217. 平和な日々

「平和ですわね……」

「そうですね」

魔法学園の授業と授業の合間の小休憩に、エカテリーナはしみじみと言い、フローラが笑顔でうなずいた。

「すみません、わたしのせいでご面倒をおかけして」

申し訳なさそうにオリガが小さくなる。エカテリーナはあわてて首を横に振った。

「そのようなこと。オリガ様とご一緒できることは、わたくしの喜びでしてよ」

「そうですわ!音楽神のお招きを受けた級友と三年間過ごせるなんて、生涯の自慢ですわ」

マリーナがはしゃいだ声を上げる。その言葉は、クラスの総意に違いなかった。

しかし確かに、先週は大変だったのだ。

オリガとレナートが、音楽神の庭に招かれた。その事実は、音楽神殿から学園へ報告された。

そして、離宮から音楽神殿に招かれた二人は、翌日には学園の寮に帰ってきた。

神の招きを受けて神殿に入る場合、学園を退学することも可能だそうだ。規定を満たす魔力量を持つ者は魔法学園への入学を義務付けられているのだが、さすがに神の招きを受けた者には特例があるらしい。そちらの才能に打ち込みたいなら、それが許される。

しかし二人は、学業を続けることを選んだ。魔力を持つ者として魔力制御はきちんと学ぶべきであるし、どんな人生を送るにせよ教養を身につけておくにこしたことはないから。とのこと。

真っ当な考えである。

そんなわけで二人は、音楽神殿の馬車で送られて戻ってきた。生徒たちに遠巻きにされつつ、うやうやしく頭を下げる神官たちに見送られて、寮に入ったそうだ。

それで当然、あっという間に事情が学園中に知れ渡ったのである。

まあ、めでたい話であるから、あまり隠蔽などされなかったのかもしれないが……その前の、エカテリーナが主催したクラスの「音楽の夕べ」の話題も未だに――この世界、一つの話題が本当に長続きするのだ――醒めきっていなかったところへ降って湧いた大ニュースであるから、学園は蜂の巣をつついたような騒ぎになった。

そして、オリガとレナートの顔を見たい、あわよくば歌声や奏でる音色が聞きたい、とクラスの窓に生徒が鈴生りになる日々が続いた……というわけだ。

貴族ばかりの学園にしてははしたないふるまいだが、貴族といっても大半が下級貴族の子息子女。そして、十代の少年少女の集団なのだから、品位より元気と好奇心が優ってしまう者も多いらしい。

二人の顔を見たことで生徒たちがそれなりに満足したこと、学園側の配慮で教員が見回って生徒たちをたしなめるようになったことなどで、今週はなんとか落ち着いたというわけだ。

「あらためて、嬉しゅうございますわ。オリガ様が学園に残るとお決めになったこと」

「ありがとうございます。皆様との学園生活がとっても楽しいから、最後まで過ごしたいと思ったんです」

にっこり笑ったオリガが、ぽっと赤くなる。

「それにレナート様も、音楽を豊かにするためにも、教養を身に付けたほうが良いとおっしゃいましたから……」

「まっ!仲がよろしくていらっしゃること!」

マリーナは両手で頬を押さえて、恥じらうふりでニヤニヤしている。ミハイルが言っていた通り、オリガとレナートは両想いになったらしい。

レナートがオリガを呼び捨てにした頃どころか、オリガは学園に入学する前から音楽の神童と名高いレナートに憧れていたそうで……学園に入学して顔を合わせた時から好きだったようだ、と教えてくれたマリーナによれば、傍目にも丸解りだったとのこと。

私ってやっぱり鈍いのかしら……アラサーなのに……お姉さんなのに……。なぜ……?

