220. ユールセイン公爵邸

初めて訪れたユールセイン公爵邸は、瀟洒でありつつそこはかとない異国情緒を感じさせる、白亜の邸宅だった。

歓迎の意を示して開け放たれた、黒の鉄柵に金の装飾が施された華麗な門を、ユールノヴァ家の馬車がくぐる。そうして近付くと、最初に白の印象を持った邸だが、青いタイルで繊細な装飾を施されていることが見えてきた。それが前世の地中海風建築や、インドのタージマハルなども思い起こさせて、エカテリーナはほうっと息を吐く。

「素敵なお邸ですのね。同じ皇都の中ですのに、異国の香りがするようですわ」

隣のアレクセイに言うと、兄は甘く微笑んだ。

「お前が気に入ったなら、我が家もこの様式に建て替えようか」

「お兄様ったら」

ほほほと笑いつつ、エカテリーナは内心でたらりと汗をかいている。こんな言葉を口にする場合、千人中九百九十九人は、いやもう一桁上でも、冗談で言っているだけだろう。しかしこの兄は、確実に本気なのだ。

いけませんお兄様。うちの邸を建て替えるなんて、費用はもしかすると、前世の金額に換算して数百億円というレベルでは。赤坂の迎賓館の建築費が、現代の金額に換算すると一千億円だったとか読んだことあったし。そんな恐ろしい金額を、妹のためにポンと出そうとしないでください。

数百億円をポンと出すシスコン……さすがすぎますお兄様。

「いくらこのお邸が素敵でも、わたくしには我が家が一番ですわ。お兄様に初めて手を握っていただいたあの部屋が、なくなってしまうなど辛うございます」

「そうか……お前があの時のことを大切に思ってくれるのは、嬉しいことだ。私にとってもあれは燦然と輝くような、大切な記憶だから」

アレクセイの言葉に、エカテリーナは微笑んだ。

馬車が止まった。

馬車を降りると、ユールセイン家の執事とおぼしき人物が車回しまで迎え出てきていて、丁重に兄妹に頭を下げた。

「ようこそお越しくださいました、ユールノヴァ公爵閣下、エカテリーナお嬢様」

にこにこと言う執事に、エカテリーナは笑顔を返す。

ユールノヴァ家の執事グラハムのように、見るからに名家の執事という品格をたたえた端正なタイプではなく、あまり背は高くなく小太りで、髪は黒々としているが広い額、太い眉に立派な鷲鼻をしている。けれど引き込まれるような笑顔の持ち主で、来客をたちまちくつろいだ気持ちにさせることができるようだった。

ユールセイン公爵家で執事を務めるからには、高い能力の持ち主に違いない。

アレクセイにエスコートしてもらい、執事の案内で邸の中を進む。

廊下に飾られている文物は、やはり異国からのものが多いようだ。実物大のリアルなラクダの彫刻まであって、エカテリーナは目を丸くした。造形はリアルでありつつも、瑪瑙めのうや水晶などが嵌め込まれて、公爵家を飾るにふさわしい装飾性もある。

「これはラクダだよ、エカテリーナ」

アレクセイが教えてくれた。今生の令嬢エカテリーナにとっては見たこともない動物のはずだから、なんだろうと疑問に思ったのだと考えるのが当然だ。

「ありがとう存じますわ、お兄様。書物に『砂漠の船』と記されていた生き物ですわね。『神々の山嶺』の向こうの隊商とは、このように大きな動物を何十頭も連ねて旅をいたしますのね」

「お嬢様は博識でいらっしゃいますね」

執事が目を細めて言う。

「これは皇后マグダレーナ陛下がまだ当家のお嬢様であられた頃、先代の公爵閣下がお買い求めになったものでございます。まだお小さい頃のお嬢様が、砂漠を旅したいとおっしゃって、ラクダが飼いたいと……。ラクダにとっては皇国は寒い、本物を連れて来ては可哀想だと、言い聞かせておられた先代のお姿が、懐かしく思い出されます」

「まあ……微笑ましい思い出の品ですのね」

しかし、子供にラクダ飼いたい!って言われて代わりに用意するのが、ぬいぐるみや小さな人形とかではなく実物大の彫刻ってところが、さすが公爵家ですね。

豪華な応接室に通されると、ほとんど待つこともなく、その人は現れた。

「やあ、アレクセイ。そして、エカテリーナ嬢。ユールセイン家へようこそ」

朗らかに言いながら、大股に応接室へ入ってくる。長身、ブルーグリーンの髪。洒落た細い口髭がよく似合う、端正な顔立ちの壮年の男性。

思いのほかに日に焼けているのは、公爵邸に籠もっている人柄ではないということだろう。今でも三本マストの大型帆船に乗り、外洋の航路を旅することがあるのかもしれない。そんな日焼けした肌の中で輝くブルーグリーンの瞳は、砂漠のオアシスのようだ。

ユールセイン公爵、ドミトリー閣下。

イケオジですね!

「ご無沙汰しております。お元気そうで何よりです」

「堅苦しい挨拶はなしにしよう。同じユールの一族ではないか」

身分は同格の公爵である二人だが、年長のドミトリーにアレクセイは敬意を示す。それへ気さくに言ったドミトリーは、エカテリーナに優しい目を向けた。

「君の宝物に紹介してくれるか、アレクセイ」

「勿論です。エカテリーナ、こちらがドミトリー公だ。今は外務大臣を務めておられるが、見ての通り気さくな方だよ」

皇国には現在、宰相はいない。皇帝コンスタンティンは宰相に政治を任せることはせず、自ら親政を執っている。この体制では、外務大臣は最も重要なポストのひとつ。皇国を支える重鎮だ。

アレクセイに促されて、エカテリーナは淑女の礼をとる。

「お初にお目もじいたします。エカテリーナ・ユールノヴァにございます」

「噂の姫君に会えて嬉しいよ。これから、親しく付き合っていきたいね。私のことは、気軽にドミトリーおじさんとでも呼んでおくれ」

目を細めたドミトリーの茶目っ気のある言葉に、エカテリーナはコロコロと笑った。

「本当に、ドミトリーおじさまとお呼びいたしますわよ?」

「嬉しいね。君は、声も美しい。姿はもっと美しいが」

さすが、公爵閣下。貴族男性の美辞麗句スキルがバッチリです。

メイドを伴った執事が戻って来て、茶を淹れる。茶菓子は一口サイズのちょっと変わった風味のパイで、たっぷりのバターがじゅわっと溢れる感覚をエカテリーナは楽しみ、その様子をドミトリーはにこやかに見守った。

マナーにかなった会話もひととおりこなし、一息ついたところで、エカテリーナが居住まいを正す。

「おじさま、この度は、わたくしどもの工房にご注文をいただきありがとう存じます」

「おお、見せてくれるかね」

身を乗り出したドミトリーに、エカテリーナはブルーグリーンの箱を差し出した。

「どうぞ、お検めくださいまし」

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