308. 挿入話〜少年たち〜

夜。

魔法学園の、男子寮エリア。

カン!

カン!

乾いた音が響いていた。

ガッ!

しばらくリズミカルに続いていたそれは、ひときわ大きく響いた音と共に、叩き落とされた木剣が地面を転がるカランカランという音に変わって途切れる。

「あー……」

自分の木剣を目で追って、コルニーリー・エフメはため息をついた。

「剣を上げすぎだ。防御にならないぞ」

そう言ってにやっと笑ったのは、見上げるばかりの長身の美丈夫。夜目にもわかる見事な赤毛、そこにメッシュのように金が交じっている。

ニコライ・クルイモフだった。

「けどまあ、前より打ち合えるようになってきたじゃないか」

「へへ……おかげさまで」

木剣を拾い上げながら、コルニーリーは笑う。得意な気持ちが隠しきれない様子で。

「ニコライさんのおかげです。こんな時間に鍛錬に付き合ってもらって、ほんとにありがとうございます」

詐欺師セミョーンについてはエカテリーナに預けることになったものの、コルニーリーが『勝負を挑もうと思う!』と言ったのは、本気も本気だった。

ぎくしゃくしてしまった……というか嫌われてしまっている仮婚約者のアセルが、悪い男と関わっていると知ってから、ずっと夢想していたのだ。相手の男を叩き伏せて、格好よくアセルにあらためてパートナーになってほしいと申し込む図を。

が、実際問題として彼の武芸の腕前は、武芸の鍛錬が必須の貴族男子としては、まったく威張れたものではないのだった。

世襲が基本の世界であるから、家柄によって跡取り教育で何を重点的に教えるかははっきり異なってくる。エフメ子爵家は主要な街道沿いの領地を持ち、商業系、文人系な家風だ。武人の家柄に生まれ、武人として将来を立てるべくガチで仕込まれてきた男子とは、次元が違う。

対するセミョーンは、見た感じは細身で強そうではない。が、ナルス家は初代が雷帝ヴィクトルの右腕として戦場でも大暴れしたイメージがあって、どちらかといえば武人派。油断はできない。

なので、鍛えねば!と光の魔力を持つ友達のユーリを付き合わせて鍛錬を始めようとした。

が、ユーリはコルニーリーよりも武芸が苦手。はっきり言って、最弱レベルだったりする。ので、彼を相手に打ち合ったりしても、全然レベルアップにならない……とお互い打ちひしがれることに。

そこへ――。

思わぬ相手から、声がかかったのだ。

「いや、俺は、断れない筋から頼まれただけだからな」

ニコライはからりと笑う。

が、その後その笑顔のまま、なかなか厳しい指摘をした。

「お前もこんなことやって時間稼いでないで、相手の子のところへ行って話でもしてきたらどうだ。時間切れになるぞ」

「……」

沈黙する程度には、時間稼ぎというか、アセルに向き合うのを避けている自覚があるコルニーリーである。

でも、前のままの自分じゃ駄目だ、とも思うのだ。

「ま、少しは強くなったって自信がついたら、行けばいいんじゃないか」

心の底まで読んだように、あっさりと意見を翻したニコライに、コルニーリーは感謝を込めて頭を下げる。

一人っ子のコルニーリーは、ニコライにすっかり心服していた。内心では兄貴と呼んでいる。

兄貴はなんてかっこ良くて心が広いんだろう!