遠い目で思うエカテリーナである。

酔っ払いは自分では酔っていないと言う、という話と同じで、自覚がないところが本物の証明であろう。

学園ではそんな騒ぎが起きたわけだが、実はユールノヴァ公爵邸でも、ちょっとした騒ぎが起きかけたのだったりする。

あの日、離宮から公爵邸へ帰宅した後に、エカテリーナはアレクセイに起きたことを報告した。

アレクセイは音楽神が降臨したと聞くや蒼白になり、エカテリーナをひしと抱き締めた。

「よく戻ってきてくれた……!」

いえお兄様、音楽神様に招かれたのは私ではありません。確信しすぎ、聴覚のシスコンフィルターが優秀すぎです!

とは言えないエカテリーナが、神の庭に招かれたのはオリガとレナートだと話すと、アレクセイはほっとしつつも首を傾げた。

「お前の身に何事もなく何よりだったが、お前が選ばれないとは。私には理解し難い」

さすがお兄様……。

神様はシスコンウイルスに感染しないみたいです、とは言えないエカテリーナが、音楽神に『我がモノに非ず』と言われたことを伝えると、再びアレクセイの顔色が変わった。

「そうか。至急、ローゼンを呼ぼう」

騎士団長のローゼンをなぜ呼ぶのか、解らなくてエカテリーナは首を傾げる。

「お兄様、どういったご用でローゼン卿をお呼びになりますの?」

「やはり騎士団の増強が必要だと思う。いかなる神がお前を狙っているのか不明だが、たとえ何者であろうとも、お前が望まぬ限り連れ去ることなど決して許すわけにはいかない。

ユールノヴァの全てをかけて、お前を守ってみせる。だから、安心してほしい」

いえ安心できません!

騎士団を増強して神様に対抗って、無茶です!ローゼンさんへの無茶振りもいいところです!やめてあげてください!

「お、お兄様」

エカテリーナは兄の手を取って握り締める。

「音楽神様の仰せは、わたくしに音楽の才がないという意味でしかないと存じますわ。それにわたくしは、お兄様のお側を離れたりはいたしませんわ。

もしどなた様か別の神様にお招きをいただいたとしても、わたくしからお兄様のお側にいとうございますとお話しして、自分できちんと、お断りを申し上げます。わたくし、子供ではないのですもの。ですからローゼン卿を煩わせるのは、おやめになって」

「エカテリーナ」

珍しくもネオンブルーの瞳を揺らして、アレクセイは妹の手を握り返した。

「私は……お前を失うことを考えると、恐ろしい……」

魔獣も政敵も恐れたことのないアレクセイが、不安に震えている。

「お兄様!」

エカテリーナはアレクセイの身体に手を回し、ぎゅっと抱き締めた。

「わたくし、どこへも行きませんわ!わたくしだって、お兄様がおられないところに行くなど、嫌でございます!それに、お兄様が悲しいお気持ちなのはイヤ!

わたくしはここにおります、恐ろしいことなど何もございません!」

「エカテリーナ……」

ほっと息を吐いて、アレクセイは妹を抱き締めた。

「太陽が空から消えようと、足元から大地が消えようと、お前がいてくれるなら私は平気だ。お前は私のすべてだから。私のエカテリーナ。お前は私の生命、私の心臓なんだ……」

苦しげに言ったアレクセイだったが、エカテリーナが慰めるように彼の頭を撫でると、一瞬目を閉じたあと微笑んだ。

かくしてシスコンの暴走は、ブラコンの爆発によって食い止められた。

よく、私のブラコンがお兄様のシスコンに勝てない!と悩むエカテリーナ。だが、アレクセイのシスコンを御せるエカテリーナのブラコンは、ある意味シスコンに勝っているのかもしれない。

「そろそろ学園祭が近付いてまいりましたもの。学園全てがそちらにかかりきりになって、先週のようなことは起こらなくなりますわ。我がクラスも、演し物を考えなくてはなりませんわね!」

「そうですわね」

マリーナの言葉にうなずいたエカテリーナだが、にこやかに見つめてくるマリーナの視線に、なぜか居心地の悪さを感じていた。

いやマリーナちゃん、私、目立つことしたくないからね?

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