セミョーンの呼びかけに応じて、木立の陰から数名の男たちがわらわらと現れた。
――これは!
エカテリーナは驚愕する。
まるっきり、前世の時代劇に付き物だったやつ。悪代官が「出合え出合え!」とか叫ぶと手下が山ほど現れる、あのシーンそのまんまでは!
まあ私が見たのは多分、時代劇そのものではなくバラエティーのパロディだと思うけど、子供心に、あんな即座に現れることができる範囲内にこんな大勢の人たちがどうやって待機しているんだろう?なんて疑問に思ったのを覚えている。子供の頃の私って、純真だったのかスレていたのかどっちだったのかしら。
ピンチな状況にも関わらず、呑気なことを考えてしまうエカテリーナである。
まあピンチといっても、そこまで差し迫った危険を感じないということだろう。
現れた男たちの数は、十人足らず。TV画面を埋め尽くすように三下が集合していた『出合え出合え』の場面と比べれば、少なく感じる。
全員、ガラの悪そうな容貌だ。が、全員が庭師の格好をしているため、いまいち迫力がない。
そういえば生徒会役員たちが、毎年恒例で落葉の季節だけ臨時雇いする庭師の募集について話題にしていたことがあった。男たちは、それに紛れて入り込んだのだろうか。
とはいえ……魔法学園は、貴族の子女を預かる施設。しかも今は、皇子ミハイルの身の安全に責任を負う立場だ。それなのにこんなに易々と不審者の侵入を許すのは、さすがにおかしいのではないか。
これは、ユールノヴァ公爵邸の人事権を握る女主人としての疑問でもある。この時代でもそれなりに、被雇用者を選別するための仕組みが確立されているのを知っているので。
そういえば前世でも、京都の祇園などで今も残っているらしい「一見さんお断り」システムは、支払い能力のある人間を選別するための安全装置だそうだ。
一見さんがお断りなのは、クレジット情報などない時代、ふらっと入って来た客にどの程度の支払い能力があるのか知る術がなかったから。舞妓さんや芸妓さんを呼んで遊べるような料亭だと、一度の被害額が大きいのだろう。
あと、クレジットカードなど存在しないため、支払いはツケが基本。お金が全て硬貨の時代に、多額の現金を持ち歩くのはしんどいし危険だから、そうならざるを得ない。でもツケで遊んだあげくに逃げられてしまったら、被害額は大きいだろう。
ちなみにツケで払うのが基本なのは皇国も同じで、わがユールノヴァ公爵家もいろいろな支払いをまとめてしている。女主人なので、そこはよく知ってます。
そして私やお兄様が買い物をする場合、その場で財布を出して払う、なんてことはあり得なかったりする。まあ買い物はそれ以前に商人を公爵邸に呼んで注文するのが普通なのだけど、レストランで食事をした時とかも、支払いはしません。後日、月末あたりにレストランの遣いが公爵邸へやって来て、代金を受け取っていく。馴染みの店でない場合には小切手的なものを供の者が渡して、やっぱり後日受け取りに来てもらう。そういうもの。
実際に持ってみてつくづく思いましたよ。金貨、重い!マジ重い!
いっぱい持つの無理!
