なかなかの激震だった。
昼休みのことを思い出して、エカテリーナはしみじみ思っている。
模擬店、皇子の料理、という話の流れで、お兄様が自分も料理をしてみようと言い出したわけだから、そんなに唐突ではなかったと思うのだけど。執務室の皆さんが、揃ってあんなに動揺するとは。
時代区分が近世くらいの皇国では、料理男子はまだ早すぎるのかなあ。
いやでも、アーロンさんはアイザック大叔父様のために料理もしていたそうだし、ハリルさんだって以前、「神々の山嶺」の向こうの故国ではお祝いのメインの料理をその家の主人が作る風習がある、という話をしていて、料理に抵抗なんてなさそうだったのに。
ちなみに日本の歴史では、時代区分で近世どころか古代に分類される平安時代、天皇なのに料理を作るのが趣味だったお方がいらしたはず。百人一首の「君がため春の野に出でて若菜つむわが衣手に雪は降りつつ」の作者で、この歌って自分が料理する材料調達の情景だったの⁉︎ この時代に男子が女子にクッキングしてあげてたの⁉︎ そして子供が四十人以上⁉︎ 料理男子激モテ‼︎ っていろいろびっくりしたので覚えております。
お名前は思い出せないんだけど。光って文字が入っていたような。忘れましたごめんなさい。
それはさておき、お兄様はすでに当主、ユールノヴァ公爵その人だからかしら。威厳に関わるのかしら。
むしろお兄様のキャラ的なものかも。
お兄様の発言を聞いて明らかに固まっていたノヴァクさんは、再起動して何か言いかけていた時、もしかするとお兄様を止めようとしていたのかもしれない。
だとすると、悪いことをしてしまっただろうか。
しかし!お兄様が料理をしたいとおっしゃった。
ならばブラコンとして、言うべきことはひとつ!
『でしたら、わたくしお教えいたしますわ!厨房でお兄様とご一緒できるなんて、嬉しゅうございます!』
……今思い返すとやっぱり、ノヴァクさんが再びフリーズしていたような気がしてきたなあ。
でも!人間誰しも料理を食べるのだから、作れるほうが正しい!
……万が一、億が一、お兄様を巻き込んで没落することになってしまったら……料理ができないで途方にくれるより、できるほうが、わずかなりと安心できるだろうし。
没落しないのが一番ですけどね!清く正しく美しく!
なんだか最近また、没落に怯える気持ちは薄れてきているんだけど、時々ぶり返すわ……。
でも、教えるとしても当分先。お兄様が我に返ったように首を横に振って言ったから。
『いや、近頃お前は忙しすぎる。そんなお前に、このような不要のことで時間を取らせるなど、すべきではないだろう』
ええ〜……並んでお料理することを想像して、すごく気分が盛り上がったのに。
イモの皮むきのやり方とか、懇切丁寧に教えてあげたい!お兄様に着けてもらうエプロン、何色がいいかしら。いっそシェフのコックコートを着てもらうのもいいかも、お兄様ならなんでも似合うし〜。
なんてことまで、一瞬で考えたのに。
『では、学園祭が終わってから、お教えいたしますわ。お兄様、どうか、他の方に教わったりはしないと約束なさって』
『お前がそう望むなら』
微笑んで約束してくれたお兄様は、やっぱり妹に優しいです。さすがシスコンお兄様。
そして、ノヴァクさんはほっとしていたような気がする。
そういえばノヴァクさんは若い頃尖った性格だったらしいから、男が厨房に入るなんて、という考え方なのかも。でもそんな風にしてないで、ノヴァクさんも料理できるようになって、奥様のアデリーナさんに作ってあげたらいいと思います。
「……あの、ユールノヴァ嬢」
はっ!
おずおずと呼びかけられて、エカテリーナは我に返った。
「ま、まあ、お二方様が働いておいでなのに一人もの思いにふけってしまうなど……お恥ずかしゅう存じますわ」
「いえそんな、僕たちが作業はこちらがしますと言ったんですから」
頬を押さえて赤面しているエカテリーナに、ユーリも赤面しつつ恐縮した様子で言う。彼と一緒にカーテンを黒に付け替える作業をしていた、ユーリの隣の席の男子――名前をコルニーリー・エフメという――も赤い顔でコクコクとうなずいていた。
こういう作業は率先してやる前世だったエカテリーナだから、やってもらって自分はぼーっとしていたのが恥ずかしくてならないが……今生は公爵令嬢。椅子や窓枠に上ってカーテンを付け替えるとか、やってはならない立場である。
「きれいに終わらせてくださいましたのね。ありがとう存じます」
「いえ……」
エカテリーナが礼を言うと、男子二人は照れまくって頭を掻いた。アラサー目線では、なんとも可愛い。
今は放課後で、ここは空き教室。ユーリの光の魔力を使った舞台演出について、まずは今できることを見せてもらおうとしているところだ。
ちょっと陰キャな彼にはいきなりクラスメイトの前での披露は厳しかろうと、別の部屋を押さえた。
なお、魔法学園には空き教室が多い。理由は、生徒数の変動が激しいためだ。
前世の学校と違って、魔法学園には定員がない。その年その年の、規定を満たす魔力量を持った子供が全員入学してくる。よって入学生が何人になるかは、候補たちの魔力測定が終わって結果が出るまでわからない。
元社会人として、思えば恐ろしい制度だとエカテリーナは思う。まあ長年続いているだけあって、教員の数は大学との連携で大学生を動員できたりして、かなり自由に調整が効くらしい。
そんな先生でいいのか、と思ったりはするが。教員免許というものは、皇国にはないようだ。
「日も暮れてまいりましたし、黒いカーテンを閉めれば光がよく見えることと存じますわ。レイ様の実力のほど、しかと見せていただけますわね」
エカテリーナが微笑むと、ユーリが一転して強張った表情で、ごくりと喉を鳴らした。