254. 幕間の一幕

公爵令嬢を包んでいた光の繭が消えると、令嬢自身も消え失せたように舞台から姿が見えなくなった。

観客は、おお……と感嘆する。先ほどの歌への感動も醒めやらぬ中だが、光の演出といい、歌以外にもこの劇は、実に斬新だ。

……実は、気が遠くなりかけていて動けないエカテリーナを、黒い布を被って黒子になったミナが、スポットライトが消えるタイミングで舞台から回収したのであったりする。恐るべし戦闘メイドのステルス能力。

レナートのほうは、普通に歩いて舞台袖へと戻っていく。彼にも惜しみない拍手を贈りながら、人々は興奮気味に、感動を語り合っていた。

「いや、驚いた。学園祭でこれほどの劇、これほどの歌に出会うとは」

「素晴らしい音楽ですわ。あれほど感動的な曲を聞いたのは初めて!哀れで切なくて、わたくし、泣けて泣けて……」

「あの歌と、その前のピアノ曲とは、テーマが繋がっていましたのね。歌にあれほど入り込んでしまったのは、そのせいもあったのですわ。なんてお見事な仕掛け……ああ、もう一度聞きたい」

「登場の時には笑いそうになったけど、あれは訳あって悪ぶって見せていたんだな。歌っていた姿は美しく哀れだった……救ってあげたいと思ったよ。エカテリーナ嬢か、ぜひ会って話してみたい」

「公爵令嬢だぞ、手が届かないよ。でも本当に、夢を見たようだったなあ……」

「そこらの歌手より、よほど見事な演技と歌声だった。だからこそ、才能ある人間を見出せたのだろう。なんという多彩な才能か」

少し前の幕間とはうって変わって、エカテリーナへの絶賛の嵐だ。

アレクセイの側近一同としては、ほっとしてもいいところだが、彼らは皆無言で主君の様子をうかがっている。

「私が悪かった。あの子はずっと、あれほど辛い想いをしていたものを……!」

関節が白くなるほど拳を握りしめて、アレクセイは呟いていた。

出会ったばかりの頃、口もきこうとしなかった妹。ずっと虐げられ、夢も希望も踏みにじられてきたのだろう。

それでも歌う姿は、気高く美しい……。

いろいろ虚実がごっちゃになって、彼の中ではあの歌は、幽閉されていた頃のエカテリーナの悲しみそのものに聞こえてしまったらしい。

アレクセイが舞台に駆け上がって妹を救い出さなかったのは、かろうじてこれが劇であること、責任感の強いエカテリーナは途中で役を放り出すようなことを望まないだろうということを理解していたからだが、危ないところではあった。

エカテリーナがそんな兄の姿を見たら、『お兄様に学園祭を楽しんで欲しくてがんばったのにー!お兄様が悲しむなんてイヤーっ!』と心の中で叫ぶだろう。

そんなアレクセイの近くの席で、同じく拳を握りしめているのはミハイルだ。

「殿下」

「心配いらない。ちょっと、入り込んでしまっただけだ」

そう言いながらも、ミハイルはため息をつく。

「お芝居と解っていても……苦しんでいる姿を見て、何もできないのは辛いな」

苦しげに歌うエカテリーナ。

側に駆けつけて、僕が助ける、もう何も辛い思いなどしなくていい、と言えたらどんなにいいだろう。

そう告げる資格は、今の自分にはない。そして彼女は、そんな言葉を喜んでなどくれないだろう。強くなんてないくせに、他の誰かを守ろうとするばかりの子なのだから。

もどかしくて、苦しくて……でも、感情はどこかふわふわしている。

(……僕は、エカテリーナが好きなんだ)

心の中で呟く。

その心は締め付けられるように痛んでいて、なるほど恋とは辛いものなのだと、乱れる想いの中でミハイルはあらためて悟っていた。

そんな主君に、ルカがけろりとした口調で言う。

「助けに行かれては?そうしたい男が、周りに山盛りで発生しているようですが」

「やめろ。お前は、僕を暴君にしたいのか」

熱のこもった視線で彼女を見つめる男どものことくらい、さっきから、なんならずっと前から、目障りに思っている。片っ端から放り出してやりたい。それができる身分だからこそ、堪えなければならないのが辛い。

苦々しげに言うミハイルに、糸のように細い目をいっそう細くして、ルカはにんまりと笑った。

「暴君にしたいわけではありませんが……恋路に迷う時くらい、良い子でなくなってもいいのでは、とは思いますよ」

「息してください、お嬢様」

いつも通りに淡々としたミナの声で、エカテリーナは半気絶状態から我に返った。

すぐ近くにミナの顔があって、ああ夢だった、ここは寮の部屋だとエカテリーナはほっとする。いきなり舞台に立たないといけなくなるなんて、怖い夢にはありがちな……。

と思ったところで咳き込み、ゼイゼイと必死で息をしながら、いや夢じゃないぞ自分!とセルフでつっこむのであった。

私、歌い終わったよね?途中で電池切れとかしなかったよね?

「み、ミナ……」

「息してください」

びくともしないでエカテリーナをお姫様抱っこしたまま、ミナはエカテリーナの背中をさする。ありがたく、エカテリーナは荒い息をついて酸素をむさぼった。

前世の漫画か何かで、舞台袖に引っ込んだ歌手がハンディタイプの酸素ボンベを吸っていたけど、なるほど納得!これは要るわ!

「お嬢様は頑張りすぎです」

ミナの声は淡々としていながらも、どこかため息のようだった。

エカテリーナの息が落ち着くと小さな椅子に座らせて、ミナはどこからともなくポットとティーカップを取り出して、水分補給をさせてくれる。周囲ではクラスメイトたちが心配そうに見ているのだが、ミナの背中から『寄らば斬る』オーラが噴き出しているため、近寄れないでいた。

「お客さん、喜んでますよ。もういいんじゃないですか。あたしが寮にお連れしますから、しばらく休んでください」

冗談とは思えない口調でミナが言うので、エカテリーナはふるふると首を横に振る。ミナがシスコンウィルスに感染している疑惑は前々からあったが、なんだかより強力、というかアブナイものになってしまっている疑惑が浮上してきた。

「心配してくれてありがとう、ミナ。大丈夫よ、一番大変な場面はもう終わったのですもの。あともう少しなの」

そう、あとは悪役令嬢は聖女に敗北して、側近レナートに事情を明かしてもらって、そして大団円。めでたしめでたし。正義は勝つ。

悪役令嬢は立派に敗北してきます!大丈夫大丈夫、あとちょっとだー、頑張れ自分!

そう思っているエカテリーナは、やはり疲れているのだろう。

前世で散々思い知った教訓を、忘れている。

――大丈夫、と思った時が、一番危ないのだ。

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