324. 舞踏会はダンスを踊る催しです

皇国の舞踏会における、最も身分の高い者が最初に踊るというファーストダンスの慣習は、ピョートル大帝から始まったそうだ。

ピョートル大帝の妻、初代皇后リュドミーラは大のダンス好きだったらしい。若い頃には幼馴染の建国四兄弟を取っ替え引っ替えにパートナーにして一晩中踊って楽しんだという、若くてもそれはタフネスすぎでは?なエピソードが残っている。

しかしピョートルと結婚し、夫と彼の弟たちが破竹の勢いで成り上がっていくにつれて、舞踏会も政治的な付き合いばかりでダンスは一曲も踊れない……ということが増えてしまった。

踊る人々を残念そうに眺めるばかりの妻を喜ばせるために、最初の一曲だけでも二人で心置きなく踊れるようにと、ピョートル大帝がファーストダンスのルールを作ったらしい。

素敵な愛妻家エピソードーーと、これを知ったばかりの頃には思いましたが。

皇国の舞踏会マナーを少しずつ知ってみると、舞踏会では既婚者でも、夫や妻以外の人と踊ってはいけないということはないらしいのよ。皇后陛下だって、まあ誰とでもオッケーなわけではないけれど、親族とかもてなすべき来賓とかが相手なら目くじらを立てられることはない。皇国の黎明期なら、そういう身分的なことはもっと緩かったはず。

だからリュドミーラ皇后が踊りたいならピョートル大帝が政治的な対応を引き受けて、皇后のダンスパートナーは誰か他に見繕うという選択肢もあったのでは。それこそ弟たちの誰かとか。ファーストダンス制度ではリュドミーラ皇后は結局一曲しか踊れなかったはずだから、解決策としてはあんまりよろしくないでしょうよ。

なのにこんな慣習を作ってくれたせいで、後世の私たちが大変な思いをしてるんですからね!何してくれとんじゃー!

という私情で、素敵な愛妻家エピソードからよろしくない解決策へ評価を下げたのが真相なのは認めます、はい。

などというファーストダンスのうんちくが頭に浮かんで、どうにも止まらないエカテリーナである。

そのファーストダンスを、フローラとミハイルが踊っている真っ最中なのだが。

いや、最初はフローラとミハイルのダンスをハラハラドキドキと見守っていたのだ。しかし音楽の始まりと共に二人が踊り始めたあたりではハラハラしていたものの、そのダンスがあまりに安定して見事で心配無用すぎて、心臓がドキドキを放棄してすっかり平静になってしまったのである。うっかり大船に乗ってしまった気分。

ビジュアルは満点な二人だ。いつもよりだいぶ大人っぽい装いのミハイルと、編み込みの髪型がいつもより少し大人っぽいフローラは、その点でもよく合う組み合わせだった。

楽団の奏でる円舞曲に合わせて、二人が旋回する。白と黒のシックな装いのミハイル、白と銀と桜色のフローラ。フローラのドレスは動くといっそう美しく、ドレスのスカートが軽やかに広がって、一気に明るくなった会場の光にスカートに重なる銀糸のレースがきらめいて見えた。きらめく光と共に、精緻に刺繍された桜の花びらが舞い散るかに思われる。

ミハイルのリードはさすが見事なもので、運動神経もそろって抜群だから、ダンスのステップも完璧と言っていいほど揃っていた。見守る人々からは、感嘆の声がひっきりなしに上がっているーーのだ、けれど。

その完璧さがかえってなんというか、スポーツの模範演技を見るようで、うら若い男女が踊るならあるはずのときめき感がどうにも、ない。それもハラハラが職場放棄した理由のひとつだったりする。例えるならフィギュアスケートのペア競技とか、シンクロ……ではなくアーティスティックスイミングの男女ペアあたりだろうか。

身分の低いフローラが皇子のパートナーになるなど身の程知らずだ思い上がりだ、と叩かれる危険をエカテリーナはずっと危惧していて、フローラちゃんは私が守る!と拳を握ってお星さまに誓っていた。

しかしこの、ダンスパートナーでありながらみなぎる心の距離感……徹底的に礼儀正しい。そして微妙な緊張感。目を合わせて笑みを交わす瞬間もあるのに、「にっこり」ではなく「ふっ」という感じ。何やらライバル同士が認めあうかのような。

これで思い上がりとか思う人類がいるとはエカテリーナには思えないが、それでも叩く人は叩くのだろうし、守らなければという決意は変わらない。のだけれど、なんかこう危惧が、早送りの引き潮のようにスタスタ引いていくのはなぜだろう。

うーん、うーん。よくわからない。

乙女ゲームのヒロインとメイン攻略対象者だったはずなのに、どうしてこうなった。

そんな戸惑いからついつい、なんちゃって歴女的に楽しい歴史のうんちくに逃げてしまうエカテリーナなのだった。

私情はさておくと、ピョートル大帝がよろしくない解決策をとった理由は、ちゃんとというかあるっぽい。ちゃんとと言っていいのかわからないけど。

ダンスパートナーとして弟たちの誰かを見繕えば、と思ったけれど、そういえば末弟のパーヴェルは義姉リュドミーラ皇后に純愛を捧げているという噂があったんでした。晩年になって年の差婚をするまで女っ気がなくて、同性愛の噂もあったほど。

