216. 挿入話〜黒水仙〜

週明け、魔法学園。

学園の緑豊かな敷地には、生徒たちが暮らす寮が点在している。

皇国そのものと同じく四百年の歴史を誇る学園ゆえに、寮も建てられた年代はさまざま。建物の建築様式に、それが表れている。

内乱が起きた時期もあったが、皇国は長らく平和で発展を続けている。人口も緩やかに増加しており、比例して学園への入学資格を満たす魔力を持つ人間も増えた。その生徒数の増加に伴い、寮も増設されてきたのだ。

古くから存在している寮には、最上階に特別室が設けられている。

一般生徒の部屋は、ベッドと机とクローゼットが備え付けられたワンルーム。しかし特別室は、広い寝室と、さらに広い居間兼書斎、さらにお付きの使用人用の小部屋と小さな台所が付いている。皇族または公爵家の子息子女のみが入れる部屋だった。

特別室があるのは、学園創設時から存在している歴史ある寮のみだ。世代によっては、特別室を使用する資格のある生徒が学園に一人もいない場合もあるため、数多くは必要ない。とはいえ、そういう身分の子息子女は、近い年齢でかたまって入学してくることが多い。

この年は、四つの特別室が使用されている。つまり、四名の貴人が学園に在籍していた。

皇子ミハイル。

ユールノヴァ公爵アレクセイ。

ユールノヴァ公爵令嬢エカテリーナ。

そして……ユールマグナ公爵令息、ウラジーミル。

ウラジーミルが暮らす寮の階段を、青みがかった黒髪の青年が上っている。

しなやかな細身の身体つき、身長はそれほど高くはないが、秘めた力を感じさせる。瞳は黒だが、光が射し込むと濃い青に変じて見えた。顔立ちは、美しいと言っていいが、若さに不似合いなほど謹厳な表情ゆえに、華やかさには欠けている。

彼は、ウラジーミルの身の回りを世話している側仕えだ。しかし彼は、従僕ではなかった。

特別室を使用している他の三名は、メイドまたは従僕を伴ってきている。エカテリーナはミナ、アレクセイはイヴァン、ミハイルはルカ。三人の側仕えは三人とも魔物の血を引き、主人の身の回りの世話をするだけでなく、護衛として主人の身を守る任務を帯びている。

しかしユールマグナ家は、魔物を忌避する家風。また、身分の区別を明確にする政策を掲げる家でもあるため、嫡男の側近くに仕え親しく言葉を交わす立場に、身分の低い者を当てることはしない。

ウラジーミルの世話係は、名をラーザリ・マグナスという。ユールマグナ公爵家の分家、マグナス子爵家のれっきとした嫡男だ。彼自身、魔法学園の生徒でもある。

そして、忠実無比なユールマグナ家の老執事、ザハール・マグナスの曾孫であった。

ウラジーミルと数ヶ月違いで生まれた時から、主家の継嗣に仕えることを運命付けられていたようなもの。日々曽祖父の薫陶を受け、ユールマグナ公爵家の一員らしく文武両道に秀でて、ウラジーミルのために人生を捧げることを当然と心得ている、十七歳の寡黙な青年である。

最上階は、特別室のみ。階段を上りきった青年は、特別室のドアを音もなく、しかし躊躇なく開ける。今は日中だが、主人が居間兼書斎ではなく、奥の寝室に居ることは心得ている。

さらに、寝室のドアまで、許しを求めることもせず開けてしまった。

寝室は、カーテンを閉め切ってあるため薄暗い。それでもベッドの輪郭と、そこに横たわる人の姿は解る。その人が、薄闇の中で微かな光かと思えるほど、ほの白い肌をしていることも。

ウラジーミルは眠っている。今日も体調を崩して、休んでいたのだ。

まったく足音を立てず、青年は真っ直ぐにベッドに歩み寄った。

そして、主人に覆いかぶさるように身を寄せた。

とたん、ウラジーミルが目を開く。

「ザミラ」

「あら」

にっ、と青年が唇の端を吊り上げて笑う。

それだけで、そこにいるのは女に変わる。表情ひとつで、まとう空気までがらりと変わって、その微笑みには妖艶さすら漂っているようだ。

彼女が、自分の青みがかった黒髪を掴む。ずるりと外すと、同じ色の、しかし長い髪がざらりと流れ出た。

「一目でお解りになりましたの?」

「当たり前だ。……また、お前は、男子寮に入り込んで。ラーザリはどうした」

「貴方様の他には、誰も気付きませんもの。お兄様は、真面目に授業に出ておりますわ。ウラジーミル様のご命令の通りに」

けろりとした口調で言って、ラーザリの双子の妹、ザミラ・マグナスはにっこりと微笑んだ。

双子といっても男女であるから、瓜二つというわけではない。ただ、よく似た兄妹ではある。そして、ザミラは妙な才能を生まれ持っていて、人の仕草や話し方、声色を、やすやすと真似ることができるのだ。生まれた時から一緒にいた兄に化ければ、家族とウラジーミル以外に気付かれることはあり得ない。それでウラジーミルのいる男子寮にまで、平気でたびたび入り込んで来るのだった。

謹厳実直なマグナス家では、彼女は鬼子のような存在だ。

そして彼女は、異様なまでの情報通であった。

「お加減はいかがでございましょう」

「もう、だいぶいい。用件は」

素っ気なく言うウラジーミルに覆いかぶさったままで、ザミラは言う。

「ご報告いたします。セレズノア家のリーディヤ様が、エカテリーナ様に敗北なさいました。皇后の座を巡る争いからは、降りるおつもりのようですわ。潔い方。

わたくし、たびたびリーディヤ様とお茶を楽しんでおりましたので、残念に思っております」

ウラジーミルは目を見開いた。

「降りる?……我が家にとって、リーディヤ嬢は最善手だったものを」

「まあ、ほほほ」

どこかそらぞらしく、ザミラは笑う。

「可笑しなことをおっしゃいますのね。セレズノア家は、三大公爵家にとって代わる野心を持つお家ですのに。なにより、ユールマグナはお家のすべてを挙げて、妹君エリザヴェータ様を皇后に推す、とゲオルギー公がお決めになりましてよ」

「傍目にはそう見えるようにしなければならない、というだけだ。セレズノアなど外戚として皇国を動かす力はない、結局は我が家を後ろ楯に求めてくる。彼らの後ろで、我が家が実権を握るのが最善だ……お前まで、父様の言葉を真に受けてどうする」

「まあ……どうして真に受けてはいけませんの?貴方様がユールマグナ公爵となられ、外戚としてエリザヴェータ様を支えて皇国を盛り立てる日が、楽しみでなりませんのに」

ウラジーミルは、小さくため息をついた。

「お前は知っているだろう。そんな日は来ないと」

「いいえ」

ザミラは真顔になり、ひたとウラジーミルを見つめた。

「わたくしが誰よりも知っているのは、貴方様の他にユールマグナ公爵になるべき方はおられない、ということ。

ですからわたくしは必ず、エリザヴェータ様に皇后に立っていただきます。必ず」

「……何を考えている」

「あら、ご存知ありませんでした?わたくし、野望に燃えておりますの」

再び、ザミラは唇の端を吊り上げて笑う。

「わたくしは、ユールマグナ公爵夫人になりたいのですわ。貴方様の、伴侶に、なりたいのです」

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