327. 来年の話をすると鬼が笑う

エカテリーナとアレクセイは、一曲を踊り終えると舞踏フロアを後にした。

兄のエスコートに手を委ねて舞踏フロアを去りつつ、エカテリーナはニッコニコだ。

お兄様と踊れて幸せー!それにユールノヴァ領でファーストダンスとして踊ったのとは違って、他の人たちに交じって踊ると、おとぎ話や歴史もの少女漫画に出てきた『舞踏会』に参加したっていう感じがしたし。なんちゃって歴女として楽しかった!

美しき主役に去られてしまった楽団の指揮者が少し寂しそうな顔をしていることには、さすがに気付かなかった。

戻ってきた二人を、ダンスに見惚れていた人々からの拍手が迎える。エカテリーナは目を見張ったが、すぐににこやかにあちこちへ会釈した。

「エカテリーナ様、とても素敵でしたわ!」

マリーナが笑顔で称えてくれる。

生徒会書記の女子を含む三年生女子たちは、ひとかたまりになって拍手をしてくれているが、話しかけてはこないようだ。いつも遠巻きにしてきゃーっと叫ぶ彼女たちは、アレクセイのファンだと思うのだが、推しは遠くから推す主義なのだろう。と、理解するエカテリーナである。

「そう言っていただけるのは、パートナーの素敵なリードのおかげですわ」

微笑んで、エカテリーナは兄を見上げる。そんなエカテリーナを、アレクセイはもちろん優しいまなざしで見下ろしている。

エカテリーナはアレクセイ以外の男性と踊ったことが一度もないが、運動神経抜群な兄のリードが卓越していることは解る。踊る前には、誰かとぶつからないように気をつけないと、などと思っていたけれど、アレクセイのリードに身を任せていさえすれば何の心配もしないですんだ。

妹と違ってアレクセイは、大貴族の子息としての教養や技能を完璧に身につけている。ダンスも幼い頃から最高の教師に習ったようだが、側近のノヴァクからも手ほどきを受けたそうだ。

いつもは謹厳なノヴァクは実はダンスの名手で、妻のアデリーナもユールノヴァ領でエカテリーナのダンス教師を務めてくれたほどの踊り手。二人の出会いも祖父セルゲイに紹介されて舞踏会で踊ったことだそうで、それで子爵令嬢アデリーナが貧しい青年官僚だったノヴァクに惚れ込み、ゲットされて逆玉の輿で子爵家へ婿入りすることになったのだからすごい。

ユールノヴァ領でノヴァク夫妻のダンスを見る機会があったが、さすがの見事さで、若者には出せない風格すら感じたものだ。

もしかするとノヴァクさんとアデリーナさんも若い頃には、マリーナちゃんとニコライさんみたいに高々とリフトするようなキレッキレのダンスを踊っていたのかも。

そんな想像をしつつ、エカテリーナはマリーナに笑いかけた。

「マリーナ様こそ、先ほどのダンスはたいそう素敵でしたわ。見惚れてしまいましてよ」

「恐れ入りますわ。でもわたくし、優雅なダンスはまったく駄目ですの」

エカテリーナの賞賛に、コロコロと笑ってマリーナは言う。

「こいつは円舞曲で、持ち上げてぶんぶん振り回せと言い出すんだ。優雅が裸足で逃げるよな」

ニコライが話に加わると、マリーナはじろりと兄を睨み上げた。

「あら犯人はお兄様ですわよ。円舞曲を習ったばかりの頃いつもそうしたから、そういうものと刷り込まれてしまったのですわ。わたくしは被害者」

「あの頃からお前が頼んできたんだって!」

あまりにクルイモフ兄妹らしいやりとりに、エカテリーナは笑ってしまう。

持ち上げてというか抱き上げてぐるぐる回るって、ちっちゃい子はやってもらいたがるよね。小さい頃のマリーナちゃんがねだって、小さい頃のニコライさんが何度もやってあげていたんだろうな。可愛すぎる絵面!

