312. 兄と弟

思いがけず響き渡った聞き慣れない声に驚いて、エカテリーナは振り返った。

一組の男女が、こちらへ駆けてきている。

声をあげたのは先を走る青年ーーというか少年というか迷う年頃ーーだったようだ。

年齢的には魔法学園の生徒でもおかしくないが、身に着けている服は学園の制服ではなく、私服だ。平日のこの時間には生徒はあまり私服で行動することはないし、どことなく生徒ではないような雰囲気がある。服の仕立ての良さや雰囲気から見て、貴族令息ではあるだろうけれど。

スチールグレイの髪、瞳も同じのようだ。なかなかのイケメンで、背が高く、日頃から鍛えていることが走り方から見て取れる。快足を飛ばして、見る見るこちらへ近付いてきていた。

そして女性というか女子は、この場所へ来る時に途中まで一緒だったマリーナだった。

この場の不穏な空気に気付いて、駆け付けてくれたのだろうか。いや、両者の位置関係はマリーナが先を行く男性を追っている状態なところから見て、生徒ではないと思われる青年がこちらへ走っていくのを見かけて、怪しんで追いかけてきたのか。

なお、青年には追い付けていないが、彼女も伯爵令嬢にあるまじき俊足で駆けていた。

青年がこちらへちらりと視線を送り、エカテリーナはおやと思う。彼が見た先が、エカテリーナではなくイヴァンだったようなので。

この人物はイヴァンを知っているのだろうか。イヴァンがここへ現れたのは、エカテリーナの守りを固めるためだけでなく、この青年が現れることが予定されていたから?

そしてイヴァンは、警戒ではなく友好的な余裕で、その視線を受けた気がした。

『お前こそ、何をやってるんだ』

あれはどう考えても、セミョーンへ向けた言葉。すると彼はセミョーンの関係者……。

はっ、なんか顔も似てるかも!こちらのほうがイケメンだから、言っちゃなんだけど上位互換て感じで!

そういえばセミョーンは次男だったーー。

一瞬でそんな思いがエカテリーナの脳内を駆け巡るうちに、青年はエカテリーナたちの横を通り過ぎ、まっすぐセミョーンの手下の男に向かった。

勢いそのままに、男の頭を引っ叩く。

「何やってるんだ、この馬鹿!」

「ハ、ハリトーン様」

叩かれた男は、頭を押さえて目を白黒させた。

「いやしかし……俺ら、ご命令の通りに」

「命じてないぞ、誰が俺の指示だと言ったんだ!」

「え、そりゃ……坊ちゃんですが」

と言いつつ男が指さしたのは………もちろん、セミョーンだ。

そのセミョーンは、おどおどと中空へ目を逸らしていた。

「次期伯爵の命令だ、ってお話だったんで……」

「そうか」

青年ーーハリトーンは、唸るような声で言う。

えーと。

このハリトーンという人は、おそらくはセミョーンのお兄さん。

セミョーンはナルス伯爵家の跡取りという話だけど、それは長男であるお兄さんには魔法学園への入学が許されるほどの魔力がなかったから、魔力の強いセミョーンが家を継ぐ可能性が高いということだったはず。

でも、この男たちはどうやらナルス伯爵家に仕えていて、彼らは伯爵家の跡取りはハリトーンだと思っていて……。

「セミョーン!」

ハリトーンが咆える。

セミョーンはーー逃げ出した。

逃げた先は森。

ハリトーンのほうが足が速そうだが、学園内の地理を知らないなら、セミョーンにもワンチャン逃げる可能性が残されている。

ーーふっ………おろかものめ!

実は、準備はできていた。

エカテリーナは魔力を発動する。

ゴバッ!とセミョーンの前方に土壁がそそり立った。

「わー!」

叫んだものの避けられるタイミングではなく、セミョーンは土壁に激突。

そこでエカテリーナが土壁を崩したので、セミョーンは土の小山に埋まった。

しーん……と一瞬、静寂が落ちる。魔力を持たない者たちには、何が起きたか理解できなかったのだろう。

「お見事です、エカテリーナ様!」

フローラは全く驚いた様子なく、笑顔で褒め称えた。魔力を持つ者は、他者が放つ魔力を感じ取ることができる。ミナが闘っていた時にエカテリーナが地中に魔力を流していつでも発動できる状態にしていたことに、フローラは当然気付いていたのだ。

それでセミョーンを止めた土壁がエカテリーナが造り出したものだと解ったようで、ナルス家の手下の男たちが、エカテリーナに怯えたような視線を向けてきた。

いやその、公爵令嬢が強くてすまん。

でもね、私ほんとにけっこう、強いのよ。自分で言うのもなんだけど、土魔力の強さではたぶん、今の学園では最強よ?

