310. セミョーン・ナルス

ユールノヴァ嬢……!」

人待ち顔でたたずんでいたセミョーンは、エカテリーナの姿を見ると顔を輝かせた。

ここは、魔法学園の中でも普段は人気のないところ。広大な学園内に存在する森に少し入り込んだ場所にある、あまり使われない東屋の近くだ。

待ち合わせ場所にここを指定してきたのは、セミョーンである。身分が低い側が待ち合わせの時間や場所を指定するのはハッキリ言ってずうずうしい真似なのだが、被害者女子のことを思うとあまり人に聞かれない場所であるのは望ましく、エカテリーナも了承したのだった。

セミョーンが居たのは、東屋の外。待ちきれない気持ちの表れだろうか。

だが彼は、すぐ顔を曇らせた。フローラとミナが同行しているのに気付いたらしい。晩秋で葉を落としているとはいえ、周囲に木々が生い茂る見通しの悪い場所ゆえに、彼にはエカテリーナに付き従う二人が見えなかったのだろう。

なお途中まで一緒に来てくれたマリーナは、少し離れた別の東屋で別れた。しばらくそこで過ごし、帰りにまた合流することになっている。

「お待たせしたようですわね。申し訳のう存じます」

エカテリーナは微笑んで見せる。身分が高いエカテリーナよりセミョーンのほうが先に来ているのは、皇国貴族として当然のマナーなのだが、ここで当然という顔をしないのが淑女の慎みというものだ。

が、セミョーンの反応は思いがけなかった。ちょっとうつむき加減になって前髪に手をやり、ふっ……といかにも鷹揚な感じの笑みを浮かべて、言ったのだ。

「いえ、構いません」

いや、キメ顔いらんから。

思わず、内心で一刀両断するエカテリーナである。

なんかこの反応、おかしいんですけど。

いやある意味では、普通の反応すぎる?同じ身分だったら、普通の言葉だろう。キメ顔はいらんけど。

でも、公爵令嬢と伯爵令息。すでに親しく付き合っている相手ならマナーも例外がありうるけれど、まともに話すのも初めての間柄なんですが。

言葉遣いは丁寧だから、身分の違いが解っていないわけではないはずだけど……あまり他家との付き合いがなくて、身分が異なる場合のマナーが身についていないとか?

身分というものがほぼ存在しなかった前世の記憶を持つ私でさえ、いつの間にか身分にそぐわない行動に違和感を感じるようになってしまったというのに。まあ、公爵家はそういうのに厳しいというのはあるだろうけど……。

疑問のあまり、エカテリーナはまじまじとセミョーンの顔を見てしまった。

思えば、彼とまともに顔を合わせるのはこれが初めてだ。以前、本人を確認しようと彼のクラスへ行って姿を見たことはあったが、通りすがりに廊下から教室にいる彼をチラ見した程度だった。

こうして向かい合って、あらためてエカテリーナは思う。

(子供だなー……)

銀色がかったグレイの髪、瞳の色も同じ。長めの前髪がちょっと鬱陶しい、繊細そうな細面。

武人の家柄だったり、戦場で指揮を執るような上位貴族だったりする男子は、甲冑を身につけて戦場を駆け回ることができるレベルで鍛えることが多いが、セミョーンはそういうタイプではないようだ。

多少イケメンといえばそうかもしれないが、ただのひょろりとした高校一年生にしか見えない。

なんでこの程度で、何人も女子を引っかけることができるのか。謎。

と内心で首をひねったエカテリーナだが……でもまあ、と思い直す。

私の目が肥えすぎているのかも。

なにしろ一番見慣れているのが、超絶美形で超有能、超絶シスコンの兄アレクセイだ。

ふっ……思い出しただけでお兄様の麗しさにうっとりできるわ。今日も私はブラコンだわ。

さらに、ミハイル、ニコライ、レナート、アリスタルフたち乙女ゲームの攻略対象者も、さすがの美形ぞろい。アレクセイの側近たちも、祖父セルゲイに面食い疑惑が湧くほどイケメンイケオジぞろいときている。

思えばなんという豪華な花園人生であろうか。

だからたぶん、私の感覚がズレてというか贅沢になってしまっただけで、セミョーン君は世の中的には充分イケメンなんだろう。

あ、いやでもそういえば、結婚詐欺師って意外に美形ではなく、その辺にいそうな平凡な容姿の人が多いという話を前世で読んだことが。なので、世の中的にもそこまでイケメンではない可能性も?

