舞踏会の館も目前になると、会場へ向かう参加者たちで周囲が混み合ってきた。
館の入口付近では行列というか団子状態になってしまっていて、その手前から歩みも遅くなる。広々とした敷地を持ち、時間におおらかな魔法学園で、こんなことになるのはとても珍しい。
で、不可抗力でパートナー同士の男女の距離がぐぐっと近くなったり、接触してしまってあわてて離れてお互い真っ赤になったり、男性が女性を庇って胸きゅんさせたりする、婚活に効きそうなイベントが多数発生している模様なのであった。
この混雑も国家の罠?ってんなわけはないか。生徒たちが自らドキドキイベントを引き起こしている可能性のほうが、高いよね。
などと思っているエカテリーナは、もちろんアレクセイにくっついて庇ってもらっている。ミハイルとフローラはこの状況に困っているのでは……と思って視線を送ると、さすがに周囲が遠慮しているのかミハイルの周囲には余裕があり、密着することなくフローラを守っていた。
むしろミハイルは心配そうにエカテリーナを見ていて、目が合って少し驚く。
「エカテリーナ、君はこんな風に人が多いところに慣れていないのじゃないかな。大丈夫かい?」
そう言われて、さらに驚いた。
人混みくらいで心配されるの、違和感しかないんですけど!
こんなの、前世の通勤電車と比べたらレベチだから。余裕すぎるから!
しかしミハイルに守られているフローラまで、気がかりそうにエカテリーナを見ている。
「殿下の仰せの通りだ。エカテリーナ、大丈夫か」
アレクセイにまで言われて、エカテリーナはあわてて笑顔を作って見せた。
「もちろん大丈夫ですわ、お兄様のお側ですもの。皆様、どうぞご心配なく。ミハイル様こそ、このような場には慣れておられないのではありませんこと?」
「そうだね。制服ではないから皇城にいるような気分だし……護衛騎士たちがいないのが不思議な感じだ」
……さすが真正セレブ。確かに君は生まれた時から、SPに囲まれているのがデフォだっただろうね……。
そんな君が私を心配っておかしいから、と思って、エカテリーナはやっと気付いた。
そうか、前世はともかく今生の私は、生まれてから一度も人混みにもまれたことはないんだったわ。幽閉のち引きこもりの公爵令嬢には、そんな経験をする余地はなかったわ。
実は私、お姉さんなのに。前世では通勤電車やらスクランブル交差点やら、ここにいる誰より混雑スキルは高いのに。なんか擬態しててごめん!
とエカテリーナは思っているが、そういった謎の異世界スキルを持っているからこそ『浮世離れ』した『世間知らずのお嬢様』と認定されているのだと、もう少し理解すべきかもしれない。
そんな混雑の中でも歩みは進んで、エカテリーナたちは舞踏会の館に入った。
入口付近に、ちゃんとクロークが設けられている。こういう設備を使うのは初めて、そういえば参加者側としてパーティーに出るのは初めてなのだと、実感しながらエカテリーナはミナが着せかけてくれたショールをそこに預けた。
舞踏会のための館であるから、その奥はもう、舞踏のための大広間だ。
足を踏み入れて周囲を見回すと、そこはまさに舞踏会の空間。シャンデリアの下のまだ無人のダンスフロア、絵画が飾られた壁近くに楽器を抱えて控える楽団、行き交う給仕たち、そして華やかなドレス姿と礼服姿の男女に心が浮き立ってくる。
「学園の中とは思えませんわね」
「はい、皆さんいつもと違って見えます。とっても素敵」
エカテリーナがはしゃいだ声で言うと、フローラも楽しそうに相槌を打った。
アレクセイとミハイルは、黙って微笑んでいる。彼らのパートナーこそ、いつもの制服姿よりいっそう艶やかで華やかで、周囲の注目の的なのだから。
会場内は明かりが抑えられていて、やや暗い。開会時のセレモニーに備えてのことだろう。
それでも人の顔が判別できないほどではなく、エカテリーナがドレスを斡旋した女子たちの姿もちらほら見えて、あちこちから目礼され、エカテリーナも一人一人に微笑みを返した。
うんうん、さすが本番。仮縫いとかの時よりずっと、皆とっても綺麗だよ!
