307. 神の領域

いやあああー!

兄と騎士団長のやりとりを聞いて、エカテリーナは内心で絶叫する。

お兄様、いけません!学園内に武力の持ち込みはご遠慮ください!

ローゼンさんも、そんな渋い声でまったくためらいなく御意らないで!お兄様を止めてー!

御意らない。

御意れば。御意る。

動揺のあまり謎の動詞を生み出してしまったエカテリーナである。

「お、お兄様!なぜ騎士団をお呼びになりますの!?学園内に武力を招き入れては、陛下のご不興を被ることにもなりかねませんわ!」

「安心してほしい。騎士団は学園内には入らせないから」

アレクセイはなだめるように言って、妹に微笑みかけた。

「騎士団には、ナルス家の皇都邸を包囲させると共に、領地に向けて進軍を開始させる。その慮外者を邸へ連れ帰って謹慎させるようナルス伯に申し付けるつもりだが、今まで付き合いのない相手ゆえこちらを軽んじる恐れもあるからね。遅滞なき対応をうながすだけのことだよ」

お兄様!

間違ってます!『だけ』の用法用量が間違ってます!

「おやめくださいまし、そのようなことに騎士団をわずらわせるなど、ご迷惑になりますわ!」

「いいえ、お嬢様」

渋い声が割って入った。騎士団長ローゼンが、ずっしりと重みのある声音で言う。

「ユールノヴァの騎士たる者は、一人の例外もなくお嬢様のお役に立つことを望んでおります。ユールノヴァ騎士団の貴婦人に不埒な手出しをする者など、剣に誓って生かして……いえ捨て置くわけには参りません」

今、生かしてって言いましたよね!言い換えたって怖いです!

やめてください。詐欺師とはいえセミョーン君は、今のところは私に相談したいと言っていただけです。なのに、その処分……量刑が重すぎます!

誰かー!お兄様とローゼンさんを止めてくださーい!

「閣下」

こちらも渋い声で、ノヴァクが声をかけた。

執務室のご意見番――なのだが、これまでの経験によりエカテリーナはむしろ身構える。

いやでも、さすがに、こんな無茶は諫めてくれるはず……。

「学園内には騎士団を入れないとはいえ、他領への進軍にはそれなりの名目は必要です。幸か不幸かナルス家の現当主は評判が悪く、家付き娘だった夫人が亡くなってから伯爵家はかなり傾いておりますので、名目を見繕うのは難しくありません。まずは、足元を固めるがよろしいかと」

諫めない!

内心でエカテリーナは崩れ落ちる。

身構えて正解だったー。ご意見番がお兄様の暴走サポートに回ってしまったー。

もうね、知ってる。アーロンさんもハリルさんも、きっと止めてくれない。

「名目でしたら、心当たりが」

アーロンとハリルがほぼ同時に言い、エカテリーナは内心で突っ伏した。

わーん、この空間はシスコンウィルスの濃度が高すぎる。みんな感染してるー!

「……この際、ナルス家を押さえておくのも面白いでしょう」

ん?

ノヴァクの呟きが耳に入って、エカテリーナは内心で身を起こした。

ナルス伯爵家、我がユールノヴァ公爵家にとって何か利用価値が?

それだからこんな無茶もアリと、ノヴァクさんは判断したの?

思わず迷いかけたエカテリーナだが、いやいや!と気を取り直した。

いかん!私のせいで騎士団招集、軍事作戦、他領侵攻とか、不穏すぎる事態に発展するなんて。どう考えても、お兄様の汚点になってしまう。お兄様がなんとおっしゃっても、私には理解できますよ、元社会人ですから。

いや社会人経験と騎士団召集は、ちょっと遠いですけれども。まあ置いといて。

シスコンウィルスに負けてはいけない!

暴走を止めてみせましょう、私のブラコンで!

内心で拳を握って決意を固めたエカテリーナは、小さく咳払いするとキリっとした顔を作った。

「お兄様、ローゼン卿。お兄様は騎士団のあるじでいらっしゃるのですもの、お兄様がそう決断なさるならば、わたくしは臣下として従うのみですわ」

こういう時は、反対するとかえって盛り上がるもの。なので、いったん同意。

「ただ……ひとつお尋ねいたします。ナルス家とは、ユールノヴァ公爵家がそこまで力を注ぐほどの存在でありましょうか。いえ、事実がどうあれ周囲にどう見えるかと……伯爵家ごときになぜこれほど過剰な対処をするのかと、ユールノヴァ騎士団の実力を疑問視されることすら、起こり得るのではありませんかしら」

同意した上で、進めるための検討の体で問題点を指摘。

しかるのち、シスコンに訴える!

「わたくし……わたくしが思わぬことに関わったばかりに、誇り高きユールノヴァ公爵家が世の人々から誹りを受けることになりはしないかと、案じておりますの。そのようなことになれば、あまりに辛うございます」

エカテリーナが胸を押さえて悩ましげに目を伏せると、はっとアレクセイは息を呑んだ。すぐさま執務机の前から立ち上がり、妹の手を取る。

「すまない、エカテリーナ。お前を不安にさせるなど、決してあってはならないことだった」

よかった、考え直してくれた。

とほっとしたのも束の間。

「だが……お前自身にはわからないだろうが、お前を守ることは我が家の重大な使命なんだ。お前はユールノヴァの至宝なんだよ。この世のいかなる宝玉も、お前に勝る価値のあるものはない。いや、あらゆる願いを叶えるという神々の宝珠すら、お前の前には光を失うだろう」

シスコンが神の領域に踏み込んだ!

