350. もうひとつの贈り物

冬の陽はすでに大きく傾いて、もはや没しようとしていた。
朝からいろいろお手入れしてもらって(全身オイルマッサージやらヘアパックやら爪を整えるやらフェイシャル各種盛り沢山)、髪を結ってもらって化粧してもらって着付けしてもらって、それだけでこの時間かあ……とエカテリーナはちょっぴり遠い目になる。貴族女性の身支度とは、そういうものではあるのだけれど。
前世の小さい頃にやってもらった記憶がある『お誕生日パーティー』は、当たり前だがお昼だった。
しかしここでは、十六歳のエカテリーナは立派に大人の仲間入りを果たしている。その祝い事なら、きちんとした夜会が催されるもののようだ。夏なら盛大なガーデンパーティーを執り行う選択肢もありだが、この季節では夜会一択らしい。
「あら」
アレクセイにエスコートされて歩きながら、エカテリーナは廊下に飾られている鉢植えの花々に目を留めた。プリムラだろうか。
この季節、品種改良が進んでいないこの世界では、咲く花はほとんどない。エカテリーナの誕生日だからと、手をかけて開花時期をずらして咲かせたものに違いなかった。
「冬だというのに、お花をこんなに飾ってくれていますわ」
エカテリーナが嬉しげに言うと、アレクセイがふっと微笑んだ。
「花は良いものだ。お前を喜ばせる」
……宝石に続いて花さえも、妹が喜ぶから良いとおっしゃる。さすが過ぎますお兄様。
「これは庭師たちが、お前の誕生日に合わせて咲くよう育てたそうだ」
「まあ!」
思わずエカテリーナは声を上げる。育てたそうだ、という言い方からして、兄やグラハムが指示してそうさせたわけではないようなので。
もしかして、育てたのは庭師さんたちが自発的に?
「お前がこの邸で働く者たちの処遇改善に努めてきたことを、皆知っているからね。この機会に感謝を示したいと、願い出てきた」
「嬉しいことですわ……」
過労死を経験した社畜として、労働環境の改善には気を配ってきましたので。喜んでくれていて本当に嬉しいです。
「ゆくゆくは、薔薇を咲かせて飾れるよう精進するそうだ」
「それは……!」
プリムラはもともと早春に咲く、耐寒性の強い花だ。だが薔薇は初夏の花。
前世であれば花屋には一年中いつでも薔薇が売られていたが、あれはしっかり温度管理できる温室で育てたり、世界各地から空輸したりしたものだったはず。品種改良も進んでいて四季咲きの薔薇というのもあり、それは東洋からもたらされた薔薇の原種との交配により誕生したものだったとか、何かで読んだ気がするけれど、それはかなり近代に入ってからのことだったような。
それなのに、今の皇国で真冬に薔薇を咲かせようなんて、それも私の誕生日に照準を合わせて咲かせようなんて。
それってもう、プロジェクトなんちゃらではないでしょうか!
あっ脳内に超有名シンガーソングライターさんの主題歌が!
なんて滾っていい話じゃないだろ自分。
「わたくし、その気持ちだけで充分ですわ。そのように難しいことに挑まずとも、その志を知っただけで、心に薔薇が咲き乱れる思いですわ」
「つつしみ深いのはお前の美点だ。だが、お前にふさわしい敬意を示したい気持ちを汲んで、やらせてやりなさい」
エカテリーナの願いを謙遜と捉えて、アレクセイはあっさり受け流す。
「それにハリルも乗り気だ。世にも貴重なユールノヴァの冬薔薇が誕生すれば、人々がこぞって求めるだろうと」
ああっ実利に結び付いていた!
ユールノヴァ公爵家たるもの、庭の薔薇を売り物にするつもりはないはず。でも、素晴らしい贈り物をもらったので、その御礼として薔薇を譲渡する、という貴族の流儀により、下手にお値段をつけて販売するよりはるかに大きな利益を得ることは可能。ガラスペンの時も、欲しがる貴族や富豪がユールノヴァ公爵家に接触してきた実績がある。冬薔薇も同じ効果をもたらすだろう。
それでなくとも、世界に類のない冬薔薇は他国にまでユールノヴァ公爵家の名声を高め、国内でも支持を集める役に立つのだろう。
……お兄様の役に立つならアリか……。なら私もできる限り協力しよう(あっさり)。
だって私はブラコンですから!
