314. 闇の左手

とにもかくにも、パートナー詐欺対策・男子編はミッション完了となった。

セミョーンは兄ハリトーンに連行されて、エカテリーナの手引きで生徒会に引き渡された。

なお、手下の男たちはさっさと学園から退去させられている。

公爵令嬢に不埒な罠を仕掛けたのだから、本来ならセミョーンは学校関係者に突き出すところだ。なんなら、皇都警護隊を呼んでもおかしくないレベル。

しかしそうしてしまうと、ナルス伯爵家の家名は地に落ちる。学校外から駆け付けて弟を制止したハリトーンの努力を無にするのは忍びなく、エカテリーナは穏便な解決を選んだのだった。

それは、兄アレクセイのためでもある。

『この際、ナルス家を押さえておくのも面白いでしょう』

ノヴァクが呟いた、あの言葉。ナルス家は、何らかの理由でユールノヴァ公爵家にとって有益ということ。伯爵家として普通はあり得ない、令息たちが怪しげな男たちと関わりを持っているという特異性が、あの言葉と響き合う。

すでにアレクセイはハリトーンと接触していて、セミョーンの問題を伝えたということだった。けれど、それだけではない気がする。ハリトーンが現れた時にイヴァンに向けた視線とイヴァンの反応――そんな薄い根拠しかなくても、なんとなくエカテリーナはそう思っている。

稀代のシスコンであるアレクセイは、エカテリーナが望めばどんな処分でも肯定したに違いないけれど……稀代のブラコンでありたいエカテリーナとしては、アレクセイにとって一番良いように、ことを運びたいのであった。

それにハリトーン君ならしっかりしてそうだし、将来はお兄様の側近の一人になって支えてくれるかも。お兄様の過労死対策になってくれるかも!

決め手はそれであったりする。常にそこを忘れないエカテリーナであった。

セミョーンは最後まで往生際悪く、兄を脅したりすかしたり泣き落そうとしたりしたのだが、もちろんハリトーンは応じない。

同行したマリーナの前で格好をつけていた面も、どうやらある。

ともあれそんな断固たる対応を生徒会は評価して、そしてエカテリーナの意向も汲んで、温情によりセミョーンを学校側には引き渡さないと決めた。

まあ、この頃にはセミョーンの両頬は、真っ赤に腫れ上がっていて……痛々しいやら可笑しいやらの有様だったので。

腫れが引いたら、くっきりした手形の痣が両頬についているだろう。その顔で学園内で過ごさせたほうが、被害者女子たちの目を醒まさせるのに効果的、という判断もあったと思われる。

あとは我々が、と生徒会長に言われて、ハリトーンは帰っていった。

明らかに後ろ髪引かれている彼に、面白そうな、もとい好意的な目を向ける生徒会役員たちから、もう夕食の時間も近いのでお帰りをと言われてエカテリーナたちも生徒会室を辞し、短い間ながらハリトーンと同道した。少し雑談したくらいで特に何もなかったが、ハリトーンは嬉しそうだった。

もちろんエカテリーナは、何かのフラグに全く気付いていない。

エカテリーナほど鈍くはなくても、こちらもたいがいブラコンなマリーナも、自分のことには鈍い。というか彼女は重度のブラコンである。

兄ニコライもシスコンで、攻略難易度は致死レベルであることを、ハリトーンはまだ知らない。

彼の苦労人人生はまだこれから、なのかもしれなかった。

そしてセミョーンは、痛々しく腫れた頬にもかかわらず、生徒会メンバー総がかりでぎっちぎちに絞められたのであった。終わった時には目は虚ろ、顔色は青白く、真っ赤な頬とのコントラストが異様に見えるほどげっそりしていた。

いかに懲りない性格の彼でも、さすがに繰り返すことはないだろう。

が……生徒会役員たちのほうも、消化不良な表情をしていた。

「申し訳ありません。どうしても、誰にそそのかされたのか、口を割らせることができませんでした」

翌日、生徒会長のアリスタルフに頭を下げられたエカテリーナは、内心で嘆息している。

「やはり皆様も、あの方が自身で企てたことではないとお考えになりましたのね」

エカテリーナの言葉に、アリスタルフは首肯した。

「はい。女性たちにちやほやされて増長するのは大いに納得できますが、ユールノヴァ公爵家を敵に回すような大それたことができる胆力の持ち主とは、到底思えません。あれは甘ったれの、阿呆な、小者です」

いつもソフトな生徒会長にしては、言葉にでっかい棘があるなあ……。

と呑気に思うエカテリーナである。いつも何かにだけ自覚がない。

「ですから当然、黒幕がいるに違いないのですが……それが誰かについては、どんなに問い詰めても言おうとしませんでした。ただその様子が、どうも不可解で」

おそらくアリスタルフもエカテリーナと同様に、ユールマグナ分家の色気美人、ザミラの関与を疑っている。その想定で切り込んだだろう。しかし、言質をとることはできなかった。

生徒会役員総出で追及されたセミョーンは、最初は普通に言い逃れをしたり黙り込んだりして、誤魔化そうとしているのが見え見えだったそうだ。

しかしだんだん、様子がおかしくなってきた。首をひねったり本気で考え込んだりして、訊かれたことへの答えを探すようになったのだ。終盤には顔色は(頬以外)青ざめ、額には脂汗が滲んでたという。

