305. 鷺と罠

「ミハイル殿下にご協力をいただく……ですか」

生徒会長アリスタルフが、緑色の目を見張った。

さらには隣にいるフローラも、そっと首を傾げている。

そんな二人を見て、エカテリーナは思った。

これは、駄目だわ。ごめんよ皇子。

「その……あまりに恐れ多いかと」

社畜の勘はやはり当たりで、アリスタルフは悩ましげに言葉を探しながら言った。

「それに、やがては至高の位に即かれる方に、こういう問題を知られるというのは……被害者にとって心の重荷になるのでは、と懸念されます。我々としては、できるだけ穏便に納めたい、と思っておりまして」

皇子だってひとりの生徒、ひとりの少年なのに、生まれついた立場で疎外されてしまうのはどうなんだろう。

とっさに浮かんだその想いを、エカテリーナはぐっと抑える。そして微笑んだ。

「仰せの通りですわ、差し出たことを申しました。お詫びいたします」

生徒会長の言葉も、至極もっともだ。ミハイルは学園の女子にとって『憧れの王子様』なわけで、そんな彼に詐欺師に引っかかってしまったことを知られるのは、確かに被害者たちにとってあまりに酷だろう。

それに……もしかすると、貴族として家の弱点を皇室に握られる、ということにもなるのかもしれない。

ミハイルの人間性は、信頼できる。けれど、政治は個人の人柄だけで動くものではないだろう。やがてミハイルが政治の中枢に就いた時、その弱点が持つ意味は、今とは変わってゆくのだろう。

政治情勢は刻々と変わる。未来でそれがどんな意味を持つかなど、誰にも、ミハイルにも、予想はできないに違いない。

……もしかすると、四百年も皇国が続いてきた要因のひとつに、学園でいろいろと貴族の弱みを握ることができて、ここぞという時にそれを活用することができたから……というのもあったりして。そんな気がしてきたわ。

この想像が当たっているなら、今まで考えてきたことと合わせて、魔法学園めちゃめちゃ皇国に貢献してるな!

「わたくしは、生徒会の皆様に対処をお願いしている身ですもの。方針については、お考えに従いましてよ」

「恐れ入ります」

アリスタルフは、明らかにほっとしたようだ。

「準備が進まない中でせっかくのお申し出を、申し訳ありません」

と言ったのは、セミョーンをどう処分するか、対処方法が決め切れていないためである。

詐欺対策女子編があれだけスムーズに収まったのは、生徒会長という絶好の餌、もとい、囮がいたおかげだった。しかしセミョーンを別の女子で釣る、というのは難しい。

彼はあちらからターゲットを物色しているわけではなく、森に佇んでいる時にたまたま行き合った女子を引っ掛けているようだ。だから囮に引っかかる可能性はありそうだが、そもそもの問題として、囮役を務められる女子が関係者にいない。生徒会役員紅一点の女子は、正式に婚約済みのパートナーが決まっているし、エカテリーナとフローラは誰とパートナーを組むかが学園中に知れ渡っている身なので。

それにこの時期にまだパートナーがいない女子はほぼいないわけで、そんな女子がたまたま森に佇んでいる彼と行き合うのはあまりに怪しいのでは……と思えてためらわれる。

ではさっさと被害女子たちに詐欺行為をぶっちゃけて、ビンタして別れを告げてもらえばいいのでは!

とエカテリーナは思ったりしたが。

よくよくシミュレーションして、思い直した。被害女子たちと直接話した感触では、彼女たちは皆、自分だけが彼を支えることができる、不当に扱われている彼を支えてあげなければならない、と固く信じているようだから。

そういう心理ゆえに、被害女子に個別にセミョーンがパートナー詐欺をやらかしていることを伝えても、全く信じないと思われるのだ。

被害女子を全員集めてセミョーンと対決させたとしても、自分こそが彼の心を得た者、と揺るがぬ自信を持って、お互い同士で争ってしまいそうだ。

割と気の強そうなタイプが多い――コルニーリーの仮婚約者アセルもそうだ――ことも、その予測を補強している。

「そのような。被害にあった女性たちを深く気遣ってくださるゆえですもの、そこは理解しておりましてよ」

フローラも何度もうなずく。この時代、異性に騙されたことがより深く傷になるのは、女子のほうだ。

それを考慮し、彼女たちの将来を守れるような解決法を模索しているがゆえに、アリスタルフら生徒会役員たちは苦慮しているのだった。

「重ね重ね、ありがたいお言葉です」

アリスタルフは微笑んだが、その表情は今ひとつ晴れなかった。

うーん。どうしたもんかなー。

生徒会室を出て廊下を歩きながら、エカテリーナは内心でうーんと唸る。

行き詰まってしまっているのは、セミョーンが何を考えているのか見当がつかないからだ。

舞踏会に参加する時には、誰か一人をパートナーに選ばなければならないのだから、どこかで手仕舞いにしなければならない。そろそろ、その時期のはず。

生徒会はそう考えて、彼がパートナー以外の女子をリリースしたところを押さえようとしていたのだが……その動きがない。セミョーンがそこをどう考えているのか、解らない。

……何も考えていなかったりして。

そーゆーのが一番困る!

「私……ちっともお役に立てなくて、すみません」

フローラが肩を落とし、エカテリーナはあわてて言った。

「そのようなこと、ございませんわ。生徒会の皆様に相談することを提案してくださったのは、フローラ様なのですもの」

清く正しいヒロインであるフローラこそ、詐欺師の考えることなど一ミリも理解できないに違いない。むしろ当然。

だからやっぱり、悪役令嬢である私こそが、ヤツの考えを読んで嵌める罠を思い付くべきだというのに!

くっ、とエカテリーナは内心でほぞを噛む。

そろそろ悪役令嬢はネタである自覚が出てきたはずが、まだこんなことを考えるのは、仕事を背負い込もうとする社畜気質が根っこにあるのだろう。

そんな放課後を過ごした翌日、登校してみると教室で、マリーナがぷんぷん怒っていた。

「聞いてくださいまし、昨日お散歩をしておりましたら、おかしな殿方に行き合ってしまいましたの!あんな女子寮近くにぼうっと立っているなど、怪しいにもほどがあるというのに、図々しくも話しかけてきましたのよ!」

思わず、エカテリーナとフローラは顔を見合わせた。

……それ、もしかして。

你的回應