「すごいな。君、急に上達してないか?」
「あらほほほ、それほどでも」
目を丸くしたレナートに、エカテリーナはドヤる気持ちが隠せない笑いを返した。
だが確かに、一目瞭然――いや一聞瞭然とでも言うべきか――だったのだ。
ちょっと前に、ミュージカルの名曲をレナートに採譜してもらうため、彼の前でかの曲を歌った。採譜というのは、耳で聞いた曲を譜面に起こすことだ。
が……。
音程は正確に歌えたものの、曲の盛り上がりの表現はあまりできなかったと思う。まあ歌う目的が目的だから、音程の正確さを一番に心がけたのはあるけれど。
どう歌ってほしいかは、言葉で説明した。
しかし週明けの今日、レナートとオリガにディドナート夫人からのアドバイスを伝えたところ、一度歌って聞かせてほしいと言われて音楽室でピアノに合わせて歌ってみると……我ながら、なかなかイイ感じに歌えてしまったのである。
「ディドナート夫人のレッスンのおかげですわ。あの方のご指導は、本当に的確ですわね」
……大変だったけど。
あの日を思い出して、ちょっと遠い目になるエカテリーナである。
『わたくしには無理ですわ!』
『まあほほほ、レッスンとは、無理という言葉に刃を刺して殺すためにするものですのよお嬢様。あと少しのところまで来ておりますわ、もう少しで無理の息の根が止まります。さあ一緒に止めを刺しましょう、お声を高く響かせるのです。もう少し!』
なんで言葉のチョイスが怖い系に行くんでしょうか。そして笑顔!笑顔でまったく容赦がない。びびって逆らえません!
そして言われた通りに頑張ると光が見えるというか、やれるかも、という糸口が見えてくる。上達、というニンジンが鼻先に見えてくる!
オリガちゃんもこれをやられて、短期間にガンガン技術を習得していたんだよね……あれがあったからこそ、音楽神様からのお招きを受けることができた面はある……。
楽しそうに厳しいレッスンをしてくれる夫人の姿は、ドSそのものでした。
けれどエカテリーナはふと、前世のどこかで読んだ言葉を思い出した。
『SMのSはサービスのS。相手を責め苛みながらも、自分ではなく相手を快楽に導くためにその行為を行う、究極のサービス精神があってこそのS』
ディドナート夫人が導く先は快楽ではないけれど。
正しくS。キングオブ、いやクイーンオブSってことで!
……えらい称号だな。教えていただいている身で、ムチが似合いそうすぎるとか思っていてすみません。
絶対似合うけど。
そうやって上達を実感して喜んでいたエカテリーナだが。
続いてオリガが歌ったのを聴いて、内心でハハハと乾いた笑い声を上げた。
いやー、やっぱり差がすごい。ただの歌好きと本物の違い、あらためて痛感しましたー。
狼が夢を食いちぎる、曲の聞かせどころの盛り上がり。これだよ!これが会場全体がスタンディングオベーションする、本物の歌姫の歌だよ!
歌が終わった時エカテリーナが全力で拍手し絶賛したことは、言うまでもないだろう。
そんなことをやりつつ、他の出演者たちとは台詞合わせなど始めている。
書いた時には問題ないと思った台詞も、口に出してみると言いにくかったり、意味が解りにくかったりするので、鬼のように修正に勤しむ日々だ。
それに、書いた台詞を目で読みながら想定した時間と、それぞれの演者が順々に声に出して読んで計測した時間は、全然違ったりする。
これじゃ時間内に収まらない!どっか削らなきゃー!
脚本とは本番を演じるまで完成しないものだ、とエカテリーナは学んだ。
ていうかどうしたら収まるだろう。うーん。
全寮制の便利なところで、家が遠いから放課後の活動には参加できません、という者がいなくて都合がつけやすいからありがたい!
……と思ったら意外と、忙しい者もいた。ほぼ男子で。
放課後、武芸の鍛錬に行く者。
放課後、なんとか研究会とかに参加する者。
あー、趣味かー。部活みたいなもんかー。
とエカテリーナは納得したのだが、よく聞くともっと世知辛い話だった。
彼らは皆、弱小貴族の次男三男。
家を継ぐ身ではないから、将来はどこかへ養子入りするか婿入りするか、職を得て自分で暮らしを立てなければならない。
この時代、貴族の次男三男の就職先第一希望はどこかの騎士団か、役人などがほとんどだ。
その限られた就職先を目指して、彼らは一年生の今からせっせと鍛えたり、人脈作りに勤しんでいるらしい。
魔法学園は婚活戦線の最前線であるだけでなく、就職戦線の最前線でもあるようだ。
ま……考えてみれば、当然か。
皇国には大学も存在しているけれど、進学率はごく低い。ガチの研究者養成機関であって、学者を目指す者しか大学へ進学はしないのだ。思えばアレクセイの執務室メンバーでも、大学卒業者はアーロンただ一人だった。魔法学園を卒業したら就職するのが当たり前、それどころか学園へ進学しない子なら、同じ年齢ですでに家業を手伝ったりして働いているのが普通。
とはいえ、家業が盛んで家に仕事があるならまだマシだったりするらしい。
あ、思い出しちゃった。前世の、時代小説に出てきた言葉。
……「厄介叔父」という言葉。
家を継げない次男三男で、他家へ養子に行ったり、職を得て独立したりができなかった人は、実家に残って兄に面倒を見てもらうことになる。そういう人を指す言葉だ。部屋住みとか、冷飯食いなんていう言葉もあった。
二十一世紀の引きこもりやニートとはちょっと違う気がするけど、江戸時代からこういう問題はあったわけですよ。
そうなりたくないから、次男三男が必死で婿入り先を探す、という小説は面白かったけど。
目の前の同級生の問題と思うと、笑えないわ!
同級生たちは、魔法学園への入学を許されるレベルの魔力持ち。である以上、いいところへ就職したり養子入り婿入りすることを家族から期待されている、というかそうなって当然だろというプレッシャーがありそうな気がする。
魔力があって有利なのは、なんといっても武官への就職。攻撃に適した属性の強い魔力と優れた武芸があれば、皇国騎士団などへの入団が叶ったりはするけれど、それはそれは狭き門だ。
適性がないからと文官を目指すとしても、これはこれで魔力があまり関係がないため一般からも希望者が多く、競争率が上がる。
まして、魔力が強いといっても使い道がない属性だったり、そもそも本人が武官文官への適性が低いタイプだったりすると……。
……大変だよね。
正直、さっきからユーリ君が頭にチラついている。
舞台でやってほしい光の演出をいくつか説明して、まずは自分で工夫してもらっているところだけど……これが彼の人生に何かの足しになることを、願うばかりだ。