「よくわからないが、クルイモフ家ならではの特殊な円舞曲なのだろうか。マリーナが好むなら楽しいのかもしれないな。エカテリーナ、やってみたいか?」

アレクセイに言われて、エカテリーナは固まってしまう。

「待て待て、アレクセイ。この猿ならともかく、上品なエカテリーナがそんなの喜ぶとは思えんぞ」

あわててニコライが止めに入った。

が、エカテリーナは一瞬の熟慮の上、アレクセイに囁いた。

「お兄様……今ではなく、二人での練習の折にでも、試してみとうございます」

だってええー!

私も小さい頃からお兄様と一緒だったら、そんなおねだりをしていたかもしれないもん!

そんな子供時代をちょっとだけ取り戻す意味で、ちょっとだけ……。

それにお兄様も、ちょっと子供に還った気分を味わってくれるかもしれないもん。

妹のおねだりに、にこ、とアレクセイは笑う。

遠くから見ている推し活勢が、何人かくらっとよろめいていた。

「ニコライ様とお兄様は同じクラスですもの、ダンスの授業をご一緒なさいますのね」

魔法学園では授業でダンスを習う。アレクセイとニコライが同じクラスときては、さぞ他の生徒たちから抜きん出ているに違いない。

と思ったら、ニコライが頭を掻いた。

「うちのクラスはなあ。なんだか知らんが、毎度男子が余るんだよな」

「まあ」

エカテリーナは目を見張る。

うちのクラスもそもそも男子が少なくて女子が余るので、ダンスの授業ではいつも私とフローラちゃんがペアを組んでおりますけれども。

「クラスの男女比の問題ですの?」

「そうじゃないんだが、毎度……」

言葉を濁すニコライに首を傾げたエカテリーナ。しかし、ふと思いついた。

ニコライさんが言葉を濁すのは、女子の体調不良というかそういうことなんだろうけど。

それは虚偽申告では?

お兄様と同じクラスのお姉様方は、推しを遠くから推すタイプの推し活ガチ勢。ということは、お兄様のダンスパートナーになることを禁忌と思っているのでは。

それが理由で授業すらパスしてしまうのだとしたら……恐るべき推し活のファンダメンタリスト!

おののくエカテリーナ。

なお、現在はまさにそれが理由だが、かつては一部のアレクセイのパートナーになろうと画策する女子たちによる暗闘やパートナーになれた女子への妬みと嫌がらせや、様々なダークフォースが渦巻いての授業放棄があり、その果てで推し活への昇華にたどり着いたのであったりする。

「では、殿方同士でダンスの授業を」

何気なく言った瞬間、生徒会書記が呟いた『閣下には殿方とご一緒してほしいと思ったことも……』という言葉と、それがきっかけで新選組と同時代の女性が彼らをネタにBL小説を書いていたというびっくりネタを思い出したことを思い出したエカテリーナである。

もしや、真の狙いはそれでは……という疑惑を込めてちらっと推し活勢を見ると、何を察知したのか彼女たちはそれぞれのパートナーの後ろに身を隠していた。

「いやまあ、それもつまらんから、大抵は俺とアレクセイが抜けて、二人で武術の自習をやってたよ」

ニコライがあっけらかんと安心安全な答えを返す。

そうですね、二人は授業でわざわざ教わる必要なんか、すでにないですもんね。先生もどうぞどうぞですよね。

めでたしめでたし、と話を心のどこかにそっと片付けるエカテリーナであった。

「エカテリーナ、アレクセイ、見事なダンスだったね」

ミハイルがフローラと共に現れて、声をかけてきた。

皆に褒めてもらえるのはお兄様のリードというブーストのおかげであって、自分の付け焼き刃のダンスなんて大したことない……と思っているエカテリーナは、照れくさいというか恥ずかしくなってしまう。

「恐れ入りますわ。ミハイル様は楽しんでおられまして?」

そう尋ねたのは、姿が見えなくなったタイミングと現れたタイミングからして、フローラとミハイルも一曲踊った可能性もあると思ったからだ。自分がファーストダンスではないダンスを楽しんだように、ミハイルも一参加者として舞踏会に参加する楽しさを感じたかもしれない。