はっ、ハリルさんなら『神々の山嶺』の向こうのこの世界における東洋にあたる国々から、四季咲きを可能にする原種を取り寄せることができるかも。プロジェクトなんちゃらに光明が⁉︎
後で相談してみよう!
などと考えていたら、大広間に到着していた。
夏休みを過ごした公爵領本邸の大広間ほどには大きくないとはいえ、三桁の人間を収容可能なデッカイ場所が私の誕生祝いの会場って、大丈夫なのかしら。
そんな心配をするエカテリーナに、扉の前で控えていた執事グラハムが、いつも通りの完璧な角度でお辞儀をした。
「お嬢様。十六歳のお誕生日、お喜び申し上げます」
エカテリーナはにっこり笑う。
「ありがとう、グラハム。お祖父様のお気に入りだったあなたの言葉、まるでお祖父様にお言葉をいただいたようで、とても嬉しくてよ」
もう一度、グラハムはお辞儀をした。完璧よりも少しだけ深く。
そして、大広間へのドアを大きく開いた。
アレクセイのエスコートで大広間に足を踏み入れた瞬間、エカテリーナは光に包まれた。
えっ何これ⁉︎
いやそういえば覚えがあるような?
そう思った瞬間、光はぱっと弾けてキラキラとしたきらめきに変わり、エカテリーナの周囲を取り巻いて明滅する。
あっこれユーリ君の光の魔力スポットライトか!
そう気付くと同時に、大きな歓声と拍手が湧き起こった。
「エカテリーナ様、お誕生日おめでとうございます!」
「お嬢様、おめでとうございます」
「ユールノヴァ嬢、おめでとう!」
わああ……すごい人数!
大広間を見渡せば、そこは見知った顔ばかりだ。
フローラを始めとする学園の友人たち。マリーナとニコライ兄妹、オリガとレナート、リーディヤとアリスタルフたち生徒会メンバー、ユーリと悪友のコルニーリー、それぞれのパートナー女子たち、その他クラスメイトなど。
驚いたことに、ミハイルもいた。
君、いつ『青蝶の領』から帰ってきてたの?
ノヴァクたち執務室の面々もいる。ハリル、アーロンはもちろん、財務長キンバレイや森林農業長のフォルリなどまでいた。いつもより華やかな夜会服で、エカテリーナに拍手を送ってくれている。
ユールセイン公爵、ドミトリーがいた。洒脱な装いで、イケオジぶりがいっそう引き立って見える。
ユールノヴァ騎士団の騎士たちもいた。騎士団長ローゼン、元家庭教師のマルドゥ、山岳神殿への旅で護衛してくれたオレグたちの顔まで見受けられる。
さらには、レフがいた。きちんと礼服を着ているが、いかにも身の置き所がないように隅のほうに立って、それでも一心に拍手をしてくれている。
一緒に大叔父アイザックと、ムラーノ工房で顕微鏡の改善に取り組むトマもいた。
皆、笑顔で拍手をして、祝福の声をかけてくれる。その声が、波のように押し寄せてくる。
――不意に、記憶がよみがえった。エカテリーナの記憶。
たぶん八歳の誕生日だった。まだお祖父様が存命で、公爵邸では暮らせず別邸に住んではいても、貴族らしい生活ができていた頃。
母が祝ってくれた。食卓にはエカテリーナの好きなものばかりが並んでいた。当時の使用人たちがおめでとうございますと言ってくれた。母からのプレゼントは、豪華なドレスだった。エカテリーナは大喜びした。
今にして思えば、あの頃の母は、当然に信じていたのだろう。いずれ娘と共に、公爵邸に戻れるはずだと。エカテリーナは、公爵令嬢にふさわしい社交の日々を過ごすことになるはずだと。
……お母様。
あの日の母の優しい笑顔が、いつぶりか分からないほど久方ぶりに、エカテリーナの脳裏に浮かんでいた。
「エカテリーナ?」
アレクセイの声に、エカテリーナは我に帰る。
いけない、一瞬、ぼんやりしてしまった。
大丈夫、とアレクセイに微笑みかけて、エカテリーナは大広間いっぱいの客人たちに向き直った。優雅に淑女の礼をとる。
宴の主役として、女主人として、挨拶しなければ。
「皆様、ようこそお越しくださいました」
たちまち、大広間は静まった。