「まるで……話しているうちに、隠そうとしていたことを本当に忘れてしまったかのようでした。訊かれると、それをきっかけに記憶が次々に消えていってしまう、とでもいうような」

セミョーンのやつれようは、生徒会の追及が厳しかったからというより、自分の頭の中からあったはずの記憶が消えてゆく、恐怖感ゆえだったらしい。

「いや、そんなことはあるわけがない。あり得ないことを言ってしまい、申し訳ありません。ただの、我々の力量不足でしょう」

苦笑しつつアリスタルフはそう訂正したが、エカテリーナは隣のフローラと目を合わせ、共にうなずいた。確かに普通ならあり得ない、オカルトじみた話だが、二人にはフローラがセミョーンに向けて聖の魔力を放った時に感じた『手応え』の記憶が蘇っていたのだ。

「あり得ない……とは、言い切れないやもしれませんわ」

エカテリーナからそう切り出して、その時のことを話すと、アリスタルフは真顔になった。

「聖の魔力を浴びてナルス君の様子が変わったなら……本当に起きたかもしれないのですね。何者かがナルス君を……『闇の左手』で操っていた、などという、物語のようなことが」

『闇の左手』とは、ダーク系闇の魔力を指す言葉だ。光度調節型の闇の魔力と区別するために、そう呼ばれる。

「そう、まるでお芝居の筋書きによくあるお話のようですわね」

エカテリーナも苦笑してしまう。

まだまだこの世界のエンタメに詳しくはないエカテリーナだが、それでも知っているくらい「黒幕は闇の左手」というオチは王道テンプレだそうだ。それが聖の魔力で破られるまでがお約束。なにしろ古代アストラ帝国より前の文明ですでにそういう劇が存在したというから、もはや伝統芸能である。

なおエンタメどころか、現実でも犯罪の動かぬ証拠を突きつけられて

『自分には覚えがない。闇の左手で操られていたせいだから無実だ!』

と言い出すアレな奴が後を絶たないそうな。

故にかえって、良識ある人なら『闇の左手』に操られたと言い出す人を信じない。

理由は、闇の左手と呼ばれる魔力を持つ人間が、極めて稀だからだ。

フローラが持つ聖の魔力は一世代に一人しか現れない、いやユールノヴァ領での魔竜王ヴラドフォーレンの話では時代の転換期にしか現れない、というほどのレアだが、それと同等のレア度らしい。

今学園に数名いる闇の魔力保持者は、すべて光度調節型の、その辺を暗くするタイプばかりだ。光の魔力と同じくらいの、学年に一人か二人くらいのレア度である。

「しかし……チェルニー嬢を疑うわけではないのですが、今の皇国に『闇の左手』の使い手がいるとは聞いたことがありません。何らかの、別の要素があるのかもしれません。ナルス伯爵家も特殊なようですし、そちらで何かある可能性も考えられます」

「それは、仰せの通りですわ。決めつけてしまうのは早計ですわね」

エカテリーナはうなずいた。

隣でフローラもうなずいている。

基準を満たす魔力の持ち主は魔法学園に入学し、何の魔力の持ち主かを判定される。今の学園、どころか皇国には、闇の左手を持つ者はいないはず。

……では、フローラの感じた「手応え」は。セミョーンの奇妙な反応は。

何だったのだろう。

黒幕の可能性が高いザミラが、何かをしたのならしっくりくる。彼女自身が闇の左手の使い手なら、イメージ的にもぴったりだ。けれど、それはあり得ない。

イメージで勝手に決めちゃイカンしね。いくら敵対していても、冤罪を作ってはいけない。

でも、ナルス家側で何かが……というのも、ピンとこないわ。私に関わってくる理由がないはず。

記憶を消す魔力が他にもある?

実は魔力ではなく、前世の催眠術的なものだったりして。

うーむ、わからん!

……あ、わからないで思い出したけど、ハリトーン君に訊きそびれたわ。皇子に声をかけてもらったと言っていたけど、どういう状況で会ったのか。

皇子は……協力するって言ってくれたのに断って、でもその後に思ったより面倒なことになったりして、何となーく会うのが気が引ける。あの時皇子の申し出を受けていたら、もっと穏便に済ませることができたかなあ。

あー、こんなことなら皇子に相談しておけば良かった。

そんなモヤモヤを抱えつつ生徒会室を辞し、エカテリーナはフローラと共にアレクセイの執務室に向かった。

廊下ですれ違う生徒たちは、揃ってエカテリーナに視線を向ける。ひそひそ話す者もいる。昨日何があったかは生徒会しか知らないので、憶測を話し合っているのだろう。

セミョーンが頬に痣のある顔で現れたら、私がひっぱたいたことになっちゃったりして。

なるよね!私、悪役令嬢だからね!

なら、仕方あるまい……本当にマリーナちゃんみたいな威力のあるビンタができるように、手首とか鍛えてみようかしら。

などと考え込んでいたエカテリーナは、執務室に入ったとたん、驚きに固まることになる。

「やあ、エカテリーナ」

「……ミハイル様」

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