じゃあ他の二人……といっても、武辺一辺倒のパーヴェルと違って、次男セルゲイ三男のマクシムは政治的な対応に欠かせない人物。ずっと踊らせている場合ではない。

加えてマクシムは、その名も高き女好きだった。妻を預ける相手としては、純愛なパーヴェルよりもマクシムのほうがあかん感じ。

ちなみに我がご先祖セルゲイも、意外と女性関係は多彩でした。

というか、建国期の皇国は一夫一妻制が緩くて、権力と財力のある男性なら正妻以外に妻が複数いるほうが普通だったりした。戦国時代とか安土桃山時代の日本も、戦国武将は側室がいるのが当たり前くらいなイメージがあったけど、まああんな感じ。

そしてその女性関係は、政治と密接に結びついていた。当時は戦って負けて和睦を結ぶと、娘を差し出してくるのがセットで受け入れることで和睦が成立する、という場合もあったそうな。

そして当時は女性たちもワイルドで、我が夫に相応しいか見定めてくれるわ!と一騎打ちとか申し込んでくることがあった。訳あってご先祖セルゲイは、そういうのに当たることが多かった。

で、一騎打ちに勝ってめでたく娘を娶り、女丈夫な彼女たちにその一族の支配を任せていったと。

これはこれで戦国のロマンかもしれませんが、ご先祖が一番大切にした正妻クリスチーナは、小柄で心優しい女性だったそうで……彼女が心の安らぎだったんでしょうね。

この時代に女っ気がなかったパーヴェル、そりゃいろんな噂が立っても仕方ない。

三男マクシムも数えるのが大変なくらい側室が大勢いて、さらに人妻に手を出していざこざになったりして、元気が過ぎるのではという人だったのですが。

長男のピョートルには、側室は一人もいなかった。

何故なら、リュドミーラ皇后が許さなかったから。

若かりし頃には、こっそり貰っちゃって事後承諾でなんとかしようと話を進めた時もあったらしいけど、バレてボコボコにされたらしい。ピョートル大帝が。戦闘系最強とされる雷属性の強力な魔力を持ち、剛力で剣技に優れ、世界最強の戦士と謳われていた、ピョートル大帝が。

奥さんにはめっぽう弱かったわけですよ。

この話を知った時に思い出したのが、鎌倉幕府を興した源頼朝と奥方の北条政子。頼朝が愛人の元へ通っていると知った政子が、手勢を送って愛人宅をぶっ壊させたというエピソードがありましてね……。

政子には何も言えない頼朝が、愛人宅を襲撃した実行犯に八つ当たりして泣かせたとか、怒りの収まらない政子が愛人宅を提供しただけの人を流罪にしたとか、つっこみどころしかない話だった気がする。

愛人を襲撃させるのではなく、浮気した旦那のほうを自分でとっちめたリュドミーラ皇后のほうが、私としては好みです。

北条政子は晩年に尼将軍と称されたほど、日本史上屈指の優れた女性政治家だった。

リュドミーラ皇后もまた、戦術家として政治家として、優れた資質を持っていた。その資質をもって、ピョートル大帝を誰よりも理解し生涯支え続けた。

それでも側室を持つことを許さなかったのは、一人の女性としての旦那への愛情だったのかな。

だからファーストダンスは結局、リュドミーラ皇后のほうがピョートル大帝から目を離さないでいるために、出来上がった慣習という気がしてきた……私が恨むべき相手はリュドミーラ皇后だったか。

……ただしそれゆえに和睦とセットの側室がセルゲイとマクシムに集中し、パワーバランスと人間関係の調整が難しくなったことが、マクシムがパーヴェルと謀ってピョートル大帝に反旗を翻そうとする大事件に繋がったというのは、建国四兄弟についての歴史家の定説だったりするんですけどね……。

そうか、ファーストダンスから建国四兄弟のエピソードに頭がそれていくのは結局、今のこの政治的緊張に絡んでなんだ。

そう気付いたまさにその時、円舞曲が終わった。

ファーストダンスを終えて、フローラとミハイルは見守っていた人々に向き直る。ミハイルは微笑み、フローラは淑女の礼をとった。

エカテリーナは慌てて拍手する。ずっと他のことを考えていた後ろめたさでやたら大きな拍手になってしまったが、すぐ周囲からもわあっと拍手喝采が沸き起こった。

隣のアレクセイも、惜しみない拍手を贈っている。

「見事なダンスだった。チェルニー嬢がダンスを始めてまだ数ヶ月とは、信じがたいほどだ」

「ええ、フローラ様は多くの才能をお持ちですわ」

エカテリーナが思わずドヤったところへ、フローラとミハイルが戻ってきた。

「エカテリーナ様」

「お帰りなさいまし。お二人とも、たいそう素敵でしたわ」

いそいそと歩み寄ってきたフローラに、心からの称賛を込めてエカテリーナは言う。エカテリーナだけでなく、周囲を取り巻いている人々も口々に素晴らしいファーストダンスを讃えていた。

だよね!と思ったものの、いかんいかんとエカテリーナは気を引き締める。周囲にいるのはユールノヴァ派であって、フローラを攻撃するとしたら、離れた場所にいるユールマグナ派の二年生たちだ。

もっと社交に長けていたら、こちらから彼らに何か仕掛けることもできるのかもしれないけれど、エカテリーナにはそんなスキルはない。今日はなるべく彼らと接触しないようにして、舞踏会を楽しもう。

そんな思いで、エカテリーナはにこやかにフローラとミハイルに微笑みかけた。

「喉がお渇きではありませんこと?飲み物を取りに参りましょう。お食事の準備もできたようですわ、ミハイル様にぜひ、我が家のシェフが考案したお料理を味わっていただきとうございます」

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