ミハイルとウラジーミルがどんな感じで会話するのか、内容は聞こえなくとも様子は見ていたい……と思ったエカテリーナだったが。
アレクセイとエカテリーナから離れたミハイルにウラジーミルが挨拶に来たように、ミハイル皇子が離れていって近寄りやすくなったエカテリーナの周囲に、じわっと人が近寄ってきていた。
多くは、エカテリーナがドレスを斡旋した女子たちだ。ドレスを身に着けた『完成形』(そしてパートナー)を見せてお礼を言いに来てくれたのだと気付いて、エカテリーナは彼女たちににっこり笑いかける。
ぱあ、と笑顔になった女子たちが、いそいそと歩み寄ってきた。
たちまち、エカテリーナの周囲に大きな人の輪が出来る。
会場へ来るまでの道すがらでも、見覚えのある顔を見かけては褒めちぎりたいと思っていたエカテリーナだ。女子たちの挨拶を受けては全力で晴れ姿を褒め、彼女たちのパートナーとも言葉を交わす。パートナーの男子はエカテリーナに見惚れてしまったりもするのだが、女子もアレクセイをちらちら見上げてぽっと赤くなったりもしているので、まあお互い様であろう。
挨拶を受けつつ周囲に気を配って、挨拶が終わると次へ目を向け、さりげなく人を回していく。ユールノヴァ領で培った女主人スキルが、それなりに身についているエカテリーナであった。
しかし内心、エカテリーナはちょっと焦っている。
お兄様に、公爵家の当主としての日常とは違う、学生時代の思い出を作ってほしいのに。この状況、あまりにも社交という公爵家の『業務』に近すぎない?
ていうか私の友達ばかりでお兄様にとっては顔も知らない子たち、トドメに話題はお兄様が興味ゼロのドレスよ⁉︎
お兄様は社交はお好きじゃないし、せっかくのイベントを全然楽しめていないのでは!ブラコンとして心が痛い!
実際にはアレクセイは、最愛の妹が多くの人々に慕われる様子を見て満足気なのだが、世話焼き気質のエカテリーナはついついあれこれ気を回さずにいられない。
そこへ、救いの神が現れた。
「まあ、マリーナ様、ニコライ様!」
「ごきげんよう、エカテリーナ様。なんてお美しい!」
温かなオーラを振り撒いて、クルイモフ兄妹が現れた。
赤毛に金がメッシュのように混じった豪奢な髪色は、兄妹共通。赤が二人のイメージカラーと言っていい。当然というべきか、マリーナの衣装は赤を基調とし大きなフリルが波打つ、華やかなものだった。
実は、用意していたこのドレスをやめて『天上の青』で新たなドレスを作ります!と言い出したマリーナを、エカテリーナが全力で止めたのであったりする。
マリーナには、青はあまり似合わない。それなのにそんなことを言い出したのは、ユールノヴァ家への支持を舞踏会で表明するために違いない。流行だからというのも、ちょっとあるようだったけれど。
ともあれ、せっかくの舞踏会。一番似合うドレスを着て輝いてほしい、と『天上の青』ではなくガラスの飾りを取り入れる方向で説得し、マリーナも受け入れてくれた。
かくしてマリーナのドレスには、立派なイミテーションジュエリーとしてデザインされた大きなガラス片が縫い付けられていて、キラキラ令嬢は物理的に輝いている。袖にはビーズ状の細かいガラスで模様が描かれているのも美しく、人目を惹く。それだけ飾っても本人の明るさとマッチしているせいか、派手と眉を顰められない雰囲気が彼女にはある。
エカテリーナは心から言った。
「マリーナ様こそお美しゅうございましてよ!なんて華やかでいらっしゃるのかしら!」
手を取り合う妹たちの横で、兄同士も笑みを交わしている。
「君も華やかだな、ニコライ」
アレクセイが言うのを聞いて、エカテリーナはそっと微笑んだ。いつの間にかアレクセイとニコライは、名前で呼び合う仲になっていた。
「クルイモフ(うち)家の色だからな。仕方ない」
などと言って笑うが、赤を基調としたきらびやかな礼服もいかにも武人らしいニコライが纏えば、軍礼服のように威厳すら感じさせる。男も見惚れる美丈夫ぶりだ。
ただその礼服に少し不似合いなのがーー喉元につけている小ぶりなクラヴァットが、青いことだった。
『天上の青』夏の天頂色。
人気者のクルイモフ兄妹が、揃ってユールノヴァ支持を表明してくれているのだった。
「アレクセイも華やかだと思うぜ。こういう場でも目立つなあ」
趣は違えど、アレクセイも長身の美丈夫。
そんな二人の会話を聞きながら、エカテリーナは思う。
こういうのを求めてました!気の置けない友人との、身分の関係ない会話。学生時代の思い出!