まあ彼の最大の魅力は、結婚すれば将来は名家の伯爵夫人という立場に立てて、仮婚約者や家族をぎゃふんと言わせることができるところなのだろうから。被害者女子たちには、まさしく欲目でイケメンに見えているのだろう。……と言い切ってしまうのはさすがに可哀想だろうか。

なんだかなー……。パートナー詐欺師ってことで、いつの間にか極悪人みたいなイメージを育ててしまっていたけど、実際に顔を合わせてみると、マナーもろくに分かっていないお子ちゃまってだけなのかも。

やっているのは確かに悪いことなんだけど、あんまりにも先入観バリバリだったのは良くなかったかな。

と、軽く反省したエカテリーナだったが。

じっと見つめられているのをどう解釈したのか、セミョーンはますますキメキメな感じで、前髪をふぁさっとかき上げた。

ちゃうわ!

エカテリーナ渾身のつっこみである。

わりと冷めた目で見てしまっていると思うのに、なんでうっとり見つめているみたいに誤解しているんだ君は。むしろ、悪いけど「なんでこの程度で」とか、かなりディスってしまったわ!

今まで成功体験を積み過ぎたせいかな……無駄に自信家になってるんだろうな……。

先入観を持っていたことは反省するけど、実物を見たうえであらためてダメ出しさせてもらうぞ。

この勘違い野郎!

言っちゃなんだが、フツメンがやるイケメンしぐさは、寒いんだよ!

というエカテリーナの内心を夢にも知らないセミョーンは、上目遣いでとんでもないことを言い出した。

「あの……相談したいことなんですが、ちょっと込み入った話なもので……。

二人きりでお話できませんか?」

絶句。

初対面の公爵令嬢と二人きりで話をしたいなど、非常識でしかない。エカテリーナの脳内では、アレクセイが憤怒の形相で伝家の宝刀を抜き放っている。

お兄様ーっ!ここは殿中でござる!じゃなくて、学園内です!

忠臣蔵・松の廊下ネタをやってる場合か自分。あれは、史実を知ってみると吉良上野介が気の毒になる。それなのにお兄様に浅野内匠頭の役をふるのは、歴女としてブラコンとしてどうなのか!

って違うそこじゃない!

ついつい瞬時に脳内漫才をやってしまったエカテリーナは動けなかったが、表情を強張らせたフローラがさっとエカテリーナに寄り添い、ミナはゴゴゴと怒りの瘴気を発している。

ようやく我に返って、エカテリーナは言った。

「ご希望には添いかねますわ。お会いしたばかりの殿方と二人でお話しするなど、あまりにはしたのうございますもの」

「え?」

驚いたことに、セミョーンはきょとんとする。

「どうしてですか?僕に会いたくて来てくれたのに」

ちゃうわ!

渾身のつっこみ再び。

「お忘れですの?相談したいことがあると、貴方様からのご依頼でしたのよ」

「でも、嫌なら断るものなんでしょう?来るなら会いたいってことだって。なら、二人で話しましょうって言ったら、喜んでくれるはず」

いや何言ってんの。

脳味噌がねじれる気分を味わったエカテリーナだが――ふと気付いた。

セミョーンの言い様……誰かが、彼にそう言った?そう思わせた?

公爵令嬢エカテリーナは、伯爵令息セミョーンに会うことで、学園内、特に二年生から反感を買うリスクを負っている。ここで、供さえいない状態で話したとなったら、完全にスキャンダルだ。

エカテリーナの、ユールノヴァ公爵令嬢の名に疵を付けたい誰かが、糸を引いている可能性が――……?

