「最近……また、忙しいみたいだね」
昼休み、いつものようにお昼を分けてあげたミハイルにそう言われて、エカテリーナは紫がかった青い目をきょとんと見開いた。
そんな反応になったのは、エカテリーナ自身としては舞踏会に向けてのドレス斡旋お茶会がいち段落して、むしろ時間ができたと感じているからだ。なにしろ少し前までは、怒涛のお茶会わんこそば状態だったので。
一気に交友関係が広がっただけでなく、貴族の付き合いは面倒なもので、顔と名前に加えて身分や家柄なども知っておかねばならないから大変だった。
幸いエカテリーナには、アレクセイと彼の側近たち、さらに公爵邸に帰れば執事グラハムがいる。そのあたりはしっかり教えてもらえた。
特にグラハムは、ユールノヴァ公爵家と他の貴族との交際を陰で支える執事として、それぞれの家の成り立ちや歴史などが完璧に頭に入っている。それらを、思わず引き込まれるような語り口で伝えてくれた。
なんちゃって歴女として楽しく、ついついあれこれ質問して話を広げてしまって、よけいに時間を食ったことは反省している。
今は詐欺師セミョーン対策に頭を悩ませていて、不得意分野だけにどう決着させるべきなのか見えずにいて困っているが、忙しいという感覚ではないのだ。
「どちらかといえば、忙しさは落ち着いてきましたよね、エカテリーナ様。ミハイル様はどうしてそうお思いに?」
エカテリーナの戸惑いを見透かしたように、フローラが言う。うん、その、とミハイルは、言葉を探す表情になった。
「ええと……生徒会室にも、よく通っていると聞いたものだから」
「ああ、お耳に入りましたのね」
エカテリーナはにっこり笑う。
パートナー詐欺の情報収集をして、生徒会にその情報を提供しているのを隠すために、舞踏会の準備に協力していることにした。
まあ結局それは単なる事実と化したわけだが、その話は、ミハイルにも届くほど広まっているらしい。
ふっふっふ、隠蔽工作は完璧だね。
とか思って内心にんまりしているエカテリーナに、ミハイルはひとつ咳払いをした。
「生徒会役員を、邸に招いたという話も聞いたんだ。その、生徒会の役員と、親しくなったのかな。たとえば、生徒会長とか……」
あら。
エカテリーナは目を見張る。なんだか、いつもとミハイルの様子が違う気がしたので。
どことはなく、そう……焦りが見えるような。
「彼は、なんというか、評判が良いようだけど……君は、その……」
ここで、エカテリーナは察した。
ほほう。これはそうか。そうなのね。
「はい、わたくしも、あの方はたいそう将来有望とお見受けしておりますわ」
再びエカテリーナはにっこり笑う。
「兄や、我が家の重鎮の方々も評価しておりますの。ですけれど、ご本人はお国の役人として皇国に仕えることを望んでおられるご様子ですわ。いずれのお役所に行かれようとも、いずれ頭角を現し、ミハイル様の御代みよには国を支える人材になってくださることでしょう」
皇子にまで注目されるなんて、すごいなあ。
生徒会長、モテモテだね!
「我が家でもお招きすることを検討したようですけれど、ご本人の意思を尊重することになりましたのよ。ですから、皇国を支える人材を失う恐れはございません。
優秀な人材は何にも代えがたい、国の礎ですもの。そこをお気にかけるとは、さすがですわ。皇国の繁栄のために、為すべきことを今から為しておられるミハイル様は、ご立派です」
うん。ほんと、ものが違うって感じ。
私は前世で社会に出て仕事をしたことがあって、その実感があるから、できる人が要所にいてくれるのはありがたいことだってわかるけど。皇子はそんなアドバンテージなしで、人材の大切さを理解しているんだから。
英才教育で帝王学とか学んでいるということはあるんだろうけど、やっぱり、偉いなあって思うよ。
キラキラした目でミハイルを見るエカテリーナ。
「……」
下手な探りを入れたらエクストリームな勘違いで称賛されてしまったミハイルは、珍しく返す言葉が出てこないようだった。
「ああ、いや……君は、それでいいのかな……」
「もちろんですわ。わたくしも皇国の臣民にございます。お国が栄えてこその我が家の繁栄と、心得ておりましてよ」
エカテリーナは胸を張って言う。
そんな様子を、隣のフローラがにこにこして見ていた。
「そう……うん、それならいいんだ」
何かを切り換えた様子で、ミハイルは微笑む。
「舞踏会のこと、僕にも役に立てることがあれば、何なりと言ってほしい。学園祭が楽しかったから、できる範囲で学園の行事に関わっていきたいと思っているんだ」
「ありがとう存じます。そうですわね、行事は準備も楽しゅうございますわね」
うんうんとうなずいたエカテリーナは、ふと詐欺師セミョーンのことを相談してみようかと思った。ミハイルなら情報共有しても、話が他へ漏れることはなく、被害者女子の将来に差し障りはないだろう。
でも、勝手な判断は駄目かな。
報・連・相。皇子は信頼できる人間だけど、未来の皇帝を引き込むなら、ちゃんと今まで一緒にやってきた生徒会の同意を得てからにしないと。
そう判断して、エカテリーナは違う言葉を口にした。
「舞踏会では、我が家のシェフが工夫したお料理を採用していただけるそうですの。わたくしも少し、レシピ作りに参加しましたのよ。ぜひ召し上がってくださいましね」
舞踏会の料理に良さそうなものはと考えて、少年少女が絶対好きな前世の鉄板料理をシェフに頼んで再現してもらった。それを先日、公爵邸でのパーティー料理味見、兼、パートナー詐欺対策女子編打ち上げで生徒会役員に食べてもらったところ、見事ガタイの良い肉好き副会長のハートを撃ち抜いてしまったのだ。
セレブ感は全くないので、貴族の舞踏会にこれが出るってどうなのか……と今さら違和感に苦しんでいるが、見た目を工夫してなんとかしようと思っている。
「それはさぞ美味しいだろうね。楽しみにしてる」
本当に楽しみそうににっこり笑ったミハイルに、こういう食欲旺盛なところは男の子で可愛いなあ……とほっこりしたエカテリーナであった。
それでミハイルとは別れたのだが、ふとエカテリーナが振り返って見ると、ミハイルは脱力したように教室の扉にもたれかかっていて、彼の肩をクラスメイトらしき男子がぽんぽんと叩いていた。
あんな風に気さくに触れ合えるほど、皇子もクラスに溶け込んだんだなあ。
と思って、ミハイルのために喜ぶエカテリーナ。クラスメイトがミハイルを見る目はどう見ても同情の眼差しであることには、気付かなかった。
後に、この時に皇子に相談しておけば良かった……と、悔やむことになろうとは。