兄にエスコートされているのでなかったら、駆け寄って褒めちぎりたい気持ちでいっぱいだ。いつも制服姿で会っている彼女たちが、今宵はきらびやかなドレスに身を飾って舞踏会に参加している。ギャップ萌え多発、全員がシンデレラ状態である。
それに……と、周囲と見比べて、エカテリーナは思う。
エカテリーナがドレスを斡旋した女子たちは、若干、他の女子たちより目立っているのではないだろうか。
なにしろ、輝いている。物理的に、キラキラと。
彼女たちのドレスを斡旋する時、経済格差に負けずに豪華な見た目にするために工夫を凝らした。ガラス工房から綺麗な色ガラスをもらってきて、加工してイミテーションジュエリーとして縫い込んだりしたのだ。
それが、今の控えめな明かりの中だからこそ、光を反射してキラキラ光って人目を引いているのだった。
よし、狙った通り豪華そうに見える。それに飾りをつける位置もそれぞれが引き立つように工夫したから、背の高さ低さとかのコンプレックスをカバーしたり、美点を引き立てることができているんじゃないだろうか。あの頃には今年の舞踏会の演出テーマなんて知らなかったから、ただ伝手があって手に入るものを活用しただけなんだけど。結果的に効果が出て良かった!
皇国ではガラスのアクセサリーが一般的ではないというか、安物とか紛い物と馬鹿にされる可能性もあったけど……私がつけているレフの青薔薇のブレスレットの効果で、今この舞踏会ではガラス装飾の地位が爆上がりしているのを感じてます。実は視線を感じるので。左手に、釘付けって感じで。見る人がざわついているのも感じてます。
公爵令嬢の私がガラスのアクセサリーを身につけていれば、表立って馬鹿にする人はいないだろうと計算はしていたけど、レフの才能は私の計算を超えてたわ。天才って、才能ってすごい。世界を変えるのが天才ですよ。
レフ、君は本当に天才だよ!
そうやって見回しているうちに、なんとなく、学年ごとにそれぞれの衣装の傾向があるような気がしてきた。
一年生は、きらめくガラスのイミテーションジュエリーで飾ったドレスが多い。その共通点を持ちつつ、デザインは多様。エカテリーナが、流行やら何やらを置いておいて、本人に一番似合うと思うデザインを推したためもある。
出身地の流行や伝統で仕立てたドレスをちょっと皇都風にアレンジしていたり、エカテリーナがプレゼントした祖母のドレスを仕立て直していたり、今や皇都で一番人気のデザイナーとなったカミラ・クローチェの弟子がデザインしたドレスをまとっている者もいる。
おそらく例年、一年生のドレスはこうしてそれぞれの出身地の特色が出て、多様なデザインになりがちなのではないだろうか。今年はさらにエカテリーナが別の要素を加えた形になって、いっそうダイバーシティなことになった気がする。
三年生は、皇都の流行に沿ったおしゃれなドレスを着こなした、垢抜けた感じの人が多い。最高学年だけあって、皇都に馴染んでいるのだろう。
そんな三年生女子の多くがドレスに使っている生地は、『神々の山嶺』の向こうから来た絹織物。そこに『天上の青』を加えてアクセントにするのが、今の皇都の流行だ。髪や瞳の色が多様な皇国では皆が青が似合うわけではないのだが、そこを工夫して入れ込むのがセンスの見せ所となっているらしい。
そして、二年生。
二年生の衣装は、目新しい。皇国が皇国になる前の、建国四兄弟時代の伝統衣装をイメージしたデザインを、多くが採用しているようだ。伝統衣装なのに目新しいのは今の流行ではないからだが、日本の着物のような感覚で、華やかなちょっと正式な場に着るのには常にふさわしい。
この伝統衣装は、エカテリーナも好きだ。
ちょっと前世の、中央アジアあたりの民族衣装に似たところがある。カザフスタンとか、あのあたり。そしてもっと似ているのが、前世で大人気だった美麗な絵が特徴のファイナルなファンタジーRPGゲームシリーズの衣装だったりする。
現在の皇国の服装は近世ヨーロッパ、それも西ヨーロッパの国々に酷似しているので、伝統衣装のほうがファンタジー感マシマシなのだった。
