325. 恋人たちの鳥と矢印

ファーストダンスの終わりと共に、会場ではいろいろと人の動きが起きていた。

さんざめくような話し声、笑い声も上がって、舞踏会は一気に華やいでいる。

一番多いのは、フローラとミハイルが去って無人になった舞踏フロアへ、手を取り合って進み出る男女だ。

舞踏会はこれからが本番。

意中の相手と踊るこの日のために、ダンスの特訓をしてきた者も多いことだろう。少しぎこちないエスコートが初々しい一年生たちの中に、クラスメイトの光の魔力を持つユーリや、親にあてがわれた仮婚約者だったアセルをなんとか詐欺師から取り戻したコルニーリー、そしてそれぞれのパートナーの姿が見えて、エカテリーナはそっと微笑んだ。

頑張れ。

そしてもう一つの流れが、飲み物や食事を提供する一角へと進む人々だった。

こちらはもの慣れた感じの者たちが目立って、三年生が多いようだ。

舞踏フロアへの流れには、もちろん一年生だけでなく二年生も、三年生もいた。

しかし、割合は一年生が一番、その次に二年生が多い。

下級生はダンスに向かい、上級生は余裕で飲み物や食事を楽しむ。

理由はと考えるに、もちろん三年目の慣れはあるとしても他の大きな要素として、この舞踏会が学園における婚活の最大の山場だから、ではないか。

一年生、二年生は、舞踏会のパートナーは見つけたものの、婚約までは至っていない状態だろう。しかし三年生ともなるとこの時期には、すでに婚約を済ませている者が多く、婚活に励む必要がなくなっているに違いない。

そして学園の舞踏会には、学園にしかない『ラストダンス』という慣習があるそうだ。

舞踏会の最後の一曲は、婚約済または相思相愛のペアだけが踊る。

だから三年生を中心に、ラストダンスに向けて体力を温存しているという面もあるのだろう。

このラストダンスはいろいろと物語を生んでいると聞いている。

なにしろ、最後の一曲を踊れば、相思相愛と宣言したも同然。まだ婚約を済ませていないペアであっても、ラストダンスを踊れば婚約したとみなされる。親に許されない男女がラストダンスを踊って、強引に婚約へ持っていくことはしばしばあるらしい。

それぞれ別の婚約者がいる男女がラストダンスを踊って、そのまま駆け落ちしてしまったこともあるそうな。

あと、三年間ラストダンスで毎回違う相手と踊ってスキャンダルになる男女もちょいちょい発生して、後日の噂話を賑わせるそうだ。

スキャンダル男女はさておいて、ラストダンスに誘うことは、プロポーズと同義。

この機会にパートナーと婚約したい男女が、なんとかラストダンスの申し込みを受けてもらおう、なんとかラストダンスの申し込みをしてもらおう、と舞踏会の前から意気込んだり策を練ったりもする。

また、コルニーリーとアセルがそうだったように。舞踏会を乗り切るためのパートナーとして仮の婚約者となった相手への婚約破棄を目論む者が、その舞台として選ぶのは圧倒的にこのラストダンスなのだった。

婚約破棄とか、あんまり不穏なことが起こらないといいなあ。生徒会役員の皆さんが最後のご奉公として頑張ったこの舞踏会、最後まで平和に楽しくあってほしい。

……まあユールノヴァ公爵家(うち)とユールマグナ公爵家の対立で学園の分裂が表面化している状況で、何を言っとるかと言われそうな話ですけれども。

などと思いながらエカテリーナは、アレクセイ、フローラとミハイルと共に、飲み物を求めてそれを提供する一角へと向かっている。

マリーナとニコライのクルイモフ兄妹は、こちらとは別れて舞踏フロアに行った。体を動かすのが好きなマリーナはダンスが上手で、授業でも積極的に踊っている。ニコライと組めば、きっとクラスメイトと組むより楽しく踊れるのだろう。見るからにうきうきしていた。

とはいえ王道ツンデレ兄妹だから、兄に運動させないと辺りを破壊しかねませんので!などとマリーナが憎まれ口を叩き、ニコライに頭をグリグリされるお約束の一幕は、ちゃんとあったのだが。

