242. 氷の薔薇と黒水仙

「お兄様!」

エカテリーナはブラコンであるからして、いつ如何なる時でも、兄の姿を見れば声が弾む。

生徒会室に現れたアレクセイは厳しい表情をしていたが、妹の姿を見ればネオンブルーの瞳が優しく和むのも、いつもの通りだった。

「私のエカテリーナ」

アレクセイが手を差し伸べたので、エカテリーナはザミラに「ご免あそばせ」と声をかけ、いそいそと兄に歩み寄る。

「お兄様、いかがなさいましたの?」

「お前がここにいると知って、立ち寄ることにしたんだ」

妹の手を取ってそう話すアレクセイの後ろに書記の女生徒がいることに、遅まきながらエカテリーナは気付いた。彼女はにこっとエカテリーナに笑いかけてくる。

「たまたまお会いしましたので、妹君が生徒会室にお出でですとお話ししたのですわ」

なんとなく、事実ではないような気がした。彼女はアレクセイを呼びに行くために、生徒会室から出て行ったのではないだろうか。

そして、放課後の今、アレクセイは執務室で仕事をしていたはず。それを離れて、わざわざやってきた。

一体、なぜ。

ザミラがじっとこちらを見ているのが、背中に強く感じられた。

と、アレクセイがエカテリーナの肩に腕を回す。呟くように言った。

「マグナの側仕えも質が落ちたものだ。ユールノヴァの女主人をぶしつけに見るとは」

直接声をかけるほどの者ではない相手に対する、貴人の叱責だ。生徒会室の空気が緊迫する。ユールノヴァ公爵アレクセイの怒りを、恐れぬ愚か者は生徒会になど入れるはずがない。

が、ザミラは返すように呟いてのけた。

「ユールノヴァの若君は、相変わらずに過保護でいらっしゃいますこと」

公爵を若君と呼んだ上、この言葉の内容。これでは、ほぼ挑発だ。生徒会役員たちは顔色を変えている。

そんな彼らに、ザミラはけろりとした表情で言った。

「あらいけませんわね、つい昔の気安さで……我があるじウラジーミル様がご幼少のみぎり、公爵閣下と親しく交友しておられましたので、わたくしもたびたびお会いしておりましたの。ユールノヴァ邸の薔薇園を案内するのに、閣下がわざわざあるじの手を引いておられたお姿が思い出されますわ。迷子になってはいけないと仰せになって……微笑ましい思い出でございましょう?」

想像して、思わずうなずきそうになったエカテリーナである。

肖像画で見た美少年なお兄様と、間違いなく美少年だったろうウラジーミル君が、手を繋いで薔薇園を歩く……可愛すぎる絵面!

しかし、ザミラはため息をついた。

「あの交友が儚いものとなってしまうとは、残念でなりませんわ。ユールマグナとユールノヴァ、いずれ劣らぬ二つの名家が、仲違いなどなんと残念な……あるじウラジーミルは、口には出さずともそれは無念に思っていることでしょう。お察しいただけないとは、悲しいこと」

アレクセイのネオンブルーの瞳が強く光り、ザミラを睨み付けた。

それを受けてなお怯むことのない、ザミラの瞳が黒みを増して光る。

「閣下。我があるじに伝えるべきお言葉があれば、承りますわ」

びりりと空気が張り詰めた。

――そこへ。

「お兄様」

進み出たのは、エカテリーナだ。兄の腕に手をかけて、そっと手を握る。

「わたくし、解っておりますわ。あの方は、何か思い違いをしておられます。

お兄様は、たいそう友情に篤い方ですわ。一度心に入れたお人は、何があろうと忘れ去ることなどない方です。それでも、お兄様はユールノヴァ公爵家のご当主。ユールノヴァそのものでいらっしゃいます。それを置いて、ご自分の情を優先するなどということは、なさらない方ですわ。

お兄様の大切なご友人であるならば、きっと、あちらも同じお心のはず。側仕えならそれを察してしかるべきですのに、いささか……そう、無粋な言葉のように感じましてよ」

私はあんまり教えてもらえないですけど、あちらの側仕えがこんな言葉をかけてくるくらいなら、ユールノヴァとユールマグナの対立というか暗闘は激化しているのじゃないかな……。

ウラジーミル君のことは正直全然わかりませんけど、お兄様は真性の元祖型ツンデレで、デレの対象にはデレ一択だと知っていますから、辛い気持ちもあるに違いないと解っています!

「エカテリーナ……」

感動の面持ちで、アレクセイは妹の手を握り返した。

「お前は本当に賢く優しい。お前の存在がどれほど私に安らぎをくれていることか……心をひとつにできる家族の存在は、本当に素晴らしいものだ」

そっと抱擁してくれる兄に、エカテリーナは微笑んでぎゅっと抱きつく。

アレクセイの言葉はいつもの美辞麗句より簡潔だったが、実感がこもっていると感じられた。父親と祖母が家庭内の敵、ユールノヴァにとっての獅子身中の虫という有様だった彼にとって、エカテリーナは祖父が亡くなってからずっと得られなかった『心をひとつにできる家族』なのだ。

――お兄様は、小さい頃デレの対象だったウラジーミル君にも、こういうデレ満載の台詞を言っていたのかな。

そんなことを思った、その時だった。

「我があるじは、閣下にとって、もう用済みですのね」

ザミラが呟いたのだ。

そして、淑女らしく一礼した。

「諸々、ご無礼いたしました。ご容赦くださいませ――失礼いたしますわ」

青みがかった黒髪を揺らして、ついときびすを返すと、ザミラは生徒会室から立ち去っていった。

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