258. 光の未来

額こっつんこの威力はなかなかのものだったようで、エカテリーナが自分で歩きたいと言うと、アレクセイはすぐに下ろしてくれた。

そして貴族男性らしく、エスコートの腕をすっと差し出してくれる。

それに、エカテリーナは貴族令嬢らしく手を載せるのではなく、ぺたっと腕に抱きついた。自称アラサーのエカテリーナだが、さっき本気で怖い思いをしたので、まだ兄に甘えていたかったのだ。

もちろんアレクセイは、微笑んで妹の好きにさせてくれた。

終演後は、クラス全員でいったん教室に戻ることになっていた。

衣装係の裁縫の腕前や大道具係の絵の上手さなどをしっかりアピールできるよう、劇に使用した衣装や背景、小道具を、学園祭が終わるまで教室に展示すると決めている。そのため、まずは背景や小道具を教室に運び込み、その後に役者は寮に戻ったり、武術や魔力制御の授業で使用する更衣室を使ったりして制服に着替え、衣装を持って教室に戻ってくる。そういう段取りだった。

きれいに畳んだエカテリーナの制服を持ったミナを連れ、兄妹は待っていてくれたフローラと合流する。フローラはちゃんと撤収作業に加わっていたと気付いて、そこに参加できなかったエカテリーナは申し訳なさでいっぱいになった。

「エカテリーナ様は、誰よりも劇の成功に貢献されたんですから、そんなこと気になさらないでください」

「いいえ、劇の成功はフローラ様のおかげですわ……」

そもそも、劇の主役は聖女アネモーニ、フローラなのだ。それをさらりとこなし、突然の敵役変更にも動じず対応し、敵役の頭から筋書きがふっとんでもアドリブでまとめる……なんという有能。

前世の社畜時代にフローラちゃんが同僚だったら、私、過労死しなかったかも。

などという考えをどこかに仕舞って、もう教室に向かっているであろうクラスメイトを追いつつ、エカテリーナはアレクセイに劇の最後に筋書きを忘れてしまったことを話した。それをフローラがフォローしてくれたことを。

「フローラ様のようなお友達を持って、わたくし本当に幸せですわ」

「そうか、そんな状態だったとは全く気付かなかった……それほど大変な中、お前は本当によく頑張ったね。

フローラ嬢、この子の窮地を救ってくれたこと、私からも心より感謝する。君は実に得難い人だ」

「いえ、そんな」

フローラは微笑んで首を横に振った。

講堂の舞台裏から直接外へ出られる通路から外へ出ると、教室へ向かうクラスメイトたちの後ろ姿が見えた。しかしそれよりも、思いがけない面々がエカテリーナを待っていた。

「お嬢様」

「まあ、皆様……」

ノヴァク、アーロン、ハリル、それに従僕イヴァンら、アレクセイの側近たちがエカテリーナに一礼する。

「素晴らしい劇でしたな。突然の代役とのことでしたが、見事にこなされ、まことに祝着。お嬢様もチェルニー嬢も凛々しくお美しく、誇らしい心地がいたしました」

代表としてノヴァクが言い、やらかした気持ちが強いエカテリーナは思わずうつむく。よくここがわかりましたね、と思って、アーロンはここの卒業生だったと思い出した。

そういえば、アーロンは学園側との折衝も担当している。ここで突然気付いたが、学園の会議室を執務室として借り受けるなんて、今さらながら異例なことだ。それを実現したのは、アーロンなのではなかろうか。なんとなくだけど。彼は、実は黒いところがあるし。

そしてハリルは、イイ笑顔だ。劇が成功裏に終わったことで、『天上の青』の宣伝効果がバッチリだとほくほくしているのかもしれない。

だがそれはともかくとして、彼らがエカテリーナに向ける表情は、優しかった。

前世の記憶が蘇ってから今まで、執務室の側近たちとは親しく過ごしてきた。エカテリーナとアレクセイは二人きりの兄妹だが、ユールノヴァ公爵家という大きなくくりの中でなら、エカテリーナにとって彼らは家族のように近しい存在だ。

彼らが、心配したり感心したりしながら劇を見守ってくれたのだと思うと嬉しい。

「お言葉、嬉しゅう存じます。楽しんでいただけたなら何よりでしたわ」

エカテリーナはにっこりと微笑んだ。

そこへ、背後から声がかかる。

「エカテリーナ」

え⁉︎ と思って振り返ると、そこにいたのはミハイルだ。舞台裏から外へ出てきたところらしい。そのすぐ後ろには、彼の従僕ルカもいる。

舞台裏を使うのは、学園祭期間中は学園関係者のほか、講堂の舞台を許可されたクラスのみ。身分を笠に着て勝手な真似をするような彼ではないのに、なぜ……と疑問に思ったところで、ルカのさらに後ろにいる三名に気付いた。

光の魔力で劇を演出してくれたクラスメイト、ユーリと、その友人コルニーリー。もう一人は女生徒で、劇が始まってすぐエカテリーナが頼んだ伝言を、ユーリに伝えに行ってくれた衣装係だ。

「レイ様!」

ユーリの目が泣いたように赤いのを見てとって、エカテリーナは息を呑んだ。

何かあった?

