256. 涙の終幕

パニックに陥っていたエカテリーナは、ひとつ台詞を聞き漏らしていた。

「貴女は、守るべき人々に住む場所を与えるために、今まで闘ってこられたのですか」

聖女が尋ね、悪役令嬢が答える。その場面だったのだ。

まさに今、舞台の上の全員が、いや満員の観衆が、講堂内の人々すべてが、答えを待っていた。

「……」

悪役令嬢は答えない。

あの、強気の台詞と高笑いがよく似合っていた彼女が、突然ひどく弱々しく見えて、人々はいっそう惹きつけられる。藍色の髪の少女は、答えようと唇を開きかけたまま……泣き出しそうな表情で、ふるふると震えていた。

観客は、ほぼ全員が撃ち抜かれるようにして悟ることになる。

これが、彼女の本当の姿だったのだ!

亡びた国の民を守るため、ずっと無理をして、強がっていたのだ!

本当の彼女は、なんと可憐なのか……。

……魔法学園の講堂には、ところにより最大瞬間風速50メートルのギャップ萌え旋風が、吹き荒れてしまったようだった。

頭から筋書きが吹っ飛んでしまった上、何と話しかけられたのかも解っていないエカテリーナは、答えられない。パニックがつのるばかりだ。

だがそこに、救世主が降臨した。いや、もともと同じ舞台にいた。

聖女アネモーニことフローラである。

フローラは、エカテリーナをよく知っている。そして、かつて学園に魔獣が現れた時、冷静に闘っているように見えたくせに、撃退した後になってへたり込んだ姿を見たことがある。彼女も怖がったり泣いたりする普通の人間であることを、深く理解していた。

他のクラスメイトは、何も気付いていない。彼らは、下手をすると観客以上に、エカテリーナの演技力を過大評価している。なにしろ彼女は、学園祭よりもっと前の音楽の夕べから、常に規格外の大活躍をしてきたのだ。今も、頼もし過ぎるクラスのリーダーが、迫真の演技をしていると思っている。

だがフローラだけは、エカテリーナの中で何かが起きてしまったこと、今はただ混乱の中で怯えていることに、気付いたのだった。

そして彼女は、悪役令嬢がチワワからガチ悪役に変化した時も即対応できた、ポテンシャルの塊ゲームヒロインだ。

だから、フローラは動いた。

聖女らしいおごそかな足取りで悪役令嬢に歩み寄り、彼女の前に膝をつく。上半身だけを起こしている悪役令嬢と近い目線になって、微笑んだ。

「貴女はきっと、わたくしはそんな善人ではない、とでも言うつもりなのでしょう」

それー!

自分の台詞を言ってもらって、目を見開いたエカテリーナは絶賛同意……しそうになり、いや場面的にそれやっちゃ駄目!と、あわてて顔をそむける。

観客はごく自然に、まだ素直になれないのか……と解釈して、もういいんだ、もう一人で背負わなくていいんだよ!と悪役令嬢を心の中で応援するのだった。

「人を信じられなくなるほど、苦難を味わってきたのですね。信じてほしいとは言いません、でも」

言葉を切って、聖女はお供に目をやる。

ちょっと筋書きと違う、という戸惑いをさっと隠して、水魔が笑顔でうなずいた。

「そういう訳なら、住み処はこの方に譲ります」

「我々は聖女様についていきますので!」

樹魔も笑顔で同意する。

「ちょっとの間だけ認める」

実はここまでに何度も合言葉のように『聖女様のお供はわたくし一人で充分!』と繰り返していた猿魔が、嫌そうながら言ったので、客席から小さな笑いが起きた。

聖女が、悪役令嬢の手を取る。

微笑んで、言った。

「最初から、思っていたのです――貴女を、悪い人間とは思えないと」

半ば呆然と、エカテリーナは微笑むフローラを見つめる。

ま……まとまったー!めっちゃきれいに!

まだもう少し悪役令嬢とのやりとりがあったはずなのに、すっ飛ばして大団円の空気が出来上がった!

すごい、さすが!さすがヒロイン、さすがフローラちゃん!

「あ……」

ようやく、エカテリーナは言葉を発することができた。動揺の名残で震える声で、悪役令嬢の最後の台詞を言う。

「あ……ありが、とう……」

ひし!と、聖女と悪役令嬢は抱き合った。

その二人の周囲に、白い光の珠がいくつも浮かび上がる。ぱっと弾けるとそれらはキラキラとしたきらめきに変わり、抱き合う美少女たちを祝福するように、周囲を取り巻いて輝いた。

客席から、怒涛のような歓声と拍手が湧き起こる。

そこへ、ゆっくりと幕が下りてきた。実はフローラに続いてエカテリーナの異変に気付いたレナートが、筋書きの急変に戸惑う舞台袖に、早く下ろせ!と合図して下ろさせたのだったりする。

観客は次々に立ち上がり、学園祭の劇では異例の、総立ちのスタンディングオベーションとなった。鳴り止まない、否、いっそう強く打ち鳴らされる万雷の拍手の中、大注目の劇は、これにて終幕となったのだった。

「エカテリーナ様……終わりましたよ。お疲れ様でした、ご立派でした」

フローラが言ってくれたが、エカテリーナは動けなかった。

うわあああん、やらかしちゃったよー!自分で考えた脚本なのに、頭からすっぽ抜けるってー!

フローラの肩に顔を埋めて、エカテリーナは恥ずかしさやら、劇が終わった安堵やら、助けてもらった申し訳なさやらで、ガチ泣きしてしまいそうなのを必死でこらえている。

フローラは小さく笑い、優しくエカテリーナを抱きしめた。

「こういうエカテリーナ様は、久しぶりですね」

その言葉に思い出したのは、学園に現れた魔獣と闘った時のことだ。フローラに助けてもらって、一緒にへたり込んで……。

「エカテリーナ様の助けになれたなら、嬉しいです」

「フローラ様には……いつも、助けていただいて、ばかりですわ……」

エカテリーナは、しみじみと言う。

この学園生活、小さな日常のさまざまな場面で、フローラはいつもエカテリーナを助けてくれていると思う。支えてくれていると思う。

日常の、なんでもないようなことで差し伸べてくれる手こそが、かけがえないものだと。

ささやかな、喪って初めて解るそういうものの大切さを。

私は……知ってた……。

「大丈夫?」

レナートに声をかけられて、エカテリーナは我に返った。

そして、はっ!と周囲の状況に気付く。

て、撤収ー!撤収しなきゃー!

もう舞台には次のクラスが何かを運び込みつつあり、生徒会関係者が入れ替えをうながしていた。

「も……申し訳のう存じます。フローラ様、わたくしはもう大丈夫ですわ」

あわてて立ち上がろうとしたエカテリーナだが、足に力が入らなくて、よろめいてしまう。

それを、支えてくれた手があった。

それどころか、軽々と抱き上げられた。

「エカテリーナ」

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