203. 情熱と選曲

翌日。

朝一番でオリガに「大丈夫でしたわ」と囁いたが、詳細を話すにはまとまった時間が必要だ。というわけで、放課後こっそり落ち合うことになった。

あらかじめ決めておいた空き教室にエカテリーナとフローラが入ると、中にはオリガとレナートがすでに待っていて、すがるような目を向けてくる。

エカテリーナは微笑んだ。

「ミハイル様がお願いを聞き届けてくださいましたわ。先帝陛下、皇太后陛下への拝謁が叶います。オリガ様、ご実家のピアノを救うため、両陛下に歌をご披露くださいまし。セレザール様も、オリガ様の伴奏者としてご一緒いただけます」

オリガに精神的な支えが必要だろう、とあの後ミハイルに、レナートのことも頼んだのだ。

皇太后陛下から褒められるのは難しいけれど、ミハイルの口添えで先帝陛下からは褒め言葉を賜れること、それで領法改定は防げるであろうことを説明すると、二人はほっとしたような笑顔になった。

「やっぱり、三大公爵家は格が違うんだな。リーディヤお嬢様でも、先帝陛下と皇太后陛下へ誰かを引き合わせるのは、簡単なことじゃないのに」

少し複雑そうに、レナートが言う。音楽馬鹿の彼も、セレズノア家の一員としての意識を捨てきれたわけではないようだ。

「我が家の力ではありませんのよ。ミハイル様は、セレズノアの領民も皇国の民、未来の皇国の安寧のために力を尽くすと、そう仰せでしたわ」

エカテリーナが言うと、レナートは目を丸くした。かなり驚いた……というか、ぐっときたようだ。

「なんてありがたいお言葉でしょう。でもやっぱり、エカテリーナ様のおかげです」

オリガは笑顔だが、いささか顔色が悪い。両陛下に歌を披露するプレッシャーを、早くも感じているのだろう。

ごめんよオリガちゃん、さらにハードルが上がるんだよ……。ほんとごめん。

内心平謝りしながら、ミハイルの案でリーディヤの気を逸らすためにあちらも誘うことになったこと、両陛下の前でのエカテリーナとの歌唱対決と思わせておいて、実際はオリガに歌ってもらってリーディヤと一騎討ちをしてもらうという件を話すと、オリガは見事に固まった。

が。

「なるほど」

レナートは何度もうなずいている。

「ミハイル殿下の深謀遠慮はすごい。確かにお嬢様の気を逸らす必要があるし、手段も最適だ。お嬢様にとって皇太后陛下は、目標でありいつか越えなければならない好敵手のような存在だけど、それ以上に陛下の向こうに音楽神を見ているからね。音楽神の庭に招かれることに執着しているお嬢様は、歌を聴いていただく機会があれば、それはもう完璧に仕上げようとする。鬼気迫る気迫で」

……レナート君、オリガちゃんの顔色がもっと悪くなっていくから、やめてあげて。

「だから! そこで皇太后陛下からオリガがお褒めを賜れば、完全にお嬢様の鼻をあかすことができる!」

えっ?

驚いたエカテリーナがオリガからレナートへ視線を戻すと、彼はまだ殴られた痣が消えていない可愛い顔にきりりとした決意をみなぎらせて、固く拳を握っていた。

「セ……セレザール様。先ほどお話しした通り、ミハイル様からのお口添えで、先帝陛下からお言葉を賜ることができますのよ。そのお言葉があれば、領法改定は食い止めることが出来ますわ」

「うん、解っている。だけど僕は、お嬢様に解らせたい。人から楽器を、音楽を取り上げるのが、どんなに非道いことかを」

そ……それは……。

そりゃ解ってほしいけど、そう上手くいくかなあ。

「リーディヤお嬢様は挫折を知らない。侯爵家のご令嬢として、望まれた通りの才能を持って生まれてきて、たゆまぬ努力で才能を伸ばしてきた。周囲の期待を受けて期待に応えて褒められ続けて、叶わない夢はないと思ってる。自分に負ける者たちは自分ほどの努力をしていない、蔑んでもいい相手だと思っている」

ああ……エリート街道まっしぐらな人の選民思想みたいな感じ……?