誰かに何か言われたんだったらお姉さんに言いなさい、言い返したるから!

「ユールノヴァ嬢……」

ユーリはエカテリーナを見て、泣き笑いの表情になった。

「僕……典礼院に、呼んでもらいました」

ん?

「こいつの親戚の人が……」

劇が終幕となって、魔力を使い果たしてフラフラのユーリが皆と合流しようと舞台に向かっているところで、コルニーリーに呼び止められた。そして彼が客席から引っ張ってきた彼の親戚、典礼院の役人に話しかけられたのだそうだ。

『君かね、あの光の演出をしていたのは。親戚の子にうるさく言われて来てみたが、なるほど、なかなかのものだった』

興味津々で声をかけてきたものの、言質を取られるようなことは言わないのが役人というものだ。

だがそこに加わってきたのが、皇子ミハイルだった。

『後ろから魔力が放たれているのを感じていたけど、君があの光の魔力の使い手だったの?素晴らしい演出だったね。特に最後は、とても感動的だった。あの美しい光の魔力操作を母上が見たら、さぞ喜ぶだろうな。観客の中には、名だたる劇場の理事を務めている人物もいたようだったから、君に声をかけてくるかもしれないよ』

その言葉で、役人の目の色が変わった。皇子ミハイルの母、すなわち皇后マグダレーナ。その歓心を買うことができれば、出世の道も開ける――と考えるのが役人というものだ。

そして民間に対して、こちらが上というプライドを持っている。

『将来について、どう考えているかね?どうだろう、一度、典礼院に訪ねてこないか。上のほうへ話をしておくから』

打って変わって熱心に言う役人に、もちろんユーリは、ぜひと答えた。

それで役人とは別れたのだが、ミハイルは劇について話を聞きたい、と言ってユーリに同行してきたのだ。

ユーリが皇子と親しく話す姿を見せつける形になったわけで、おそらくそれも役人の心に、しっかりと刻まれたに違いなかった。

「まあ……なんと素晴らしいことでしょう!レイ様の才能を活かせる将来が拓けましたのね」

エカテリーナは有頂天で言う。

よかったー!このために代役を引き受けたようなものだったもの、頑張った甲斐があった。まだ確定でもなんでもないけど、就職のツテをゲットだぜー!

「ありがとう、ユールノヴァ嬢……ありがとう。君のおかげだ……」

嬉し涙が込み上げたようで、ユーリはごしごし目を擦る。そんなユーリの背中をコルニーリーがバシンと叩き、その隣で衣装係の女子がニコニコしている。

「いいえ、レイ様の実力ですわ。本番での魔力制御は、素晴らしゅうございましたもの。……それに、ミハイル様のお口添えあればこそでしたわね。ご配慮ありがとう存じますわ」

感謝を込めて、エカテリーナはミハイルに微笑みかけた。

自分の一言の影響力をよくわきまえている君だもの、状況を見抜いて、ユーリ君に味方してくれたんだよね。

生まれながらに将来が決まっている君にとっては、就活なんてピンとこないはずだろうに。さすがだよ、皇子ありがとう!

まだ悪役令嬢の衣装を着たままのエカテリーナに目の前で微笑まれて、ミハイルは少し赤くなった。

「ただ心からの感想を言っただけだから、何をしたわけでもないんだけどね。

その、エカテリーナ……君も、素晴らしかった。美しくて……圧倒的なほど、魅力的だった」

うっ。

なんとなく……なんとなく、エカテリーナは言葉につまる。いえそんな、とか普通に返せばいいとは思うのだけど……なんとなく。

言葉につまる。

……皇子と公爵令嬢のそんな様子を目の当たりにして、コルニーリーがはあ……と力ないため息をついた。何を期待していたわけでもなくても、彼にとってエカテリーナは心のアイドルなので。

ユーリも同じく、のはずだったが、彼はちらりと、隣の女生徒に目をやった。

エカテリーナからの伝令としてユーリのところへ来た彼女は、その後も保守用通路の細い階段でユーリの近くにいてくれて、水を持ってきてくれたり、観客の反応を教えてくれたり、まめまめしく気遣ってくれたのだ。

ユーリはそわそわと、自分のシャツの袖をつまむ。劇の後半になって疲れてよろめいた時、ひっかけて小さな破れができてしまった。支えてくれた彼女が、わたくしが縫って差し上げますわ、と言ってくれて。

裁縫上手な女の子っていいな、ときゅんとした。

そりゃユールノヴァ嬢みたいな美人ではないけど、くりっとした目元が可愛いし。優しくて、いい子で……。

もしかしたら、将来……。

ユーリはすっかり、薔薇色の気分だった。

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