姿勢を正し、聞こえやすい発声を心掛けながら、エカテリーナは言葉を続ける。
「このように多くの方々からこの日を祝っていただけるとは、なんと幸せなことでしょう。夢を見ているような心地にございます」
にっこりと笑顔で大広間を見渡すと、たくさんの笑顔が返ってきた。
「皇都に不慣れなわたくしが、望外なほどに楽しい日々を過ごすことができておりますのは、皆様方の温かいお支えのおかげ。皆様方の友愛に、心より感謝いたします。至らぬ身ではございますけれど、どうぞこれからも、見守っていただければ幸いに存じます。
皆様、どうぞ今宵は、共に楽しんでくださいまし」
もう一度エカテリーナが淑女の礼をとると、再び大きな歓声と拍手が湧き起こった。
音楽が始まった。
大広間の一角に控えていた楽団へ、グラハムが合図したようだ。歓談の邪魔にはならない程度に控えめな音量で、しかし祝いの日にふさわしい明るい曲が流れ出す。
たちまち、大広間は賑わいに満ちた。エカテリーナに声をかけてくる者、お互い同士で話す者、ビュッフェ形式で用意された種類豊富な料理やデザートへと向かう者。食べ盛りの若者が多いせいか、ビュッフェは盛況だ。
それをつい、来客の人数に対して料理の量に不足はないか、とか、給仕の人手は足りているだろうか、とか、女主人目線でチェックしてしまうエカテリーナだった。
「料理長がお前のために腕を振るった料理だ。お前が好きなもの、好きそうなものばかりを用意してある」
アレクセイに言われて、視線の意味を勘違いされたことに気付いたが、シェフの心遣いは嬉しい。エカテリーナが考案した(ことになっている)トンカツや唐揚げや薔薇クッキーなどもたくさん用意されているようだ。
「お前の祝いの日だ。何ひとつ気遣う必要はない、好きなものを食べ、好きな相手と語りなさい。……だがまず、私からの贈り物を見てくれるか」
「お兄様、このように素晴らしい衣装や宝石を頂きましたのに、さらに贈り物をくださいますの?嬉しゅうございますけれど、あまりに身に過ぎているように思えてしまいますわ」
最初の贈り物とは聞いていましたが、それがブルーダイヤモンドだったりしたのに、さらにまたプレゼントはさすがに。
この会場だって、楽団の生演奏もあるし料理もグレード高いみたいだし、トータルの予算は一体おいくらかけて頂いているんでしょうか。
庶民感覚が抜けていないもので、考えるとビビります。めちゃくちゃ腰が引けてしまいます。
そんなエカテリーナに、アレクセイは首を横に振った。ひどく真摯な表情で。
「どれほどのことをしても、まだ足りない。祝うべきだった十五回の埋め合わせにはならないが、せめてもだ」
あっ……。
「それに、私は今回、生まれて初めての経験をさせてもらった。贈り物にふさわしい物は何かと考え、準備をし、喜んでもらえるだろうかと案じながら、その全てに心浮き立つ想いをしていた……大切な存在に贈り物をするというのは、これほど幸せなものかと驚いたよ。お前への贈り物でありながら、お前から贈り物をもらったようだと、ずっと思っていた」
……お兄様。
孤独だったお兄様。ずっと孤独だったお兄様が、そんな気持ちを味わってくれたなら。
「素敵なことですわ。それは、とても……素敵なことですわ」
「受け取ってくれるか」
「はい!」
その返事にアレクセイは微笑み、妹の手を取って大広間の中央へ導いた。そこには、布が掛けられたものが置かれている。形状からして、イーゼルに架けられた絵画と思われた。
そういえば以前、お兄様とお祖父様の肖像を描いた画家、ハルディン画伯を招いてもてなしたことがあった。もしかするとこれは、画伯の作品?
ずっとアレクセイに付き従っていたイヴァンが進み出て、絵の横に立った。
「取れ」
アレクセイが命じ、布が取り去られた。

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