266. 心配と伝言

馬上槍試合は、千年近い歴史を持つ、騎士たちが武芸を競う催しだ。騎士といえば馬上槍試合、騎士道の華、という印象もあるほど。

そもそもは軍事演習のようなもので、集団での乱戦だったらしい。ちなみにその当時、討ち取られると敗者は身ぐるみ剥がされて、全ての装備を勝者に奪われる、という慣習があったそうな。装備が安物だった場合、身柄を拘束されて、身代金を払うまで解放してもらえない場合もあった。

演習だけでなく、戦闘による収入がない平和時の、収入補填的な意味合いがあったのかもしれない。いろいろ、荒々しい時代だったから。

馬上槍試合で身柄拘束は、いろいろなドラマを生んだ。ほのぼの系ではこんな感じ。

『負けて拘束された騎士の娘が、身代金の代わりにと住み込みで働いた末に、勝った騎士と恋仲になって結婚した』

『身代金がなかなか払えない敗者が勝者の家で数年一緒に生活してすっかり仲良くなり、身代金をまけてもらって家へ戻ってから、お礼状と共に小麦の種を贈った。育ててみると豊作になり、醸造すると美味しいビールになって、その地方の特産になった。というのが「敗者のお礼」を意味する小麦の品種名の由来』

このへんの知識は今の世界で歴史や文学を学んで知ったことなので、前世とは別物かも。

ともあれそこから、徐々に競技として洗練され、騎士道精神に則り一対一で正々堂々と対決するものになる。目的は実利から、所属する騎士団のあるじと貴婦人に勝利の名誉を捧げることに変わっていった。

皇国の建国期あたりでは、盛んに行われたようだ。

しかし現在では、実際に馬上槍試合を目にすることはあまりない。古風なロマンあふれる催し、という感覚。

それでも皇城で行われる国家行事や、国賓を迎えての歓迎行事としてなら、しばしば開催される。皇国の名高い騎士団から選りすぐりの強者が集い、甲冑に身を固め色とりどりのマントや兜飾りで華やかに装って、主君や剣を捧げた貴婦人に名誉を捧げるべく、闘いを繰り広げるのだ。

なお、馬上槍試合と呼ばれてはいるが、武器は槍とは限らない。

……こういうウンチクは大好物なんで頭の中を駆け回っておりますが、それよりお兄様の勇姿への期待と、怪我なんてしないかしら大丈夫かしらという不安でドキドキが止まりませんよ!

「エカテリーナ様……閣下はきっと大丈夫です」

そわそわしているエカテリーナを心配そうに見て、フローラが手を握ってくれる。

「お嬢様、閣下のことはご心配なさるに及びません。馬術も剣も槍も、一流の技量をお持ちです」

ノヴァクが言った。彼は文官ではあるが文武両道に優れ、アレクセイが幼い頃には剣の手ほどきもしたそうだ。それゆえに、アレクセイの武術の技量をよく知っている。

「ええ……もちろん、信じておりますわ。お兄様は、毎日たゆまず鍛錬していらっしゃるのですもの」

皇国の高位貴族男子は、甲冑を着て戦場を駆け巡ることができるレベルの筋力体力を身に付けるべきとされる。だからアレクセイは、エカテリーナを軽々とお姫様抱っこしてかなりの距離を歩くことができるほど力があるのだ。何度も抱っこしてもらったエカテリーナだから、アレクセイが強靭な体躯を持っていることはよく解っている。

……でも、これは前世の知識ですけど、フランスの王様が馬上槍試合で受けた傷が元でお亡くなりになっていたはず……確か、イタリアのメディチ家から嫁入りして王妃になったカトリーヌ・ド・メディシスの夫。名前は忘れちゃった、ルイ?じゃなくてアンリ何世かだったかな。とにかく、やっぱり危険はあるんですよね。

と、そこへ声がかかった。

「お嬢様」

観客席の階段を駆け上がって来たイヴァンが、息も切らさずいつもの愛想のいい笑みを浮かべて言う。

「閣下から、お伝えするよう言いつかりました。馬上槍試合といっても学生の模擬戦、最大限安全に配慮しての対戦になる。なんといっても、学園祭の演目なのだから、心配はいらないと。対戦よりも、馬術の披露が中心になるそうです。そのように、クルイモフ様がご配慮なさっていると」

おおっ。

私が心配するだろうと思って、わざわざイヴァンを遣わしてくれたんですね、お兄様。さすがシスコン!

「そう……そうね、ニコライ様は皇帝陛下の御馬係であるクルイモフ家の嫡子、馬術や武芸に造詣の深いお方ですもの。ご配慮なさっていて当然でしたわ」

それに考えてみれば、負傷者続出が予想されるような危険な催しであれば、学園祭を仕切る生徒会執行部が認可しないに違いない。

「今日は一人の騎士として、我が貴婦人に勝利を捧げるべく奮戦しよう――との仰せでした」

「まあ……!」

やだかっこいい。さすがお兄様!

あっそうだ。

「イヴァン、お兄様にこれをお渡しして」

エカテリーナは、白い絹のハンカチを取り出してイヴァンに差し出した。

貴婦人が身に付けたものは、戦におもむく騎士の護りになると言われている。それゆえ馬上槍試合に臨む騎士たちは、貴婦人から賜った手巾やリボンなどを甲冑や剣の柄に結びつけて闘うのだ。

「お預かりします。閣下がさぞ、お喜びになるでしょう」

嬉しそうに、イヴァンは手巾を受け取った。

「では、俺は閣下のところへ戻ります」

「わざわざ伝えに来てくれてありがとう、イヴァン。お兄様に、応援しておりますとお伝えしてね」

ちなみにイヴァンは、アレクセイが代役を承知するや、馬車を飛ばして皇都ユールノヴァ公爵邸へ戻りアレクセイの甲冑などの装備を持ってきたうえ、身に付けるのを手伝っていたらしい。ものが甲冑だけに、体格の違う他人の装備を借りる選択はないのだろう。

お兄様、背が高くて手足長くて、すごくスタイルいいですからね!

それに甲冑はとても高価なので、私物で所有している人はクラスにそうそういないはず。ニコライさん、何かあった時の代役として、お兄様のことアテにしていたのかも。

さらに言えば、毎年学園祭でも仕事ばっかりのお兄様を、引っ張り出してクラスの一員として参加させたいと思ってくれていたのかもしれない。ニコライさんの人柄からして。

少し落ち着いたエカテリーナは、ここでようやく、周囲の観客席がぎっしり人で埋まっていることに気付いた。

予想通り、この催しも人気だったようだ。男子より女子の方がだいぶ多いのが、予想外だけれど。

観客席は、きゃわきゃわと浮き立っている。

そこへ、角笛の音が鳴り響いた。

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