです」

「あのようなこと、とは?」

ウラジーミルの静かな声音に、ザミラはひるんだようだ。しかし、ぎゅっと両手を握りしめて、顔を上げる。

「エカテリーナ様を、ラストダンスにお誘いになったことですわ。そして結局は、エカテリーナ様が皇子殿下に近いという印象を皆に与え、アレクセイ閣下の怒りを買い、ユールマグナ公爵家のおためにならない結果を招きました。せっかくエカテリーナ様への不信の種を植えることができましたのに、あれほどのことが起きては、かき消えてしまいましたわ。

あなた様ともあろうお方が、なぜあのような……!」

「お前のためだ、ザミラ。お前の望みを、叶えるためにした」

静かに、しかしはっきりと、ウラジーミルは答えた。

「僕とアレクセイは、決定的に対立した――アレクセイは、エカテリーナのために僕を、切り捨てた。もはや和解はあり得ない、決して。それを、お前はずっと、望んできただろう」

ザミラは、言葉に詰まっている。ウラジーミルの言葉を、決して否定はできないのだった。

「仰せの……通りですわ。アレクセイ閣下にはもう、エカテリーナ様がおられます。幼い頃、誰よりもあなた様を大切にしていたあの方はもう、おられない。いつかそうなると、わたくしは分かっておりました。アレクセイ閣下と関わりを持つことはあなた様のおためにならないと……ずっと昔から、そう思ってきたのですわ」

持ち前の、聞く者の心に絡みつくような声で言い募るザミラの、その言葉の裏には荒々しいほどの力がこもっている。噴き出しかけた激情を抑えるように、ザミラは頭をひと振りした。

「ですがあなた様ならば、他にいくらでもやりようがあったはず。ミハイル殿下とエカテリーナ様を、あのように共に去らせてしまうなど……あれを見ては、学園の誰もが次の皇后はエカテリーナ様と考えることでしょう。ユールマグナから皇后を立てるために総力を挙げねばならないこの時に、エリザヴェータ様にとって大きな痛手となりました」

ウラジーミルは小さく、苦く笑う。

「それもお前のためだ……ユールノヴァからの立后は阻止したかったが、エリザヴェータを皇后にしようと策を弄するのをやめないなら、やむを得ない。エリザヴェータを皇后にする訳にはいかない。あの子がユールマグナを継ぐほかないのは、お前も解っているだろう」

「いいえ!」

ザミラは叫んだ。今度こそ、むき出しの感情を込めて。

「ユールマグナ公爵家を継ぐ者は、ウラジーミル様をおいて他におられません!お家の危機を救い、かつての繁栄を取り戻すことができるのは、あなた様だけ。わたくしに解っているのは、その事実ですわ。ですからわたくしは、生涯をウラジーミル様をお支えするために捧げると、誓っております。あなた様のためなら、どんなことでもいたします。どんなことでも!」

「……ザミラ」

呼びかけるウラジーミルの声は、今宵初めて、優しかった。

「お前はそこまで自分を犠牲にしなくていいんだ」

「犠牲?まさか。いいえ、わたくしは……」

思いもかけない言葉に、ザミラは狼狽えている。

しかし、すぐにウラジーミルの声音は厳しくなった。

「お前の婚約を早急に決めるよう、ザハールに伝えておく。ユールマグナとは縁の薄い、他所へ嫁がせるようにと」

「そんな!」

ユールマグナ公爵家の執事を務める曽祖父の名を出されて、ウラジーミルの本気を悟ったザミラは悲鳴のように叫ぶ。

「嫌でございます、なぜそのような!」

「近頃のお前の勝手は目に余る。ラストダンスの前の騒ぎ、エカテリーナを平民と言い出した者は、お前が仕掛けたのだろう。ミハイル様のユールマグナへの心証を悪くすると、考えなかったのか」

一瞬、ザミラは詰まった。

「あの者とわたくしは、何の繋がりもありはいたしませんわ」

「何の根拠もない中傷でエカテリーナへの不信を植え付けることができるなら、証拠がなくともユールマグナが不信を買うこともあり得る。ミハイル様を、皇室を甘く見るな」

そう言うウラジーミルを、ザミラはじっと見つめる。硬い声で言った。

「そのような言葉でわたくしを除こうとなさっても、わたくしはウラジーミル様のお側を離れません」

「お前のためだ、ザミラ。ユールマグナを離れて、自分の前途を切り拓け。僕は、お前の幸せを願っているんだ」

「わたくしの幸せは、ウラジーミル様のお側にしかありませんわ!」

ザミラは叫んだ。

そしてウラジーミルに駆け寄るや、ひしと抱きついて――頬に口付けした。

「ザミラ――!」

狼狽えた声をあげて、ウラジーミルはザミラを振り解く。

「何を、ば、馬鹿なことを」

片手の甲を頬に当てて、ウラジーミルは赤面しているようだ。

ザミラは微笑んでいる。

「解ってくださらないから……意地悪いたしました」

彼女の頬で、涙が星明かりに光っていた。

「あなた様にこうして触れることができるのは、わたくしだけ。わたくしをお側から離すことなど、できるはずもございません。幸せと仰せになりましたわね。ウラジーミル様の居られぬ天国はわたくしにとって地獄、ウラジーミル様と共にゆく地獄はわたくしにとって天国ですのよ。どうかお忘れにならないで。

お慕いしております」

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