私の価値が神々の宝珠より上とか、過大評価すぎます。誇大広告!不当表示防止法(だったかな?)違反!ていうか実在する神様たちに怒られませんか⁈

でもお兄様は無実です。

私はブラコン。お兄様は無実。

ああっどうしよう、どうすればブラコンを神の領域に到達させられるだろう!わーんお兄様、私のブラコンを置いて行かないで―!

妹の錯乱気味な内心を夢にも知らず、アレクセイは真摯な表情で続けた。

「お前が誇り高き公爵家の女主人として、我が家の家名を辱めないために心を砕いてくれることを嬉しく思う。だがお前に危険が迫る時には、私は公爵ではなく一人のお前の騎士であり、お前のために戦う一本の剣となる。そしてユールノヴァの騎士たちはすべて、私と同じ志を持っているんだ。

お前はユールノヴァをひとつにする……我らが心の貴婦人、我らが女神」

「お兄様……」

エカテリーナは、兄の手をそっと握り返す。

「お言葉、嬉しゅうございます」

うん、そんなに大事に思ってもらえて、本当に嬉しいです。

でもお兄様と騎士団、ひとつになって突っ走る方向がヤバ過ぎです。

だから、私のブラコンでシスコン暴走を軌道修正しなければ!いざ、シスコンブラコン勝負!

エカテリーナはアレクセイを見上げて、にっこり笑った。

「お兄様がそう仰せくださるなら、わたくしは女神になりとうございます。ユールノヴァの守護女神に」

「ああ。まさにそれがお前だ」

アレクセイが微笑む。

「それでは……女神の託宣と思ってお聞きくださいまし。

ユールノヴァにとって一番大切なお方は、言うまでもなく、当主であられるお兄様ですわ。ユールノヴァを照らす太陽でいらっしゃいます。天の正しき軌道を歩み、わたくしたち臣下を導いてくださる」

笑みを消して、エカテリーナは真摯な表情で兄を見上げた。

「お兄様、わたくしはお兄様の臣下でございます。女神と呼んでくださろうとも、お兄様をお支えしお守りすべき、一人の臣下に過ぎぬ身ですわ。わたくしはそのことを、しかとわきまえております。もしもこの身が宝玉ならば、わたくしはお兄様という剣の柄頭に嵌め込んでいただき、飾りになりとうございます」

「エカテリーナ……」

兄ゆずりの美辞麗句を炸裂させたエカテリーナに、アレクセイは感動の面持ちだ。

「なればこそ、わたくしのためにユールノヴァが人々の誹りを受け、お兄様という剣の輝きを曇らせるなど、耐えがたいことなのですわ」

だから、軍事侵攻とかやめてください。

その気持ちを込めての言葉は、しっかり伝わったようだ。アレクセイのネオンブルーの瞳が、珍しくも揺れた。

「エカテリーナ。私は……お前のために何かをしたいんだ。お前にふさわしい、何か、特別なことを」

エカテリーナは、小首を傾げる。

「お兄様、わたくしを愛してくださっていて?」

「勿論だ、我が最愛のエカテリーナ」

即答。さすがお兄様。

「ありがとう存じます。お兄様に愛していただいて、わたくしは幸せですわ。お兄様の愛と、お兄様のお側にいられる幸福ほど、特別なものなどこの世にありましょうか。それこそ神々の宝玉さえ、わたくしにとって比べ物になりませんのよ」

「……」

エカテリーナの強みは、この美辞麗句が全くの本心であることだ。ブラコンなので。

紫がかった青い瞳にいっぱいの愛をたたえて見上げるエカテリーナに、アレクセイはもはや言葉もなかった。

「ローゼン卿。わたくしはユールノヴァ騎士団の貴婦人たることを、誇りに思っております。魔獣から力なき民を守る騎士団のありようを、心から尊敬しておりますの。その役割に邁進していただきたいと、願っているのですわ」

「はっ……お言葉、肝に銘じます」

いくぶん残念そうではあれど、ローゼンが胸に拳を当ててこうべを垂れる。

「お兄様。わたくしには、ミナがおりますわ。お兄様が与えてくださった守りでございます。たかが伯爵家の子息一人、ミナ一人で充分すぎるほどと存じます。ですからどうか、まずは話をさせてくださいまし。

万一この身に危険を感じれば、わたくしはお兄様のもとへ駆けてまいります。お兄様は、この世のあらゆる悪しき事から、わたくしを守ってくださる。わたくしはそのことを、知っているのですもの」

エカテリーナのその言葉に、とうとうアレクセイは嘆息する。

そして、言った。

「……お前がそう望むなら」

わーいやったー!

歓喜したエカテリーナは、大きく両手を広げて兄に抱きつく。

「お兄様、大好き!」

本人は、ちょっと前にノリでシスコンブラコン勝負!などと思ったことは忘れていたのだけれど。

アレクセイはこの時に、妹に完敗したのだった。

ただし。

その完敗ゆえに、アレクセイ・ユールノヴァは妹に仇なす者を、さらに苛烈に処するだろう。

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