275. 合唱と投票

『クラスの皆様との合唱で、わたくしを感動させてくださいまし』

にっこり笑って、エカテリーナはリーディヤにそう言った。

条件、などと言いはしたものの、エカテリーナとしては単なる激励のつもりだ。

あとは、前世で合唱部だった身のこだわりと言うか……リーディヤは独唱ならば間違いなく素晴らしく歌えるだろうけれど、皆と合わせる合唱はどうだろう、と少し心配だった。単独での歌の上手さと、合唱で美しく歌声を融け合わせることができるかは、ちょっと違うのだ。そのあたりに、より気を配ってくれたらいいかなと。

とはいえ、そもそも学園祭でのクラス発表。そんなすごいレベルは求めていない。

というか実際には、無条件で楽譜をプレゼントするだけだ。

が。

リーディヤは、ふっ……と微笑んだ。

『ええ……必ずや。

エカテリーナ様のお心に適う音楽を、お聴かせしてみせますわ!』

リーディヤちゃん……。

背中に炎は背負わなくていいのよ⁉︎

そういえばこの子、前世の熱い人みたいになったレナート君と親戚だった……セレズノア侯爵家はもともと武人の家柄だったというし、気質的に体育会系?うん、音楽家って実は、アスリートみたいなタイプけっこういるよね!

という心境を言葉にするわけにはいかず、エカテリーナは微笑んだ。

『楽しみにしておりましてよ』

そして。

講堂の観客席でいくつかのクラスの劇や歌を楽しんだエカテリーナとフローラは、リーディヤのクラスの合唱が終わったのち、講堂の裏口近くにやって来ていた。

自分でやってみると、なるほどここは出待ちにぴったりなのだと解る。解ったからどうなのかという気もするが。

「エカテリーナ様、大丈夫ですか」

「ええ、フローラ様……お恥ずかしゅうございますわ」

心配そうに肩を抱いてくれるフローラに答えているうちに、裏口から一団の生徒たちが吐き出されてくる。その中に、数名の女生徒に取り巻かれるように囲まれた、リーディヤの姿があった。

「エカテリーナ様!」

声をかけようとするより早く、リーディヤがこちらに気付く。そして、驚いたように目を見開いて、さっと歩み寄ってきた。

驚くのも無理はない。エカテリーナは目を赤くして、手巾ハンカチを握りしめている。泣いていたのは一目瞭然だった。

「リーディヤ様……素敵な歌声でしたわ」

エカテリーナは、恥ずかしそうに言う。自分でもすごく思っている。

学園祭のクラス発表の合唱でガチ泣きする私、チョロすぎだよね!

いや、合唱そのものに泣いたというよりは、前世の高校時代に頑張った部活の記憶が走馬灯のように脳裏を駆け巡って、それで泣いてしまったのだが。

あと、今生で幼い頃に母と声を合わせて歌ったことも思い出して、もう駄目だった。

でもリーディヤのクラスのハーモニーは美しくて、これだけ合わせられるのはしっかり練習したのだろうなあ……と思ったのがきっかけで走馬灯が始まったので、広義では合唱に感動して泣いたと言っても嘘ではない。と思う。

なにより、リーディヤの歌。

独唱はさすがの一言で、彼女のパートが終わったところで、万雷の拍手が湧き起こったほどだった。

しかし合唱部OGとしては、全員で歌っている時のリーディヤこそ満点だったと思う。自分一人が目立って和を崩してしまうことなく、それでいて完璧な音感と揺るがぬテンポで周囲の道標となって、ハーモニーを主導していた。

彼女は、自分の実力を誇るより、全体の音楽としての美しさを優先したのだ。

――立派になって……!