「ようこそ!さあ、ぜひ、味わっていただきたい」

近付いたところで、元気よく声をかけられてしまった。

声をかけてきたのは、生徒会副会長だ。武人らしく大柄で目立つ彼が、飲み物や食事の提供を仕切る役目に志願していたのは知っていたが、意外な姿にエカテリーナは目を見張る。

副会長の傍らには、大きな皿に山盛りの料理。

そして副会長は、両手に料理を載せた小皿を持って、せっせと周囲に配っているのだった。

――デパ地下とかスーパーの試食イベントの人ですか。エプロンが似合いそうすぎるんですけど。あっ業務用っぽいエプロンが幻覚で見える。

と思わずにいられないエカテリーナ。

なにしろ副会長が、以前より一段とツヤツヤでぷくぷくした顔をしているのだ。おそらく今日に向けて、料理の味見をかなりしたのだろう。大柄な身体も一回り大きくなったようで、着ている服までパンパンになっている。それがまた、手にしている料理がさぞ美味しいものなのだろうと思わせる。

そして料理そのものも、実に食欲をそそる香りを漂わせていた。

こんがりと揚がった鶏肉の揚げ物。エカテリーナがユールノヴァ公爵邸の料理長に再現してもらった前世の人気料理で、公爵邸で生徒会役員への試食会兼慰労会を開いた際、見事に副会長のハートを撃ち抜いた料理がこれだ。

もちろん『唐揚げ』である。

唐揚げが山盛りの大皿の横には給仕が専属状態でついて、小皿へ二つずつ取り分けている。副会長と唐揚げの周囲は、惹かれてきた男女が十重二十重に取り巻いている状態で、デパ地下試食イベントの人としての副会長の才能が開花してしまったように見受けられた。

学生にウケる鉄板の料理といえばこれ!と思って試食に出してみたら、思った以上にウケた。

ウケてしまってから、貴族ばかりの魔法学園の婚活イベントである舞踏会の料理に、ド庶民料理の唐揚げってどうよ……と頭を抱えてしまったエカテリーナである。

なので、貴族っぽくて婚活イベントっぽいオプションをせっせと考えてお勧めし、副会長は素直に取り入れてくれた。

「さあ、どうぞ」

十重二十重に囲む人々の輪から出てきてまで、副会長は唐揚げの載った小皿をエカテリーナとアレクセイにうやうやしく差し出す。フローラとミハイルは飲み物のほうに行ったらしく、いつの間にかフェードアウトしていた。

小皿は小さな長方形、唐揚げ二個がほどよく並んで収まる大きさだ。立食パーティーだから自分でナイフで切り分けたりはできないが、貴族女性ははしたなく肉にかぶりつくわけにはいかない。唐揚げ自体を小さくしてみると衣ばかりになって美味しくなかったので、前世と同じサイズで揚げて、小皿へ取り分ける時に給仕が切り分けて、オシャレな装飾付きの銀のピックで刺して原形を保つように工夫した。貴族のパーティー料理っぽい雰囲気の演出である。

そしてピックには、さらに仕掛けがあるのだった。

「どちらかを選んでください。刺さっているピックの先端が、どちらかが矢印でどちらかがハートです。矢印のほうが当たりで、ハートを選んだ側は、舞踏会の間に勝者の願いごとをひとつだけ聞いてあげるルールなのです」

副会長がアレクセイに説明する。

これも、婚活イベントらしいオプションを、と必死で考えてひねり出したエカテリーナのアイディアだ。苦手分野だから、本当に必死でひねり出した。最小単位の王様ゲーム的なイメージである。

そしてどうやらこれも、思った以上にウケているようだ。

立食パーティーでは、普通ならペアといえど料理はそれぞれが取り皿に取って食べる。しかし唐揚げはひとつの小皿に二つ載っているわけで、男女のペアが仲睦まじく身を寄せ合って食べることになる。これだけでもドキドキイベントだ。初めて食べる唐揚げの美味に驚いて顔を見合わせて、互いの近さにあわてて顔を背けて赤くなる、といった現象もあちこちで発生しているようだった。

そして当たりとはずれがあることで、どちらを選ぶかで楽しそうに話し合っていたり、『当たり』を引いた側が喜んだり、願いごとをどうしようかと首をひねったり、はずれた側が何を言われるかとドキドキしたり、している。

