「そ、そういうところですよ!」
アレクセイに向かって、キレ気味に男子が叫んだ。
「皆、言っているんです。本当に兄妹だったら、そんなキラキラした褒め言葉を言い合うわけがないって!おかしいでしょう!」
なにおう!
むしろ妹でなかったら言ってもらえないわ!お兄様は世界一のシスコンなんだから!
内心で叫び返すエカテリーナである。
男子はそのシスコンぶりがおかしいと言っているので、反論にはなっていないのだが。
「そもそも!今まで誰も指摘しなかったのがおかしな話だ、偽りの兄妹なのは、一目瞭然なんだから。ほら、見れば分かる」
びしっ!っと男子は、無礼にもエカテリーナを指さした。
「どう見ても、似ていない!」
………………。
………………。
………………。
舞踏会場は、『あ、うん……』という空気だ。
エカテリーナは必死で闘っている。
ズルッとスベるリアクションをしたくなる魂に染みついた大阪人の習性と、今生での生まれた時からお嬢様な肉体に染みついた優雅な所作が、立ち尽くす公爵令嬢の中で天使と悪魔のようにせめぎ合っている。
前世の習性的には、これはもうスベるでは済まない、新婚さんがいらっしゃる番組で大御所がやる椅子ごとコケるリアクションとかでないと釣り合わない大ボケなんですけど。
でもやらない!お嬢様はコケないスベらない!
リアクションはさておき、もしかして、もしかして。
根拠、それだけ?
いやまさか、さすがにそれだけでここまで言わないと思うけど。
でもすごいドヤってるんですけど。誰も気付かない事実に気付いている俺……!みたいな、ナルシシズムが溢れ出てるんですけど。
この子、ひたすら純粋に、ものすごいアホの子なんじゃなかろうか……。
そこに目を付けてユールマグナが焚き付けたとしたら、ある意味とんでもない逸材を見付けてきたもんだわ。
……彼が何度も繰り返している、『皆言っている』という言葉。
絶対、身の回りの数人だけだな。その数人だって、最近向こうから近付いてきて親しくなったのだったりしない?
そしてその数人は……この男子の人生が狂うかもしれないこの騒ぎを、もしかしたら嗤って見ているのじゃないだろうか。
そこへ、声が掛かった。
「エカテリーナ様!」
フローラが寄り添ってくる。
「大丈夫ですか。あんなひどいこと……馬鹿げたことを言われて、さぞ嫌な思いをなさったでしょう。よろめいていらっしゃいます、どうぞ寄りかかってください」
「フローラ様。わたくしは、大丈夫ですわ」
わー、リアクションをこらえていただけなのに心配をかけてしまった。
「すみません、私……離れて見ていることしかできませんでした」
はっ!美少女の目に涙が!
なんという破壊力!
でもそうか、あのアホの子が、私をディスって平民と言ったもんだから。
あの時も支えたいと思ってくれただろうけど、平民のフローラちゃんが駆け寄ってくれた場合、やっぱり平民同士だとか変な勘繰りを呼ぶことになっただろう。そこまで配慮して、ぐっとこらえてくれたのね。
エカテリーナはにっこり笑った。
「フローラ様のようにお優しく聡明なお友達を得られて、わたくしは幸せ者ですわ」
「エカテリーナ様……」
美少女同士の美しい友情に、二人を見る周囲の視線はすっかり和んでいる。
そして。
アレクセイ、男子、アリスタルフのほど近くに、もう一人の美しい令嬢が現れた。
青みがかった銀髪、青紫色の切れ長の目。高価な真珠で縁取られた『天上の青』のボレロ、『神々の山嶺』の向こうからきた純白の絹織物で仕立てられたドレス。誰の目から見ても、高位の貴族令嬢。
侯爵令嬢、リーディヤ・セレズノアだ。
彼女はアリスタルフのパートナーであるから、彼の近くに現れるのも不思議はない。
もはや隠しようもなく大きなため息をついていたアリスタルフがリーディヤに気付き、二人の間でアイコンタクトが交わされたようだった。
「セレズノア嬢」
