208. リーディヤと皇太后

オリガは、レナートにエスコートされている。

両陛下の御前であるから、レナートは正装。白い髪の美少年レナートは、正装の黒衣に髪の色が映えて、文句なく似合っている。小柄な二人はちょうど釣り合いが取れていて、まるで対の人形のように微笑ましい組み合わせと見えた。

オリガも、ドレスに身を包んでいる。祖母アレクサンドラの遺品のひとつを、ユールノヴァ公爵家のメイドたちがオリガに合わせて仕立て直したものだ。小柄で可愛らしいオリガのために、長身のクール系美人(そこはエカテリーナも認めざるを得ない。なんと言っても兄アレクセイと似ているわけなので)だった祖母のためのデザインは、原形を留めないまでに改造された。

オリガは栗色の髪に若草色の瞳の少女で、トレードマークは髪を束ねる大きなリボン。だが今は髪をゆるふわな感じにウェーブをつけて(オリガの身支度のために離宮へ派遣した公爵家のメイドによるスタイリングである)垂らし、リボンはドレスの飾りとして胸元や袖に縫い付けられている。それらのリボンの中央に、さりげなくエメラルドがきらめいてアクセントになっているところが、宝石の産地ユールノヴァ公爵家ならではと言えよう。

Aラインのシンプルなドレスは淡い若草色、その上に極薄の絹地で仕立てた上衣を羽織っていた。上衣の襟や袖はふわふわとしたフリルで縁取られた可憐なデザインだが、後ろは長く裳裾を引く。虹絹という、七色に輝く特殊な絹で作られており、一見白い上衣だが光が当たる角度でさまざまな色に変化する。オリガの可憐さを引き立てつつ、裳裾を引く古風さと変化する色彩が、巫女のような妖精のような神秘性を加える、そういう装いだった。

(よっしゃオリガちゃん、超可愛い!それでいて、この古代風の舞台にめっちゃ映えてる!)

内心で、エカテリーナはガッツポーズだ。メイドさんたち、いい仕事してくれた!

「両陛下にご紹介いたしますわ。お越しいただきましたのは、わたくしのクラスメイトであるオリガ・フルールス男爵令嬢とレナート・セレザール子爵令息とおっしゃるお二方ですの。お二方とも、セレズノア家の家臣でいらっしゃいます」

皇太后に、エカテリーナは笑顔を向ける。

「さすが、音楽の名家として名高いセレズノア家の方々ですわ。クラスでの催しの折りに、お二方の素晴らしい才能を知って感服いたしました。フルールス様はまだ研鑽を始めたばかりでいらっしゃいますけれど、皇国の未来の音楽界を担う方々やもしれません。ですから本日はぜひ、新たな才能を両陛下にお引き合わせしたいと、考えましたの」

「セレズノアの……」

実家の家臣と聞いて興味を引かれたのだろうか、皇太后はじっと舞台を、二人を見た。

エカテリーナがセレズノアを持ち上げる言い方をしたのは、皇太后への敬意と、リーディヤが異を唱えられないようにするためだ。

が、そうはいかないらしい。

「お待ちを!」

リーディヤが鋭く言う。

「こ……この者たちはセレズノアの臣民。にもかかわらず、わたくしはこの事を承知しておりません!我が家の知らぬところでこのような……」

この抗議は、皇国の身分秩序として一理ある。わざと隠していたわけなので、抗議されても仕方がない。

が、わなわなと震えるリーディヤは、高貴な令嬢にあるまじきことをした。舞台上のオリガを指差したのだ。

「特にあの娘は、セレズノアの法では、尊き方の御前に出ることなど到底許されぬ身分です。身分の秩序は、国家安寧の礎!ユールノヴァ様、あなた様はまさか、皇国の安寧を揺るがすおつもりなのですか。三大公爵家のご令嬢ともあろうお方が、この国を害するおつもりですか!」

おいおい……。

思わぬ言葉に、エカテリーナは怒るよりもただ驚いた。オリガちゃんを両陛下の前に連れてきたことで揺らぐ国家の安寧って、なんぞ。

しかしリーディヤの表情は、どう見ても本気だ。彼女はそう教えられて育ち、そう一途に信じているのだ。そしておそらくは、自分が皇室に入り、皇国の身分制度を強化するべく尽くすことが、この国のためであると信じている。

純粋培養の成果だな。あとティーンエイジャーの潔癖さ。アラサーお姉さんとしては、どーしよこれ、って思っちゃうよ。

ともあれこうまで言われてしまったら、ユールノヴァの威信にかけて、エカテリーナは受けて立たなければならない。

さあ、どう受けるべきか。

しかしそこへ、静かな声が割って入る。

「控えなさい、リーディヤ」

皇太后の声は、静かであっても侵しがたい威厳を備えていた。

「ここをどこと心得ますか。セレズノアの領法は、セレズノアの領内でのみ通用するもの。先帝陛下がおわす場で、持ち出すなど笑止です。玉座を退かれたといえども、今も陛下の御前では、そなたもあの娘もすべての民が等しく臣下。わきまえなさい」

リーディヤは青ざめる。頬を震わせて皇太后を見る目には、恨めしげな色があった。セレズノア家の出身でありながら、自分の「正しい」言葉を支持してくれない皇太后の考えが、理解できないのだろう。

もちろんエカテリーナにとっては、セレズノアの領法はセレズノアの領内でしか通用しないのは当たり前で、ただただ「おっしゃる通り」だ。とはいえ歴史的に、権力者へ輿入れした女性が実家をえこひいきすることも多かったと知っている。皇太后がそういう女性でなくてよかった、と胸を撫で下ろす思いだった。

先帝もミハイルも口を開かずにいるのは、ここは皇太后に任せるのが最適と判断しているのだろう。

クレメンティーナ皇太后、慎ましいお人柄で昔は皇后としてふるまうことも苦手だったと聞いていたけれど、今のこの静かな威厳。これが国母か。皇太后陛下、素敵!

しかしこの一幕で、オリガちゃんが萎縮してしまったんじゃないかな。大丈夫かな……。

そう思って気遣わしげな視線を向けたが、意外にもオリガは、小さな微笑みを返してきた。落ち着いている様子に、エカテリーナはほっとする。

「ご無礼いたしました……」

貴族令嬢スキルを総動員して謝罪したリーディヤがようやく元の席に着き、貴賓席が歌を待つ状態になったのを見て取って、レナートがオリガに何か囁いた。オリガがうなずき、レナートは彼女から離れてピアノへ向かう。

さあ、いよいよだ。

そう思うと一気に緊張が高まって、エカテリーナは膝の上で手を握りしめた。今さら選曲とかアレンジとか、あれで大丈夫だろうかと気になってくる。

いや、大丈夫。前世の合唱部顧問が、耳にタコができるほどあの歌のウンチクを聞かせてくれたけど、あの歌の原曲、組曲『惑星』より『木星』は、作曲家ホルストの祖国イギリスでは別の歌詞がついて第二の国歌と呼ばれているそうな。元が国家行事とかに向いた曲なんだから、きっと両陛下にウケる!はず!

オリガは一人舞台の中央に立ち、貴賓席に、両陛下に向けて、一礼する。エカテリーナがあらためて特訓した跪礼は、なかなかに優雅だ。

背筋を伸ばしたオリガが、大きく息を吸い込んだ。

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