と感動したところへ、ニコライが言った。

「だから、とっとと強くなるように、しごいてやるよ」

「……」

コルニーリーはもう知っている。

ニコライは、かっこ良くて心が広くて……。

鬼なのだ。

夜。

魔法学園、男子寮の一室。

月の光が差し込む窓辺で、男子が手紙を書いている。

銀色がかったグレイの髪、瞳の色も同じ。

セミョーン・ナルスだった。

ふと、羽ペンの動きが止まる。

便箋から顔を上げた彼は、窓から見える月を見上げて、ため息をついた。

――これで、『彼女』に会えるだろうか。

――『彼女』は喜んでくれるだろうか。

彼の心に、彼を慕う少女たちの姿はない。名前すらろくに覚えていないと知ったら、彼女たちは愕然とするだろう。

誰にでも同じように接し、同じような言葉を告げた。あとは、相手が勝手に勘違いをするのを、ただ放っておいただけ。

だから、罪悪感などない。何も悪いことはしていない。むしろ、伯爵夫人になる夢を与えたのだから、感謝されていい。彼はそう思っている。

『そんなこと』より、彼の心は『彼女』のことでいっぱいだ。

美しく悩ましい姿を思い浮かべて、少年はそわそわと身じろぎする。伯爵夫人……望みはある。あるはずだ。

――だって僕は、彼女の願いを叶えることができるのだから。

夜。

皇都の、とある一角。

ろくに灯りもない裏通りを、足早に歩く少年がいる。

貧しい下町地区にはよくあるが、補修もされず、石畳がひび割れて破片が転がっているような道だ。そこを、足を取られることもなく、軽やかな足どりで進んで行く。

そんなうらぶれた一角には似合わず、少年の身なりは良い。彼に合わせて仕立てられたと見て取れる、上質な布地の服だ。富裕な商人の子か、貴族の子とさえ見える。

背が高く、かなり鍛えてたくましい体躯をしていることがその服の上からもうかがえるが、この地区は治安が悪い。こんな時間にそんな恰好で一人歩きをしていれば、悪漢に襲われて身ぐるみ剥がされてもおかしくないが……。

不思議と、周囲は静かだった。

月明りに浮かぶ顔立ちは、なかなか端正。髪の色は、グレイ――スチールグレイであるようだ。

年齢は、少年というべきか青年というべきか迷うあたり。十七、八歳くらいと見える。

少年がたどっていた道は、やがて小さな広場に至った。

広場といっても、周囲を建物の壁に囲まれた、狭い場所だ。わずかに月の光が差し込むだけの、暗がり。

そこに、少年は無造作に足を踏み入れた。

闇に慣れた目で見れば、広場を囲む壁の奥には、大きなくぼみがある。壁龕という、神を祀る祠や、彫像などを収める場所である。

こういう地区のこういう場所は、荒れがちだ。神が宿っていればともかく、普通の彫像が収まっている場合、彫像は売り払われ、跡にはゴミが溜まっていたりする。

が……そこには荒れた気配はなかった。暗い中でも、清々しく拭き清められているらしい空気があり、供えられた花が香り、すり減った鐚銭ながら銅貨が鈍い光を放ってさえいる。

そして、彫像は、壁龕の中に、今も佇んでいた。

「……」

彫像は、背の高い少年が見上げる大きさ。石像だが、きれいに磨かれて、月の光を弾くかのようだ。像の目元は陰に隠れて定かでないが、顎のあたりは月光に照らされて……見上げる少年の口元と、どこか似通っているようにも見える。

見上げていたのは束の間で、少年は壁龕の中へ足を踏み入れて、像に手をかけた。石がこすれ合うゴリゴリという音がして――。

そこへ。

「そういう仕掛けでしたか」

突然かけられた声に、少年は愕然として振り向いた。

誰もいないはずだったのに、間近から声をかけられたのだ。驚くのは当然だが――。

少年は、電光石火で拳を繰り出した。

――見られた!

誰にも見られてはならない秘密だった。守り通すと、母に固く約束していた。最期の時にも誓った。

だから、躊躇いはなかった。

拳は鋭い。声から、相手との間合いは測れていた。確実に当てられる。

はずだった。

が、拳は空を切った。

「なかなかのものです」

笑いを含んだ声が言う。真後ろで。

ぞっと総毛立った。亡霊にでも相対したように慄然としながらも、天賦の才が身体を動かし、後ろ蹴りを放つ。稲妻の速さだった。

が、あっさりと蹴りは避けられ、さらに軸足を払われる。

背中から石畳の上に落ちた。信じられなかった。そのまま動けなかった。

それほど、力の差に圧倒されていた。

月の光の下に、声の主が姿を現している。

背が高い。髪の色は明るく、ライトブラウンと思われる。こちらを見て笑っている目は、瞳は……金色に、光っていた。

獣人。

そのものではなく、その血を引く者だろう。

「ご無礼を。……思いのほか、楽しかったので」

巫山戯たことを言う声は、妙に明るい、愛想のいい響きを帯びていた。

見れば、身につけている服はお仕着せのようだ。仕立ての良さ、そしてこれほどの強者を召し抱えていることからして、仕えているのはよほどの名家に違いない。

と、相手はすました顔で胸に手を当て、優雅に一礼した。

「ナルス伯爵家長子、ハリトーン・ナルス様。我があるじが、あなた様との歓談をお望みです。ご同行くださいますよう」

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