自分が育てた子を見る気分に勝手になって、ほろりとしてしまったエカテリーナだった。

「クラスの和をしっかりと築かれたからこそ、あのように歌声が融けあって美しく調和されたのですわね。それを想って、つい感情が昂ぶってしまいましたの。どうか、お気になさらないでくださいまし」

「エカテリーナ様……」

リーディヤは微笑む。

高位の貴族令嬢として、こんな風に簡単に泣くのはきっと、評価を下げる真似だろう。けれど、リーディヤの笑みは優しかった。

かつてエカテリーナは、挫折に崩れ落ちたリーディヤを、力一杯抱きしめたことがある。その時リーディヤが、この方はお人好しなのだと思い、それゆえに敗北を感じたことを、エカテリーナは知るよしもない。

「どうぞ。お受け取りくださいまし」

リーディヤに、エカテリーナは楽譜を差し出した。それはくるくるときれいに巻いて、銀糸を織り込んだ青いリボンで留めてある。

リーディヤは、そのリボンをじっと見つめた。彼女の髪色は、青みがかった銀髪だ。

このリボンちょっとリーディヤちゃんぽい、という軽い気持ちで、エカテリーナが選んだものである。

それを、リーディヤはそっと受け取った。

「わたくし、宝物にいたします……!」

「嬉しゅうございましてよ。リーディヤ様でしたら、きっと歌いこなしてくださいますわね」

リーディヤの感激とエカテリーナの応えには、若干のズレがあったのだが。

エカテリーナは、気付かなかった。

そうして学園祭は、終わりを迎える。

エカテリーナとフローラは、投票に行った。最も優秀なクラスと、最も活躍した人を選んで、票を投じる。

えいっ、と直感で、書きたい人の名前を書いた。

アレクセイ・ユールノヴァ。

だってー!だって私、ブラコンなんだもん!

謎の言い訳をしながら、優秀なクラスも兄のクラスを書く。

だって素敵だったもん!お兄様はもちろん、ニコライさんも、他の騎士の皆さんも。それに、ひとつのクラスで馬上槍試合の再現をやってのけるなんて、優秀という言葉にすごくふさわしいはず。

隣では、フローラも悩みながら投票用紙に記入している。美少女は悩む表情も可愛い、とエカテリーナはちょっと和む。

一緒に投票箱に用紙を投じた時、声がかかった。

「エカテリーナ」

「お兄様!」

大喜びで、エカテリーナはアレクセイに飛びつく。兄の後ろには、執務室の幹部たちも一緒にいた。

「お兄様も投票にお越しですの?」

「ああ、アーロンが投票すると言うので、皆でということになった」

学外からの来客も投票できるので、幹部たちも参加して問題ない。学者然とした眼鏡を押さえて、アーロンが控えめに笑顔を見せた。学園卒業生のアーロンだから、学園祭の楽しみ方も知っているわけだ。

「学園祭は楽しかったか?」

兄に訊かれて、エカテリーナは笑顔でうなずいた。

「思いがけないことがたくさんありましたわ。ですけれど、楽しゅうございました。なんといっても、お兄様と学園祭をご一緒できるのは、今年限りなのですもの。一生の思い出ですわ」

「そうか」

優しく、アレクセイは妹の髪を撫でる。

「お兄様は?」

エカテリーナが尋ねると、アレクセイは微笑んだ。どこか、含羞むように。

「私も楽しかった。学園祭を楽しんだのは初めてだ…… こうした催しからは距離を置いていたが、わざわざ時間を割く意味がようやく解った気がする。お前に勝利を捧げることができたこの学園祭は、お前の言う通り、一生の思い出になるだろう」

わーいやったー!

その言葉に、エカテリーナは有頂天になる。

お兄様が楽しんでくれて嬉しいー。いつも仕事ばかりのお兄様に、学生時代の思い出を作ってほしいと思って頑張ったんだもの!

と、内心でぴょんぴょんしたエカテリーナだが。

アレクセイと幹部たちが投票用紙に書き込む様子を見て、はたと気付いた。

シスコンお兄様と、シスコンウイルス感染済みの皆さん……私に投票してくれるのでは?

なんかちょっとあの……怖い予感がしてきたんですが。ユールノヴァ公爵家の威光ってすごいし。やめてほしい。身内への投票はおやめになって……とか、やんわり止めたい。

けど私、ついさっきお兄様に投票しちゃったー!

止めるに止められず、内心でだらだらと汗をかくばかりのエカテリーナである。

一同が投票を終えた時、鐘が鳴った。学園祭の終了を告げる鐘だ。

気付くと空は、茜色に染まっていた。

あとは、後夜祭を残すのみ。

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