アリスタルフが呼びかける。
「先ほど、話してくださいましたね。今の皇都の社交界で、一番注目されている話題について」
修羅場の渦中にいるアリスタルフが思わぬことを言い出したと、会場はざわめいた。今だにドヤっている男子に目もくれず、ざわめく会場を見渡して、リーディヤははっきりと言う。
「ええ。今の皇都の社交界は、エカテリーナ様の噂で持ちきりですわ。学園祭の劇でエカテリーナ様をご覧になった方々が、母君アナスタシア公爵夫人に生き写しのお美しさ、と称えておいでですのよ」
公爵夫人に生き写し、のところで、リーディヤの声は一段と大きくなった。
リーディヤは今では誰もが認めるユールノヴァ派。エカテリーナを庇っての言葉、と疑う者もなくはないだろうが、皇都の社交界に出入りするほどの有力貴族の子女は、魔法学園には彼女以外にも多数いる。
彼らが一斉に頷いていた。
「父母の世代では、アナスタシア夫人は貴族女性の鑑と名高い方だったそうですね。ご結婚前に、侯爵令嬢として学んでいらしたこの魔法学園でも、優秀な成績を収めておられたとか」
アリスタルフが、これまたはっきりと言う。これにも、親世代から聞き知っている者たちがうなずいた。
本人が侯爵令嬢だった公爵夫人に生き写しなら、エカテリーナは平民ではあり得ないわけで……。
「そのように、わたくしも聞いておりますわ。しかも、エカテリーナ様と同じ土魔力をお持ちだったそうですのよ。エカテリーナ様の魔力量は学園屈指。土の魔力では最強だそうですわね」
これは知っている者の多い事実で、さらに多くの頭が縦に揺れた。
皇国では、平民が魔力を持つことは稀だ。貴族と違って魔力検査がないため事実かどうか怪しい、とエカテリーナはこっそり思っているが、常識的にはそういうことになっている。平民出身のフローラが強い魔力を持っているのは、あくまで例外なのだ。
つまりこの世界の常識的に、エカテリーナは平民ではあり得ない。
「お美しさだけでなく、魔力も母君譲りということですね」
「魔法学園の誰もが知っていることと思っておりましたわ」
思いっきり周囲に聞かせるための会話をそれで締めくくり、アリスタルフとリーディヤはじとっと男子を見る。
「あ、あれ?でも、皆、皆が」
さすがにうろたえ始めた男子が、周囲を見回す。
けれど、見つからない。『皆』のはずなのに、周囲の大勢の人々の中に、『皆』は一人も見当たらないようだ。
彼が話していた人々は、皆ではなく、魔法学園の中のほんの一握り。
その事実にじわじわと気付いて、男子は青ざめてゆく。
そんな彼に、リーディヤがとどめを刺した。
「これも誰もが知っていることと思っておりましたが……。あり得ない作り話を本当だと言い張って神前決闘を望んだ者が、神殿に足を踏み入れた途端に神罰を受け、カエルにされたことがあるそうですわ」
「ひっ……」
先ほどのドヤ顔から一転して、男子は蒼白だ。
「……やはり、関係者で話をしましょうか」
「い、いや、あの、僕……」
ため息まじりにアリスタルフに言われ、アレクセイの極寒の視線にますます顔色を悪くして、男子はじりじりと後ずさる。
その肩に、がっしと手が置かれた。
「するよな?話」
メッシュのように金の交じった輝かしい赤毛の美丈夫、ニコライが、男子を見下ろしてニッと笑う。
いつもの好漢らしい笑みではなく……エカテリーナは閻魔大王を連想した。そういう、鬼とか仁王とかよりさらに、めちゃくちゃコワい感じだ。
「はい……」
男子の引き攣った笑顔は、ほぼ泣き顔だった。
「それでは皆さん、どうぞ最後の一曲を楽しんでください」
アリスタルフが舞踏会場に告げ、足を止めていた人々があらためて動き出した。
しかしその動きは遅く、ニコライとアリスタルフと、彼らに連れられていく男子から目が離せずにいるようだ。
なお、リーディヤはアリスタルフと一緒に去って行った。