と、言ったそばから自分で、なんか可能性低そう……とは思ったエカテリーナである。

「楽しいよ。普段は接点がなくて話せない人たちと、たくさん話ができた」

ロイヤルスマイルで言われて、エカテリーナは納得しかなかった。

理由はないけど、なんかそれがしっくりくる。

でもせっかくの学園の舞踏会なのに、ファーストダンスを踊って皇子と話をしたい人たちと話をするって。いつもと変わらなそうなことだけなのは、もったいないなあ。

「……ミハイル様も、いま少し、いち生徒として舞踏会を楽しめると良うございますわ」

つい、エカテリーナは言ってしまう。何をどう楽しむかはそれぞれの自由だけれど、ミハイルの人生では今しか味わえないことを、できるだけ経験してほしいと思うのだ。彼のそういう境遇は、アレクセイとも共通するものなのだし。

ミハイルは微笑んだ。

「エカテリーナはいつも優しいね。来年の舞踏会では、たくさんダンスを楽しみたいな」

どこか甘い声音でそう言われて、エカテリーナははっと気付く。

そうか。

そりゃそうだ!

今年の舞踏会、パートナーはフローラちゃん。私が申し込まれて困っていたから皇子のパートナーになると申し出てくれたけど、皇子とは学園イチ身分の違いがあって、一歩間違うと入学した頃に受けていたいじめが再燃しかねない。

そりゃ、今年は無理に決まってるわ。来年に期待だわ。

深く納得したエカテリーナである。

相変わらずの残念女である。

「さようでございますわね。来年はぜひ」

ダンスをお楽しみになって、と言いかけて、再びエカテリーナははっと気付いた。

来年って、私が皇子のパートナーになる約束してるやん!

皇子が来年、イチ参加者としてダンスを楽しむってことは!

私が!来年は、皇子といっぱい踊るってことだぞ?大丈夫か自分!

不自然に言葉を途切れさせたまま、内心で頭を抱えまくるエカテリーナ。

しかし、その途切れた言葉を、周囲は誰も不自然とは思っていなかった。

「…………」

エカテリーナの隣から、何かの圧が発生している。誰もが感じ取れるほどに、ずっしりと。

圧の発生源は、もちろんアレクセイだ。ネオンブルーの瞳が底光りしていた。

一応、冷気は発していない。しかし、周辺の人々の心胆を寒からしめていた。

ミハイルから来年はパートナーになってほしいと申し込まれて受けてしまったことは、当然エカテリーナからアレクセイに報告している。社畜の魂を持つ者として、上司への報連相は欠かさない。

その報告を聞いた時にも、アレクセイの機嫌は急降下したものだった。

とはいえ、反対はできない。皇子ミハイルのパートナーに、エカテリーナ以上にふさわしい令嬢はいないのは明らかだ。

とはいえ、嬉しくはない。アレクセイにとってはエカテリーナはまだ子供で、まだまだ家族の庇護下にいるべき存在なのだ。

そんな相反する思いを抱えつつ、表立った反対はできずにストレスを溜めるばかり。それが圧になってダダ漏れているアレクセイである。

その圧が向かう先はミハイルなわけだが、たじろぐこともなく少なくとも一見は涼しい顔で受け流しているから、こちらも大したものなのだった。

その頃になってようやく、内心で抱えていた頭を上げて、周囲の空気に気付くエカテリーナ。

「お兄様……何か、ございまして?」

兄を見上げて首を傾げる。

そんな妹を見下ろして、アレクセイは言った。

「私が学園を卒業しなければ、来年もお前のパートナーは私が」

聞いた瞬間、ニコライが目を剥く。

「いやアレクセイ、何言ってんだ。学年首席のくせに留年する気か」

「君の場合、これから全科目0点を取っても無理だと思うよ」

世にも珍しいことに、ニコライとミハイルに速攻でつっこまれたアレクセイであった。

もしもこの場にアレクセイの側近ノヴァクがいたなら、こう口走っていたかもしれない。

「閣下、お気を確かに」

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