333. 怒涛

きゃーっ!」

エカテリーナの脳内で、悲鳴が響き渡った。

と思ったら、現実でどこかから聞こえてきた悲鳴だった。しかも複数の声と思われる。

聞き慣れてしまったアレクセイファンのお姉様方のきゃーとは違って、悲痛な声音。もしかすると、憧れの君が敵対勢力の中心人物にラストダンスを申し込むところを目撃してしまった、ウラジーミルのファンの叫びかもしれない。

いや私も叫ぶわ!

どういうことー‼︎

とあらためて内心で叫ぶエカテリーナ。

さすがに驚愕が表情に出てしまっているに違いないが、ここは驚かないほうがおかしいと思う。

一曲、お手をどうぞ……って、どう考えてもダンスの申し込みよね⁉︎

ウラジーミル・ユールマグナが、エカテリーナ・ユールノヴァに。

なぜ⁉︎

友好の証なんて言われても、信じられるわけがない!

ていうか!

このタイミングで何言ってんのか!

「光栄な仰せですわ……ですけれど、次の一曲は、ラストダンスにございます」

なんとか微笑んで、エカテリーナは言った。

そう、ラストダンスは特別な一曲。将来を誓った二人でなければ、踊ることは許されない。

それくらい、彼だって百も承知に違いないのだから、こんな申し込みは軽いジャブに違いない。驚いている場合ではない。

こちらを動揺させる策?次は何を出してくる?

そう予想して、身構えたエカテリーナだったが。

ウラジーミルは差し出した手をそのままに、小さくかぶりを振って言った。

「ラストダンスが特別視されているのは、単なる慣習にすぎない。規則で定められているわけではない」

うっ。

まさかそう来るとは……。

そりゃ、ラストダンスが慣習にすぎないのは事実だけど。

これもウラジーミル君は百も承知に違いないはずの話で、慣習は力を持つ。

もしも、『ラストダンスを踊った二人』ということになってしまったら。

ラストダンスの数多い逸話に、家同士が認めてくれない二人がラストダンスを踊って、既成事実みたいな形で結婚に至ったという話はいくつもある。私とウラジーミル君が、事実上婚約したと見なされてしまうのでは。両家の不和を改善するためにも、とか言ってあちこちから介入してきたりもして、話を進められてしまう可能性はあるのでは。

私、シスコンお兄様の最大の弱点よ?ユールマグナに身柄を押さえられたら大変!

しかし!

『友好の証に』と言われてしまっている。

それを私が断ったら、ユールマグナとの友好を拒否したことになり、敵対を宣言したことになってしまうのでは⁉︎

それはヤバい。

この先ユールマグナがユールノヴァに何か仕掛けてきた場合に、皇国の法に訴えても、私が先に宣戦布告をしたからだ、ユールマグナは自衛しただけだ、なんて言われて法廷で不利になるとか、いろいろ深刻な影響がある気がする。

どう考えてもめちゃくちゃヤバい!

二択のどちらも選べない状況。進むも地獄退くも地獄。

どうしようどうしたら!

くそう、敵ながら天晴れだわ。記憶力や学識は幼い頃から天才と言われていたそうだけど、政治的な打ち手も見事としか言えない。こんな窮地に追い込まれるとは!

思わずエカテリーナは、無意識に一歩退きかける。

それを見たウラジーミルは、差し出していた手をさらに伸ばし、エカテリーナの手首を掴んだ。

「きゃーっ!」

ぎゃー!

再び上がった悲鳴に気付くこともできない勢いで、エカテリーナも内心で悲鳴をあげる。なにしろ、ウラジーミルがエカテリーナの手を引いて歩き出している。

舞踏フロアへと。

エカテリーナはあらがうが、さりとて力づくで振り払うことはできない。友好の証のダンスを力で拒否する意味、影響を考えて、ためらいよろめきながらも、ウラジーミルに引かれて歩いてゆく。

「お、お待ちを」

エカテリーナは、もう泣きそうだ。

「き、規則ではないといえど、長き慣習は守るべきですわ。ど、どうか、お待ちになって。どうか!」

ウラジーミルは答えない。

うわーん!

何を考えてるんだよー!

どうしたらいいのー!助けて誰かー!

エカテリーナが完全にパニックに陥った、その時。

舞踏会場に響き渡った声があった。

「ウラジーミル、その手を離せ!」

エカテリーナとウラジーミルに駆け寄りながら、大音声でそう呼びかけたのは――夏空色の髪の青年。

たった今舞踏会場に戻ってきたとおぼしき、皇子ミハイルだった。

「その……火急の、火急の用だ!」

夏空色の髪を乱して、全力で走りながら、ミハイルは言葉を連ねる。

「ユールグラン皇国皇子ミハイルが、ユールノヴァ公爵令嬢エカテリーナに、火急の用がある!だからウラジーミル、その手を離せ!

エカテリーナ、僕と一緒に!」

「はい!」

思わずエカテリーナは、食い気味にいい返事を返してしまった。

ミハイルが、二人の元へたどり着く。

ウラジーミルがエカテリーナの手を離す。

エカテリーナの手を、ミハイルが握った。

「外へ」

ミハイルが囁き、エカテリーナの手を引いて走り出す。

もちろん、今度はエカテリーナはあらがわない。ミハイルの手を握りしめ、空いた手で青薔薇のドレスを摘んで、華奢な靴で、精いっぱいの速さで着いてゆく。

そうして皇子と公爵令嬢は、舞踏会場から駆け去って行った。

「きゃああーっ!」

舞踏会場では、皇子ミハイルが公爵令嬢エカテリーナを公爵令息ウラジーミルから奪って去る、というドラマチックすぎる一部始終を目撃した一同から、悲鳴とどよめきが沸き起こっている。

その中心で、エカテリーナとミハイルを見送っていたウラジーミルは、別の方向へ向き直った。

静かに佇む。

「ウラジーミル」

呼びかけたのは、アレクセイだった。その後ろには息を弾ませたフローラが控えていて、急いで呼びに行ったと知れた。

アレクセイとウラジーミル、かつての親友同士。

しかし今、アレクセイのネオンブルーの瞳には、今までは決してウラジーミルに向けることのなかった光が――宿っているようだった。

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