脳裏に浮かんだのは、青みがかった黒髪の美女の、色香がしたたるような笑みだ。

ザミラ・マグナス。証拠どころか根拠すらない、直感にすぎない。……けれど、パズルのピースみたいに、しっくりとはまる。

もしそうなら、どこからが向こうの描いた図だったんだろう。くそう……うかうかと乗せられてしまったけど、この気付きを収穫と思って、とっとと撤収すべきなんだろうな。

それに、もし直感が外れていてザミラが関係なかったとしても、セミョーンはちょっとあかん子だわ。先入観を超えてきたわ。

絶対、何も考えてないだろ。

「エカテリーナ様は、ご気分がすぐれないようです。今日はここまでに」

エカテリーナの気持ちが目線や動きに出たようで、フローラが言う。いかにも侍女らしい心配りや言動がすでに出来ているあたり、さすがのポテンシャルの高さだ。

が、セミョーンはいきなり激高した。

「黙れ下賤!お前なんか、本当なら僕の前に出ることも許されない身分なんだぞ。わかっているのか!」

ぷちっ。

「それは申し訳ありませんが……」

毅然と言いかけたフローラの肩に優しく手を回し、エカテリーナは進み出る。背筋を伸ばし、冷ややかにセミョーンを見下す。

すみやかに静かに、悪役令嬢はキレていた。

「ナルス様。わたくしの友人を誹るからには、お覚悟はおありですのね?身分と仰せになるのでしたら、貴方様こそ、ご自分の身分のほどをわきまえるべきではありませんかしら」

身分や家柄をひけらかすなんて嫌いだけど、そっちが売ってきた喧嘩だからね?

高価買取したる!

「わたくしは、エカテリーナ・ユールノヴァ。ユールノヴァ公爵家の娘です。我が公爵家が幾たび何人の皇后を出し、幾たび何人の皇女の降嫁を賜ってきたとお思い?皇国四百年の歴史において、我が家は常に皇室と共にあり、皇帝陛下の栄光を最も近くでお支えしてきたのです。我が家は毎年、皇室御一家の行幸をお迎えいたしますのよ。

お尋ねしますわ。わたくしに馴れ馴れしい口をきく貴方様のナルス伯爵家は、いかほどのお家柄ですの?」

ピョートル大帝の兄弟を開祖とし、皇国貴族の最上位であり続けてきた三大公爵家。エカテリーナの身分に対抗できるのは、同じ三大公爵家のみだ。

さすがに圧倒されたようで、セミョーンはおどおどと言葉に詰まっている。

「それでもわたくしは、身分の異なる方とのお話を拒んだりはいたしません。真に貴い御方を知ればこそ、その御方の前では誰もが等しく臣下にすぎないことを、わきまえているからですわ。わたくしは身分より、心栄えのすぐれた方とお付き合いしとうございます。ナルス伯爵家の開祖をお引き立てになったヴィクトル帝であれば、この考えを善しとしてくださることでしょう」

最後の言葉に、セミョーンの顔が赤くなった。ナルス伯爵家の開祖は平民、それも義賊とはいえ盗賊だったのに、雷帝ヴィクトルに仕えて爵位を賜るまでに出世したのだ。その子孫が平民を差別するなど、おかしな話でしかない。

「ご自分がいかにあるべきか、しかとお考えあそばせ。それでは、ごきげんよう」

撤収!

完璧にセミョーンをやりこめたエカテリーナは、身をひるがえしてもと来た道を戻ろうとする。

「ま、待って……ください」

驚いたことに、セミョーンが追いすがってきた。手を伸ばし、エカテリーナの腕を掴もうとさえする。

ミナが動いた。

セミョーンの手を掴む。足払いを食わせつつ、ひねる。

惚れ惚れするほど軽やかに投げが決まり、セミョーンは宙を飛んで落ち葉の積もる晩秋の森に転がった。

さすがミナ。ドロップキックよりすごいかも!

とエカテリーナが感心した時。

落ち葉まみれで身を起こしたセミョーンが、鬼の形相で叫んだ。

「おい、みんな!さっさと出てこい!」

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