男子がまたエカテリーナを貶めるようなことを言い出したら、けちょんけちょんにされることであろう。
「エカテリーナ」
アレクセイが、妹の側にやって来た。
「一太刀で決着をつけたいところだったが、ニコライやクローエルの労を無下にはできない。しばし場を外すが……お前を伴ってあやつと一緒にすべきか悩む」
エカテリーナも関係者ではあるし、パートナーであるアレクセイと行動を共にするのが基本なのだが、あの男子がまた何かの拍子に不愉快なことを言い出すかもしれない、ということだろう。
エカテリーナは微笑んだ。
「お兄様、お気遣いありがとう存じます。わたくし……ここを離れずにおりますわ」
男子の暴言など内心ではつっこみ待ちのボケ程度で処理するエカテリーナだが、肌で感じる会場の雰囲気から、自分は残ったほうがいいと判断した。
アレクセイとエカテリーナ、ユールノヴァ公爵家の兄妹両方がこの場を離れれば、この舞踏会場は男子の言葉に面白おかしく尾鰭をつけた噂話で持ちきりになりかねない。つい先ほど完全論破された妄言であっても、面白い話題ではあるだろう。SNSでも現実でも、噂話は事実よりも、人が面白がって聞きたがる話が広まるものなのだから。
それに、エカテリーナは理解している。
あの男子があまりに愚かなのは確かだろうが、彼がエカテリーナは偽物などという話を信じ込んでしまった最大の要因は。
魔法学園に入学するまでのエカテリーナを、誰も知らないからだ。
公爵令嬢ならば、幼い頃から皇城に出入りしていて当然。早々に社交界デビューしていて当然。高位貴族の誰もが見知った存在であって当然。
それなのに、そうではない。
そしてエカテリーナは、『変わった公爵令嬢』だ。公爵令嬢なら当たり前の価値観を持っていない。公爵令嬢ならしないような行動をする。
男子が叫んだ時、一定数の人々の中で、その事実が不信へと傾いた。
そんな気がした。
だから、エカテリーナはここにいようと思う。
「それにわたくし、あの方をお慰めしなければ」
エカテリーナが視線で示したのは、男子の婚約者『だった』分家の女子だ。彼女も関係者と言えるが、男子の暴言に何の責任もないことは明白、なのに豹変した元婚約者と一緒に居させるのは酷だろうということで、連れて行かれなかったらしい。
婚約した証のラストダンスを踊るはずだったのに、一人で立ち尽くしている。しかも相手があの有様だったのだから、周囲に何を言われるかと心配だった。
まあ、表情を見ると、悲しげというより怒りで一杯のようだが。
「そうか……お前らしい」
アレクセイは微笑む。
「時間はかけない。ラストダンスの間だけ、待っていてくれ」
そして一人きびすを返して、ニコライとアリスタルフが向かった裏手へと去って行った。
ラストダンスは、もうすぐ始まりそうだ。
「馬鹿なのは解っておりましたの!でも素直なところもありましたし、扱いやすくていいと思っていたのですわ。それくらいのほうが、よい家庭が作れると……でもあそこまで!」
「本当に、残念なことでしたわね」
ハンカチを握り締めてぶっちゃけまくりの女子を、エカテリーナはせっせと慰めていた。
「あんな殿方と結婚しなくて済んだのですもの、むしろ幸運ですわよ!」
大きめの声でそう言ったのはマリーナだ。もしも男子の婚約者がマリーナだったら、男子はとっくに簀巻きにされて、どこぞから吊るされていたことであろう。
その隣にいるフローラが、マリーナの勢いを抑えかねて、困ったように笑っている。
「わたくしエカテリーナ様に申し訳なく……」
「あなたさまには責任のないことですわ。お気になさらず」
慰めながら、エカテリーナは周囲からの視線をものすごく感じている。
無理もないよね、と思ったのだが。
ざわっ、とそれまでとは質の違うざわめきが、会場を満たした。
不思議に思ってエカテリーナは顔を上げ――硬直した。
「エカテリーナ・ユールノヴァ」