……フローラとミハイルがいつの間にかフェードアウトしたのは、もしかするとそんなドキドキ唐揚げエリアを避けたのかもしれなかった。彼らはお互い、ドキドキしたい相手ではないので。

「これが有効なのは舞踏会の間だけだぞ。会場の中で叶えられる願いごとでなければ無効なんだ」

副会長が、近くにいた三年生らしき男女に念押しする。彼らの会話が気に掛かったようだ。高額な贈り物をねだったりしていたのかもしれない。

実は、エカテリーナがこの案を話した時にこういう問題が起きる可能性があると生徒会役員が指摘していた。副会長がここにいるのは唐揚げの宣伝と、問題防止のためだったりする。

まあ、彼も貴族令息なので手ずから料理を配るとは予想外だったが……本人は唐揚げの美味しさを広める役割が楽しそうだ。

副会長が差し出した小皿を、アレクセイが受け取った。微笑んでエカテリーナに差し出す。

「好きなほうを選びなさい」

「はい、お兄様」

当たりを引く必要は全くないので、なんなら兄に当たりを引いてほしいので、単に取りやすいほうをエカテリーナは選ぶ。アレクセイにお願いするより、お願いを叶えてよろこんでほしいではないか。

食べてみると、唐揚げはなかなかの出来だった。いい感じにカリッとする衣を作るのは難しい(市販の唐揚げ粉があった前世とは違うわけですよ。ああ尊い企業の商品開発努力……)のだが、ユールノヴァ公爵家の料理長が見出した調合が、かなり忠実に再現されている。ショウガを効かせた(ガーリックは抑えた)タレに漬けこんだ鶏肉はジューシーで、火の通り具合もバッチリだ。

エカテリーナがにっこり笑うのを見て、副会長が嬉しそうな顔をした。公爵邸で食べた通りの味を再現するために、服がパンパンになるほど試食を重ねたのだから、この美味しさの功労者は彼だろう。

副会長、グッジョブ!

そしてエカテリーナのピックの先は、ハート型だった。

アレクセイも食べ終わっていて、ピックの先端の矢印が見えている。エカテリーナが悪戯っぽく微笑んで、ピックの先のハートをアレクセイのピックの矢印に当てると、アレクセイも微笑んだ。

……なお、舞踏会に兄妹または姉弟で参加することはしばしばあり、そういうペアも周囲で唐揚げを味わっているが、どこかむなしそうな表情でいる。それが普通である。

「お兄様、お望みをおっしゃってくださいまし」

嬉々としてエカテリーナが言い、アレクセイは首を傾げた。

「お前の望みを叶えることが、私の喜びなのだが」

ある意味似た者兄妹。

そこへ、わあっと歓声が聞こえてきた。

歓声の源は舞踏フロアで、そこではまさに、マリーナが兄ニコライに高々とリフトされているところだ。

マリーナの細腰を腕一本で差し上げるニコライ。美しくポーズを決めるマリーナ。

大技炸裂である。

ここは競技ダンスの会場か⁉︎いやむしろ競技ダンスってリフトは禁止?それはともかく、マリーナちゃんとニコライさんのダンスレベル高すぎ!

リフトの後も、クルイモフ兄妹のレベル違いなダンスは続く。スピード感あふれるキレッキレのステップを踏みながら、他の踊り手たちの間を縫って、縦横無尽にフロアを席巻する。赤が基調の衣装を着た二人だから、フリルを多用したドレスをまとったマリーナは特に、燃え盛る炎のようだ。

二人とも心から楽しげな、生き生きとした表情をしていた。

……息ぴったりだなあ。口喧嘩ばかりしているけど、本当は仲のいい二人だもんね。マリーナちゃんがニコライさんを誰かに獲られそうになったら、悪役令嬢に闇落ちしちゃうのは仕方ないことかも。

いやマリーナちゃんがニコライさんルートの悪役令嬢説は、ただの私の憶測ですけれども。

そして舞踏フロアは、最初よりも空いてきはじめたようだ。クルイモフ兄妹のダンスの素晴らしさに場所を譲ったのか、比較されたくなくて脱落したのか。

こちらもマリーナとニコライのダンスを見つめていたアレクセイが、ふ、と笑った。

そして、エカテリーナの手を取り、『願いごと』を言った。

「私と踊っていただけますか、美しい方」

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