そういえば、うちの森林農業長のフォルリさんが、学生時代にお祖父様と殴り合いをしたって言ってたなあ……アップルパイのことで。
お兄様と殴り合いはしないでほしいけど。
ニコライさん、どうかお兄様とずっと、いい友達でいてください。
そんな風に楽しく語り合っていたところ、魔力の発動を感じたと思うや、ふっと会場がさらに暗くなった。
会場の明かりは燭台に灯した火だ。もともと火をつける本数を抑えて暗めにしていたが、火の魔力を持つ誰かが魔力でほとんどの蝋燭の火を消したのだろう。
つまり、いよいよ舞踏会が正式に始まる。
しんと静まり返る会場。
そこに、光が生まれた。
会場の入り口で生み出された光の珠。暗い会場から闇を払い、人々の視界を取り戻す。高く掲げられた珠が放つ純白の光は優しく、幻想的で、会場からはわあっと歓声が上がった。
この反応の下地には、学園祭で大好評を博した、エカテリーナのクラスの劇で披露された光の魔力を使った演出がある。
光の魔力で珠を創り出したのは、ひとりの女性だった。
高く掲げた右手の掌の、さらに上の中空に光の珠を浮かばせて、辺りを照らし出している。大柄な、ややふくよかな体格で、顔立ちは地味であるようだが、それがむしろこの状況では地母神めいた包容力や威厳を感じさせていた。
三年生、最上級生に違いない。生徒会長アリスタルフから以前聞いたことのある、舞踏会のオープニングセレモニーを引き受けてくれた光の魔力を持つ女子生徒だろう。
今までは目立つ存在ではなかったであろう彼女は、しかし堂々と背筋を伸ばして光で周囲を照らしながら、会場の入り口から奥へと歩みを進めてゆく。人々は崇めるように仰ぎ見つつ彼女の前に道を開けた。
なお、灯りを掲げた女神というイメージから、エカテリーナはニューヨークの自由の女神像を思い出したりしている。
会場の最奥、舞踏フロアの奥の壁の前まで来ると足を止め、彼女は振り返って人々と向き直った。
奥の壁は普通なら巨大な絵画でも飾られていそうな広さだが、今はただむき出しの白い壁だ。光を掲げてその前に立つ彼女を、何が起きるのだろう、と皆がわくわくして見つめている。
ふた呼吸ほど間を置いて、彼女は掲げていた手を下ろした。光の珠もすうっと降りて、彼女の胸の前あたりで輝く。それを両手で包み込むようにして、彼女は目を閉じた。
そして、光を上へ投げあげた。
光の珠が分裂し、細かい光の粒になって広がる。彼女を取り巻いてさらにその頭上へ、光の噴水が吹き上がるように立ち昇って広い壁を彩る。そのまま消え去るかと思われた淡い光は、しかし徐々に収束してさながら星雲のようにゆるやかに渦を巻いた。
その渦はさらに収束し、一筋の光の線となって繋がる。線は大きな光の輪を描き、その中に複雑な図形を描いて、ひとつの形を成した。そこにいる誰もが見慣れた形を。
巨大な魔法学園の校章が、純白の光を放って輝いていた。
わあっ!……と、大きな歓声と拍手が起きる。
エカテリーナももちろん大拍手だ。
すごいすごい!校章みたいな複雑な図形を、ノールックで頭上に正確に描くなんて、すごく精緻な魔力制御!それに、途中で光を細かくして動かしたのはどういう技術なんだろう。私の魔力属性は土で、土をあんな風に動かす方法なんて見当もつかないから、本当に不思議でならないわ。属性が違うと魔力って全く別物だなあ。それがまた不思議ー。