これ、セミョーンが場所の選択ミスったって話だと思うわ。この場所、土魔力を使える者にはわりと有利だもの。

そこで私を、魔力を持たない一般人を使ってどうこうしようとか、アホかっちゅう話ですよ。

きっとこれも、私がセミョーンの呼び出しに応じることをお兄様が許してくれた理由のひとつだと思う。

でもまあ、長らく平和な皇国だから、魔法学園の生徒でもけっこう平和ボケというか、魔力を実践で使うことを想定できないのは無理もない点はあるんですよ。

使い方の訓練を受けても、いざと言う時に使えるとは限らない。パニックを起こすと、自分に魔力があることが頭から抜け落ちたり、あるいは魔力制御を誤って自分の身を危険にさらす場合があり得ると、授業でも繰り返し習う。

私が上手くやれたのはーー。

「お見事でした、お嬢様」

いつの間にか側に戻ってきていたミナが、いつも通りの淡々とした声音で言う。

エカテリーナはにっこり笑った。

「ミナとイヴァンがわたくしを守ってくれるおかげで、安心して魔力を振るえたの。上手にできたのは、そのおかげよ。

先ほどは、たいそう見事な働きだったわね。ミナに守ってもらえること、わたくしあらためて嬉しく思ってよ」

そう。戦闘に特化した訓練を受けたわけではない私なので、ミナやイヴァンがいてくれなかったら、こんなにうまくやれたかわかったもんじゃないです。

これが解るのも、前世の人生経験のおかげですね。ひとりでできるもん、と思っていたけど、頭で想像するのと現実は大違いってこと、いくらでもあったもの。

支えてもらっているからこそできること。

それを忘れたらあかん。人として!

ミナの口角がほんのり上がった。

「セ……セミョーン、大丈夫か?」

セミョーンに追い付いたハリトーンが、戸惑い気味に言う。

エカテリーナはもちろんセミョーンを生き埋めにするつもりはなく、あくまで足止めが目的なので、土の量はたいしたことはない。自力で立ち上がれるはずだ。

が、セミョーンが動かない。

えっ、私やっちゃった!?土の量が多すぎた?硬いものが頭にぶつかって意識不明とかだったらどうしよう!

と、エカテリーナが焦りまくった時。

ふっ、とそこに濃い影が落ちた。

今は秋の夕刻。光は澄み切って儚い。夕闇は確かに、辺りを覆いつつある。

それでも、その影は異様だった。影というより闇、セミョーンとその周辺だけが、すでに深夜であるかのようだ。

はたとエカテリーナは気付いた。

あ!セミョーンの魔力って、闇か!

それも正統派の!

皇国やその周辺国で今も使われている、古代アストラ帝国時代に成立した魔力分類には、闇の魔力が存在する。

光の魔力があるので、それと対になる闇の魔力も、あって当然ではある。が、不思議なもので、光の魔力は純粋に光を操って辺りを明るくしたりするだけのものなのに、闇の魔力はなぜか二種類のタイプがある。辺りを暗くしたりする光度調節系タイプの他に、前世のファンタジーで闇魔法とか黒魔法とか呼ばれていたような、人に幻覚を見せたりする精神作用系タイプがあるのだ。

おそらく、白魔法的な魔力は聖の魔力に分類されて光の魔力とは切り離されたが、聖の魔力と対になるようなダークな魔力は分類上に存在しないため、闇の魔力にまとめられたのだろう。エカテリーナが持つ土の魔力も、土を操る正統派以外に、植物を操る系や鉱物を操る系がまとめられている。

いや一緒にするのおかしいでしょ。

なんてこと考えてる場合じゃない!なんとかしないと、セミョーンに逃げられる!

広範囲に土壁で囲んで閉じ込める?木が邪魔だ。

落とし穴状態に大きな穴を作る?ハリトーンを巻き込む恐れがある。

エカテリーナは焦る。

その時。

白い光が炸裂した。

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