で、一見さんお断りの何が良いかというと、新規顧客の信用調査ができるのだ。その店の常連が、友人を連れて遊びにきたとする。そういう格式の店に通える人物の友人という時点で、ある程度の社会的経済的基盤の持ち主と想像できる。身分詐称も心配しなくていい。
さらに、こちら様は初めてですがどのような方で……などとちょっとした探りを自然にいれられて、その友人がどういう立場か、経済的にはどういう状況にあるのかまで把握できる。
そうして信用を得た友人は、次回以降は連れられるのではなく単独の客としてやって来ても、一見ではない知っている人という扱いで入店できる。
支払い能力の有無を事前に確認できているだけでなく、店に連れて来た常連は店にその客を紹介したことになり、ある程度の責任を持つ場合もあるらしい。
なお店が開店したばかりの時は、どこかの店からののれん分けとかだったりするので、縁のある店からお客を紹介してもらうそうな。
つまり、人と人との繋がりで安全を保証していたのが、ネットやコンピュータが登場する前の世界。
皇国でも、皇国によく似た前世の近世ヨーロッパでも、使用人が辞める時には次の職を得るために紹介状をもらう必要があるが、信用できる人物からの保証がない人物は雇わないのがセキュリティなのだ。
だから、臨時雇いといえども、まったく伝手のない人間が入り込めるのはおかしい。そこからもやはり、ユールマグナ公爵家の関与を疑う気持ちが湧いてくる。
「怖がることはありませんよ、ユールノヴァ嬢。僕はただ、あなたと二人で話がしたいだけなんです」
余裕を取り戻した様子で、セミョーンが言う。髪をかき上げてふっと笑うイケメン仕草つきなので、エカテリーナとしては『それ、いらんから』と内心でつっこみを入れざるを得ない。
なにより、二人で話をするというのが公爵令嬢にとって致命傷クラスのスキャンダルになり得るというのに、『だけ』とか何を言っておるのかと思う。
いや、それがそもそもの目的なのか。
男たちがじりじりと近付いて来る。
十人弱といっても、こちらはうら若い女性三人だ。屈強で荒事に慣れた男たちにしてみれば、大人しくさせることなど容易な相手と見えているだろう。
エカテリーナとしては――彼らに同情しかない。
こんな程度のピンチ、余裕だ。
なにしろ、ミナが一緒にいる。
そして……いくらエカテリーナが『ミナがいてくれれば大丈夫』と言ったとしても。
世界一のシスコン兄アレクセイが、エカテリーナを危険なところへ行かせて、何も手を打たないわけがないのだ。
ざあっ――と音を立てて、頭上の樹の梢が揺れた。
降ってきた人影が、軽やかに地面に降り立つ。ライトブラウンの髪、長身。エカテリーナたち三人を守って立つ位置だから見えるのはお仕着せを着た後ろ姿だが、もちろん分かる。
イヴァンだ。
やはりアレクセイは、信頼する従僕兼護衛をエカテリーナの守りに差し向けていたらしい。
「あたし一人で充分なのに」
不服そうにミナが言う。
「閣下のご命令だからな」
「ふん」
イヴァンが突然、文字通り降ってわいたのを見て、男たちは焦った様子で足を止めていた。
しかし、加勢は一人。イヴァンは長身とはいえ、外見は愛想のいい笑みを浮かべた優男だ。十人近い男たちを相手に、足手まとい(と見える)少女たちを守りきれるとは見えない。
恐れることはない。
そんな考えが目に見えるような表情で、彼らはまた近付いてきた。
「どうする?」
いつも通りの明るい声で、イヴァンが尋ねる。
ミナが答えた。
「あたしが行く」
言うが早いか、ミナが疾り出す。
まさに疾風。男たちはまったく反応できない――。
ミナが跳んだ。
メイド服のスカートがひるがえる。あり得ない高さの跳躍から、両足を揃えて全体重とスピードをのせた蹴りが、男たちの中心人物とおぼしき大柄な男の、顔面にめりこんだ。
――それは!
まさに!
ドロップキックでは!
ちょっと前からなんかやたらドロップキックのことを考えていたら、本当にミナが実現してくれた!
うちの美人メイドが私の心を読んでいるかもしれない件!
大柄な男が、見事に吹っ飛ぶ。
他の男たちは、無反応だ。目の前で起きた事態に、頭がついていかないのだろう。目だけを、きょとんと見開いている。
そんな彼らに、美人メイドの拳が唸った。
稲妻のようなフックが腹に頬に突き刺さり、次々に男たちが沈む。
ものの数秒で、男たちの数は半減していた。
「……え?」
残存している男たちの一人が呟く。
ここまできてようやく、自分たちが美人メイド一人に壊滅させられようとしている現実が、脳に到達したらしい。
ちょっとだけ、気持ちは解る。凶悪な男たちが美女に蹴散らされる展開は前世のエンタメで山ほど見ていたが、リアルの一般常識ではあり得ない図だ。エカテリーナでさえ、脳みそがバグる感覚を味わっている。
「張り切ってますよ、ミナの奴。お嬢様にいいところを見せたいみたいです」
「ま……まあ、そうなのね。そうね。ミナは、すごいわ」
脳がバグる感じなど全くしないらしいイヴァンの言葉に、そう返すのがやっとのエカテリーナであった。
「お前ら何をやってるんだ!」
セミョーンが地団駄を踏んで叫ぶ。
それへ、もうひとつの叫びが返ってきた。
「お前こそ何をやってるんだーっ!」