冷静なアレクセイも感心したようで、一緒に拍手を送っている。
と、エカテリーナに囁いた。
「もしやこれは、お前の発案か?」
エカテリーナは驚いて兄を見上げる。すぐに否定しようとして、ふと思い出した。
そういえば、舞踏会直前に生徒会一同とお茶をした時、光の演出が話題になったのではなかったろうか。
その時の会話を思い出した上で、エカテリーナははっきりと首を横に振った。
「いいえ、お兄様。わたくしはランタンを使った演出の案は申し上げましたが、光の魔力で校章を描くという発想には至りませんでしたの。ですけれど、フローラ様がユールノヴァ領での歓迎の宴で、虹石を使って光で紋章を描いたことをお話しになっていましたわ。それがヒントになったのではありませんかしら」
「そうか」
納得した様子で、アレクセイは頷く。彼がエカテリーナの案ではないかと考えたのも、ユールノヴァでの光の紋章を連想したためだったのだろう。
「虹石の紋章も美しゅうございましたけれど、このように魔力で描くのも素敵ですわね。会場のどなたにも見えやすいのですもの」
虹石の紋章は、床に描かれていた。公爵家本邸の大広間には大階段があり、人々は二階へ自由に移動できたので、上から見下ろすことが前提だったのだ。そういう会場でもなければ映えないが、今回の空中に光で描き出した校章は誰もが楽しむことができていた。
光の校章は、もうちらちらと明滅している。長く保つことはできないのだろう。
むしろこの巨大で複雑な形を、これだけ保っているのは驚くべきことだ。光の魔力を持つ三年生の女子生徒は、実はなかなかの魔力量の持ち主であるらしい。
「魔力は、戦さに使うよりもこのように喜びのために使うほうが、わたくしは好きでございます」
「お前らしい」
アレクセイは微笑む。
「お前が好むのであれば、我が家にも光の魔力を持つ者を召し抱えるとしよう」
「まあ、お兄様……」
私が好むというだけで、イベント時の臨時雇用ではなく正規雇用してくださる?採算度外視で人件費を投じてくださるとおっしゃる。
さすがですシスコンお兄様。
「だがそもそも、光の魔力がこのように注目されるきっかけを作ったのはお前だ。お前がいなければ、この見事な演出はなかった。あの女子にとって、今宵のことは生涯の誉れとなるだろう。今まで重視されてこなかった魔力属性を持つ者たちを引き立てようとする、お前の優しさこそが光。お前の存在こそが魔法だ。最も称賛されるべき者は、お前なんだよ」
「お兄様ったら」
さすがすぎます超絶シスコンお兄様。
明滅していた光の校章がついに消え、会場は一気に暗くなった。
と思うや、別の魔力の発動を感じ、会場に用意されていた蝋燭のほとんどに火がともる。先ほど蝋燭を消した、火属性の魔力の持ち主の仕事だろう。
一気に明るくなった会場に、三年生女子は大役を果たしたことを実感したのだろう。ぽっと顔を赤らめて淑女の礼をとった彼女に、改めて惜しみない拍手が送られた。
会場の奥から去って彼女が向かう先には、背の高い針金のように痩せた男子が待っていて、女子に微笑みかけている。彼女のパートナーであり婚約者であるに違いなかった。
ほっこりした気持ちになるエカテリーナである。
そこへ、楽士たちの音合わせの音が聞こえてきて、エカテリーナははっとした。これから、ファーストダンスだ。
ミハイルとフローラ、ファーストダンスを踊る二人が、舞踏フロアに現れた。