……それにしても、二年生の伝統衣装。
いや、ステキだけれども。
皇都の流行通りでは、ユールノヴァの『天上の青』を身に着けることになる。ユールマグナ寄りの人々には、それは受け入れられなかったのだろう。
だからあえて、流行を気にしなくて済む伝統衣装を取り入れたデザインにした。ユールノヴァには与しない、そういう意思表示と、伝統を重んじるユールマグナへの賛同をも表しているのではないか。
裏返せば、一年生のイミテーションジュエリーも、三年生の『天上の青』も、ユールノヴァ寄り……少なくともユールノヴァに敵意がないことを表している。そう捉えることができる。
実感した。
宴って、戦場なんだ。
人々の衣装で、戦場の形勢を測る。精一杯美しく装ってきた若者たちを、陣地にひるがえる旗を数えるように見渡す。それが、権力を求める人間の視点なのだろうか。
ここは学園なのに。
誰もが、年に一度のイベントに心を躍らせる学生たちなのに。婚活にときめいたり、パートナーに少しでも良い自分を見せようとおしゃれに知恵を絞ったりして、今日の晴れ舞台にのぞんでいる若者たちなのに。そんな彼らを、道具であるかのように見るのは、心が痛い。
私、前世で社畜という名の一兵卒として、消耗品のように過労死した身だったもんなー。道具として扱われるのは、嫌なものですよ。
でも……権力闘争に参戦せざるを得ない公爵家の一員として、そんな甘っちょろいことを考えてはいけないんだろう、な。
そう考えて、エカテリーナが暗い気持ちになってしまった時。
アレクセイが、妹の肩に腕を回して囁いた。
「ご覧、お前が成し遂げたことを」
驚いて、エカテリーナは兄を見上げる。
成し遂げたこと、とは?
「学園内でこれほど多くの者たちが、ユールノヴァへの支持を明らかにしている。何ひとつ政治的な働きかけをしていないにも関わらずだ。
お前はただ、慈愛の心で人々に手を差し伸べ、そのあるがままの美しさを『天上の青』で彩った。それだけだった。損得を超えた行動で、損得のない敬愛を得る。それは滅多に起こらないことだ。麗しきエカテリーナ、この光景はお前だから起こすことができた、美しい奇跡なんだよ」
「お兄様……」
奇跡と言うなら、お兄様のシスコンが奇跡だと思います。
権力者の視点よりシスコン視点。あらゆることを妹への賞賛に変換する、最強シスコンコンバーター。変換力が変わらないどころか威力を増してゆく、ただ一人のシスコン!
そしてお兄様は奇跡のシスコンにして、超有能公爵閣下。そうだよ、みんながユールノヴァを支持してくれる一番の理由は、ユールノヴァが有力だから。お兄様が公爵家を守り、さらに発展させてくれているからだよ。
『天上の青』の流行は皇后陛下が衣装に取り入れてくださったからだけど、それは将来国政に参加するであろうお兄様への期待もあってのことだから、やっぱりお兄様のおかげ。
私なんか大したことしてないわ。権力闘争に参加なんて、気負って思うのが恥ずかしい程度だわ。
お兄様、ありがとうございます。おかげさまで目が覚めました。
そんな思いを伝えようと、エカテリーナは兄を見上げる。
ーーその時。
どよっ、と声にならないどよめきが上がり、人々の視線が一斉に動いた。会場の入り口へ。
つられて、エカテリーナもそちらへ目を向ける。
ひと組の男女が会場へ入ってくるところだった。
女性は、ザミラ・マグナス。青みがかった黒髪を結い上げて、いつも以上に妖艶さを増している。
そして、彼女のパートナーは。
青紫色の髪。凄艶なまでの美貌。その美貌に、ほっそりした体躯に、ファンタジックな伝統衣装があまりにも似合う。この衣装は彼のためにこそある、とまで思える。
伝統衣装にほどこされている刺繍は、図案化された水仙の文様だった。
姿を目にするのは、思えば入学直後以来だった。あの時にも凄い美形だと思った彼は、さらに凄みを増しているように思える。
ウラジーミル・ユールマグナ。
病弱ゆえに舞踏会への参加はないと考えられていた彼が、予想を裏切って会場に姿を現したのだった。