選民思想。人を蔑んでもいいと思っている。誰かを思い出す。

ピアノ……お母様と暮らした別邸にも、昔はあった。お母様が弾いてくれて、それに合わせて教えてもらった歌を歌った。ピアノの音色と、笑顔のお母様は、記憶の中で結び付いている。

……いつの間にか、失くなってしまった。ピアノも、笑顔も……。

「だから、一度大きな敗北を知って、挫折を経験したら、お嬢様は変わるかもしれない。変わるべきだと思う。……正直に言えば、負けを知って悔しがってもらうくらいのことがないと、僕の気持ちが収まらないってだけなんだけど」

その言葉に、くす、とエカテリーナは笑みを漏らす。

そうだね。解るよ。収まらない、もやもやする気持ち。

そういう気持ちを、晴らしたいよね。

「それに……オリガ、皇太后陛下からお褒めを賜れば、一生音楽で食べていけると約束されたようなものなんだ。将来のために、ここは頑張らないと!」

「えっ?」

急に話をふられたオリガが、若草色の目をまんまるにした。

「音楽神の加護を受けた御方であり、皇帝陛下の御母君、国母であられる皇太后陛下のお言葉は、皇国の音楽関係者にとって音楽神からの招きに次ぐ重みがある。国立劇場の支配人が、どうか歌ってくださいと頭を下げてきたっておかしくないくらいだ。

大丈夫だオリガ、君ならやれる。絶対に勝ち取るんだ!」

レナート君……。

前世の熱い人か君は。君ならやれるって、日めくりカレンダーとか毎年出てたあの人か君は。

「そ……そうですね!」

驚いたことに、オリガが大きくうなずいた。

「わたし、夏休みに音楽神殿へ行った時、すごく驚いて……次々にいろいろな音楽が奉納されていて、それは神様に捧げるためだけではなくて、音楽で暮らしを立てる道を得るためでもあるって教えてもらったんです。音楽で暮らしを立てるなんて……そんなことができるなんて、考えたこともなくて!そうなれたらどんなに素敵だろうって、想像してどきどきしました。それを目指して、あんなに大勢の人の前で演奏する人たちが、すごくまぶしく見えて。いつかわたしもあそこで歌えたらって思ったんです」

そうか、貴族令嬢でも歌手になっておかしくないというのは、皇都での話。地方では、そんなこと想像もできなくても無理はない。

「でも今回のお話は、音楽神殿での奉納よりずっとずっとすごい機会ですよね。あの奉納の人たちは、そんな機会がもらえたら、きっと迷わず挑戦すると思います。

わたしも、音楽に向き合いたいです。わたしなんかが、って思ってしまいますけど、でも負けたくありません。お嬢様はともかく、自分の臆病さには。負けて諦めてしまったら、絶対に一生後悔するってわかっています。すごく怖いですけど、けど、わたし、頑張ります!」

「その意気だ、オリガ。一緒に頑張ろう!」

前世のスポ根漫画チックな雰囲気だわ。手を取り合ったりはしないのが、この時代の貴族男女の奥ゆかしさだけど。

私も全力で応援しなくっちゃ。

などと思いながら、微笑ましく見ていたエカテリーナだったが。

「そういうわけだから、ユールノヴァ嬢。皇太后陛下のお気に召すような曲があれば、オリガに教えてくれないか」

とレナートに話を振られて、びっくりすることになった。

「わ、わたくしが? 曲を?」

「うん。あの『ありのまま』は素晴らしい曲だけど、歌詞の内容から考えて若者に好まれるものだと思うんだ」

うっ! た……確かに。元々アニメ映画の主題歌だったし、どちらかと言えば若年層向けかも。

いやでも、皇太后陛下のお気に召す曲と言われても!

「あの曲でなくても、君の曲なら、両陛下に披露して問題ないと思う。それでなくても、君の他の曲に興味があるよ。ぜひ、いくつか聴かせてくれないかな」

私の曲じゃないんだあああ!

私がしたことは、日本語の歌詞を皇国語に訳したことだけなんだよー。すまん、ほんとすまん!

プロジェクトなんちゃらの主題歌を翻訳してから、なんかクセになったというか、頭の体操みたいな感じでちょいちょい訳してただけで。まさかこんなことになるとは……。

他の曲って、ミュージカルの曲とJ−POPだよ。皇太后陛下にJ−POPがウケてたまるか!

……って、待てよ……?

翻訳済みのうちの一曲が頭に浮かんで、エカテリーナの思考が止まる。

J−POPだけど、曲は昔から世界で愛されているのが……。歌詞も格調高い感じだし、あれなら両陛下の前に出しても……いけるかも……?

心当たりがあると解ってしまったようで、レナートとオリガがキラキラした期待の目を向けてくる。

私の曲じゃないんだけど。うっかり前世の曲を広めるのはやめとこうって、思ってたんだけど……。

うわーん!

作曲家さん、作詞家さん、この曲がデビュー曲だった大人気歌手さん!

ごめんなさい!

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