「おやめくださいましお兄様!わたくし、お兄様が危険なことをなさるなど、嫌でございます!」
エカテリーナは思わず叫ぶ。
決闘でお亡くなりになった人、この世界でも前世でもいっぱいいるんですから!
ダメ絶対ー!
「どうかお立場をお考えになって!お兄様は、ユールノヴァ公爵家の当主であられます。御身に何かなど、決してあってはならないことですわ!」
その言葉に、アレクセイは妹を振り返る。
しかしそこへ、声が掛かった。
「お待ちを!」
叫んだのは、生徒会長アリスタルフだ。温和で沈着な人柄の彼が、血相を変えて息を切らせていた。ラストダンスの直前だから、もう裏方へ下がっていたのだろう。舞踏会を締める準備に追われていたところを誰かが呼んで、駆けつけてきたようだ。
それがきっかけで、エカテリーナはふと気付く。
ミハイルの姿が、見当たらなかった。
皇子は、どこにいるんだろう。
この一幕に関わらせまいと、なんらかの方法で遠ざけられているのかもしれない。もしそうなら、そんな用意周到に手が打たれていたなら、これはやはりユールマグナの差し金としか……。
「閣下、どうか少々お待ちを。この舞踏会は、我々生徒会の管轄下にあります。まだ最後の一曲、ラストダンスが終わっておりません。すべての曲が終わるまでは、決闘は禁じられております」
エカテリーナの想像をよそに、アレクセイと男子との間に割って入ったアリスタルフが、懇願するように言っていた。
いや少々お待ちをじゃなくて、完全に止めてください!
すべての曲が終わるまではって、終わったら決闘OKのルールがあるの⁉︎
あるんだろうな……。
絶対、ピョートル大帝の時代から続いているルールだな……。当時はまだこういう舞踏会はなかったはずだけど、原形にあたるものはあって、そこで女子を巡って争いが起きることを織り込んでのやつ。そりゃあの頃は、軍を率いて戦争するんじゃなくて一対一の決闘なら、平和的解決手段だよね!っていう感覚だったでしょうけども……。
そんな戦国なルールはさっさと改正してー!
「つきましてはこの件は、いったん生徒会に預からせていただけませんか。これから、場所を変えて関係者のみで話し合いをできればと――君も、そのほうがいいだろう」
「いいえ!」
誰もが予想外だったことに、アリスタルフの申し出を男子は拒絶した。
学園祭での馬上槍試合で、アレクセイの武芸の腕前は学園中に知れ渡っている。男子にはとうてい勝ち目はないはずだが、彼は胸を張って言い切った。
「決闘なら、望むところです。受けて立ちます!ただし」
妙に高揚した表情で、言い放つ。
「神前決闘でなら!」
どよっ、と会場がどよめく。
神前決闘とは、正義を司る神の神殿で行われる決闘だ。神が正しいほうに味方するため、どれほど実力差があろうと正しい者が勝つ。
いや神様に対して言うのもなんですけど、決闘しなくてもどっちが正しいか示してくれたら良くないですか?おみくじとかサイコロとかで『こっちが正しい』って出してくれればいいのでは。
神前決闘のことを知った時、つっこまずにいられなかったエカテリーナである。
ともあれ、会場の空気は男子に傾きかけたようだ。ここまで言うなら、男子の言葉は事実なのかもしれないと。
アリスタルフは咳払いした。観察眼のある者なら、呆れてため息をつきかけたのをごまかした、と見て取っただろう。
「……神前決闘は神聖なものです。あまりに根拠のない嘘の主張で決闘を望めば、神を愚弄していると判断され、決闘以前に厳しい神罰が下る場合があることは理解していますか?」
「僕は正しい!何の恐れもありません!」
アレクセイにビビりまくっていた先ほどの様子はどこへやら、男子は急にイケイケムードだ。アリスタルフが間に入ってくれたこと、決闘を申し込まれて逆に神前決闘という逃げ道を見出したことで、勝った気でいるらしい。
しかし、神にすがらなければ勝てないのは、威張れることではないはずなのだが。
そんな男子を冷ややかに見下して、アレクセイは呟くように言う。
「刀の錆になるよりも、神の御技でふさわしい罰を得ることを望むとは、殊勝な心掛けではある」
イケイケムードだった男子がきいッと歯軋りするような表情になったが、アレクセイはもう取り合わなかった。
そして彼は、あらためてエカテリーナを振り返る。
会場すべてに届くような、よく響く声で言った。
「我が妹エカテリーナ。神前決闘であれ尋常の決闘であれ、万に一つも私の身に心配はない。案じる必要は一切ありはしない。だが先ほどのお前の問いに答えておこう。
もしもこの身に何かあった時には、その時はユールノヴァ公爵家は、お前が受け継ぐ。お前は史上最も美しい女公爵となり、ユールノヴァの家名を燦然と輝かせるだろう」
一瞬、舞踏会場は静まり返った。誰もがアレクセイの言葉の意味を、しっかりと呑み込むまでに、一拍の時を要したので。
四百年の歴史を誇る、ユールノヴァ公爵家。
誇り高きその当主が、次の当主と告げるからには。
『あのエカテリーナ・ユールノヴァと名乗る女は、偽物だろう!卑しい血筋の平民を拾ってきて、公爵令嬢に仕立てあげているだけだと、誰もが言っているんだ!』
あの言葉。
それが事実など、あり得ようはずもない。
百万言を費やすよりも、確かな否定だった。
さすがお兄様。
完璧に打ち返してのけたわ……。
でも決闘はやめてください!
もちろんお兄様が負けるはずはないでしょうけど、思わぬ何かが起こらないとは言い切れないもの。
はっ!もしかして、決闘に持ち込んでなんらかの策謀でお兄様の生命を狙う、というのがあちらの狙いなのでは!
元々それが狙いでなくても、お兄様を害する絶好の機会になりかねない。
絶対ダメです!